お久しぶりです
病院で3時間おきの赤ちゃんのミルクと
自分の睡眠とをうまくやる練習中です。
コロナ2波怖いですね…
私は東京なのですが既に電車や街中、
人が増えてきていると聞きました
今回は前回言った通り、
赤ちゃんについて
書いていこうと思います。
相変わらず内容的には不快、悲しく感じる方も
いると思うので、閲覧自己責任でお願いします。
赤ちゃん
2020年5月24日
3030gで元気に産まれてきてくれた男の子。
名前ももう決めてあります。
私の場合命名の条件として決めていたのは、
・海外で呼びやすい、変な意味でない
・漢字1文字ひらがな3文字
(呼びやすい、覚えてもらいやすい)
・男っぽくもなく女っぽくもなく
そこから連想するものがない
です。
この希望通りで、男としては
おしゃれな感じの名前を付けました。
まあ女の子が生まれてきても同じ名前の
予定でしたが…w
妊娠し、検診が遅れた事により
つわりや体調不良は全てネット検索のみで
乗り切りました。
初期は食べつわり
(空腹時に吐き気がマックスで来る)
(満腹になると緩和される)
で、中期からは特にひどいつわりはなく、
全体的に楽な方だったのではないかな、と思います。
まず金銭的に余裕もなく、1人っきりで
妊婦生活を過ごしていた私が
一番不安だった事はやはり
食生活
でした。
お金があれば、毎日バランスの良い物を食べ、
ゆっくり寝て、、って生活が出来たのですが
財布の中が500円とかがザラにあったので
毎日スーパーのチラシとにらめっこ。
歩いて30分ほどかかるスーパーへ朝イチで
出かけて特売を買い漁る。
余分が出ないよう丁寧に自炊する事を
意識していました。
葉だったり、切れ端だったり
集められる物は集めて、しっかりと調理をして
毎日最低2食は食べていました。
もちろんレトルトやインスタントの日もありました。
今となってはこうやって日々歩く事を習慣に
していたので、それもお産対策に
なっていたのでしょうね
実際お産は7時間半くらいで、
陣痛はもちろん痛かったですが
1回叫んだ程度で、会陰切開もなく、
産後1日目で特に派手な痛みなく
歩ける程度に回復するくらい安産でした!
子宮口9センチで分娩室に入ってからも、
2時間程で、本格的にいきんだのも
4回くらい。ポンっと産まれちゃいました。
ここから少しお話を変えます。
「子供とどうするか」についてです
不妊治療されてる方等には
腹立たしかったり悲しくなる内容も
書かなくてはならないと思いますので
改めて閲覧自己責任でお願いします。
そして感情的になりながら
考えながら書いているので
文章が拙いと思いますが
そこはご勘弁を。
まず最初は「望まない妊娠」でした。
元彼氏はかなり責任感の無い人で
女の子を妊娠させ、そのトラブルから
関係を切るという事が何度かあったみたい。
私も付き合ってる時は避妊をしっかりしてほしい、
と毎回のように言いました。
もちろん、性交渉時は避妊具を私も確認して
付けてもらっていました。
ある日、私がインフルエンザで家で寝込んでいる時
元彼氏が誘ってきましたが体調不良で
もちろん断りました。
高熱で結果病院に運ばれるくらいのものでした。
ふと目が覚めた時
彼は熱で意識が朦朧としてる私に挿入していました。
その時もう事が済んでいたのですが、
避妊具なしでの行為でした。
その前から彼氏の浮気などで喧嘩が絶えず、
このままだと私も愛してもらえず
辛いし別れようかなと思っていた頃の出来事。
私は裏切られたと思いました。
その後すぐ彼氏に問い詰めました。
彼氏は
「今まで無しだったし1回くらい大丈夫」
と言ってごまかそうとしましたが、
避妊具を付けなかったことより
意識が朦朧として記憶すら曖昧な私に
手を出した彼氏をもう信じられず、
私から別れを告げました。
今まで避妊具なしの交渉はした事がなく、
前回書いた通り周りの友人はみんな
軽い、というかちゃらんぽらんな子が多かったので
妊娠経験、堕胎経験のある子もいました。
なので妊娠していないか怯えながら
生活していました。
ですが、2回生理が順調に来て、
大丈夫だと思っていました。
彼氏との出来事から3ヶ月ほど経ち、
居酒屋のバイト中、貧血と吐き気で倒れ、
帰宅する途中でその時の所持金と
にらめっこしながら検査薬を買いました。
当時の私には痛手の出費でした。
私は国保の手続きや住民票の手続きさえ
ろくにしていなかったので
手元には保険証もなく、しっかりとした
住所もなかったです。
帰宅して試してみたら陽性でした。
その時私はまず堕ろす事しか考えてなかったです。
彼氏に連絡した所、彼がやっている
クラブイベント事業が忙しいと門前払いを
食らいました。
堕ろす方法や費用、
同じ体験をしている人の知恵袋を漁る毎日。
この時つわりや胎動を感じていました。
そして「育てられない 妊娠」で
検索してヒットしたNPO団体へメールした所、
「お住まいの市役所へ相談してみてください」と
市の子ども家庭支援センターに
繋いでいただきました。
まず自分の住所や住民票の確定。
所得の確認。
これにかなり時間がかかりました。
そこから相談と生活保護申請についての説明と
審査と…
ここまで1ヶ月かかりました。
役所の人は1人腹に子供を抱えて飛び込んだ私に
特に動いてはくれませんでした。
彼氏にも
「どうにか自力で堕ろしてくれ」
「腹殴るとかしたの?」
「薬飲んだり酒飲んだら堕ろせるんじゃない?」
と言われて、精神的にすごく不安定でした。
知恵袋などで不安を書いたりしてももちろん
非難されまくりましたし、
「育てたとしても養子に出したとしても
貴女は最低の人間だと思います」
とも言われましたし
「そんなに簡単にヤれるなら連絡先教えてください」
とも書き込みされました。
自殺願望もありました。
高い所に行き、ただ飛ぶ勇気が持てず
空を見て帰る事が何度もありました。
それを察してくれた先輩に
居候させてもらえる事になり、
その家に住所変更させてもらいました。
そこから先輩も共になって
かなり強気に役所にお願いしてもらい、
どうにか話を聞いてもらえて
その市の子ども家庭支援センター相談員の方に
親身に話を聞いてもらいました。
今までの事、子供の事、自分の精神的な事。
その後スムーズに生活保護受給が決まりました。
保護内で1人暮らしも始めました。
そしてそこから初めて検診を受けられる体制に
なったのですが、生理日から計算して
堕胎は諦めていました。
実際に初診時で27週。
堕胎は無理な週数でした。
手続きを進めながらどうにか子供を
自分で育てず、預ける手段を探していた所
養子縁組
にたどり着いたわけです。
産むまで遊ぶのを我慢して
頑張って出産さえしてしまえば
退院後、体調を整え次第
自分の住所等も落ち着いたわけだし
自分1人の生活を立て直していける、
と思っていました。
役所の方にも相談をし、
児童相談所の方、子ども家庭支援センターの方、
市の子育て支援課の方と面談を重ね、
生活保護受給しながら出産し、
産後子供は乳児院に預かってもらい、
里親申請を出すと流れを決めて
本格的に出産に向けた生活を始めました。
「まだ遊びたい」「彼氏の顔を思い出しそう」
と思った結果の判断でした。
憎みもしました。
愛すなんてありえない。
早く出産して1人になりたい。
お酒飲んで好きに遊んで
自由に体を動かしたい。
と思っていました。
邪魔としか思っていなかったです。
その後順調に妊婦生活を過ごして
検診などもちゃんと受けていき、
お腹の子に愛着が湧くようになりました。
ですが身寄りも親族もない私には
子育ては出来ないだろうと
勝手に割り切っていました。
また私も母と再婚の義父から虐待を受けていました。
母は母親と言うより女でいる事を選んだような
感じで、子供の私より旦那さんって感じでした。
血が繋がっていようが虐待するかもしれない、
母のようになるかもしれない。
ましてや祖父母、父親がいない環境で
子育てできるのだろうか。
その子供が成長して寂しいのではないだろうか。
と考えて、
血が繋がってなかろうが
金銭的精神的余裕のある夫婦に託す方が子供も
幸せなんだろうと勝手に思っていました。
お腹に泣きながら毎日謝ってました。
私がお母さんでごめんね。
幸せにしてあげられなくてごめんね。
かなり臨月は不安定でしんどかったです。
そして出産。
息子に初めて会った時、
顔を見せてもらうか悩みましたが、
会う事にしました。
眠さと疲れでうとうとしながら
隣の部屋で綺麗にしてもらっているいう息子。
39週間私のお腹の中で育っていた息子。
待っている間の泣き声を聞きながら
私って最低だなと思っていました。
そして連れてこられた息子。
白くて所々赤くてふやけてて小さかった。
暴れながら泣いていたんですが
私が抱いた瞬間泣くのをやめたんです。
これだけの出来事だし
産まれたばかりだし当たり前、偶然だと思います。
ですがまだ満足に目も開いていないのに
探り探りで動いているような感じの
息子が私に少しすり寄って眠り始めた時に
「私の息子なんだ」
と思いました。
まあ私が産んだので当たり前ですが…w
それまでは生まれたら会わなくてもいいや
くらい簡単に考えていました。
そのくらい養子に出す方向で意思が固まっていました。
私の考えはこの時
「この子の将来を見たい」
「この子に私の人生を使いたい」
に変わりました。
それまでの自分の生活や友人関係、考え方等に
後悔やくだらなさを感じました。
今まで自分は何をしていたのだろう。
何の為に毎日惰性で過ごしていたんだろう。
それまでの自分の生活に恥を感じました。
3時間おきにミルクをあげるたび
どんどん私に慣れてくれる息子が可愛くて、
小さな手で強く私の指を握りしめてくれて
抱くと泣き止んだりとか
ひとつひとつの動きや成長
全てが可愛くて可愛くて
初めて自分が「死にたい」と思わずに
過ごせている事にも気付きました。
今も産後で定期的に不安定にはなりつつも
結果ミルクの時間になり会いに行くと
息子のために頑張らなきゃ。
母は強くなきゃ。
と思い、メンタルも上向きに保てています。
昨日、児童相談所の方と産後初めて面談をしました。
私は悩みに悩みましたが
「育てたい」
と返事をさせてもらいました。
課題は山積みですし、赤ちゃんをすぐお迎えする
準備は何も出来ていません。
ですがそれも全力で必死に子供の為に、
自分の為に努力していきたい。
相談員さんは笑顔で話を聞いてくれました。
私は何から何まで
「不安定」ですし「不確定」です。
ですが今は息子の為なら
なんでもできる自信しかないです。
これが私がシングルマザーになる決意をした
経緯です。
何書いたらいいのかわかんないな…
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