妄想と現実逃避

妄想と現実逃避

20代前半女子にありがちな(?)妄想空想脳内垂れ流し。
歌詞の記事には、持ち曲の歌詞を載せています。

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私は実家がある福岡で生まれ、その後19歳で上京するまでの間をずっと福岡で過ごしました。

中学校までの義務教育では周りと同じように学校に通って、中3の時には受験勉強をして一度は公立の高校に進学したけれど、1ヶ月後にやってきたGWの後からはいわゆる’ひきこもり’になり、24時間主に「自分の部屋の中だけ」という狭い空間での暮らしを経験しました。

(中3で高校受験をする時点で、エンターテイメントに携わる世界に進むという夢が既にあったので、血迷って高校に通う時間が無駄だなと思ってしまったのも原因の一つです。)

 

その間ほとんど恋愛依存と映画を観る事だけが生き甲斐という青春を送りながらも、芝居やったり歌い始めたりして高校は通信制の学校を卒業しました。なので学歴は一応高卒です。

 

大部分が高校まで卒業して、その後大学に進むという道もあって、満20歳の成人を迎えた時点で学生という肩書きを持っている人も多いですね。

「成人」した時点で「社会人」の人もいれば「学生」もいれば「ニート」とか「フリーター」とかも居る。

このブログ記事で自分の過去の経歴にも触れたので、敢えて今の年齢の事も言うと、あと数日で24歳になります。昔自分が持っていた24歳のイメージってあると思うんだけど、それと現状の自分は全く別の生き物だな。

「成人」として私自身はどうなのかというと、自分の価値観の中で言えば24歳にしては諸々自覚が足りていないな、、、と。自分の人生を生きるという覚悟の無さ、、、つまりは自立出来てないって事なのかな。

最近、壁にぶちあたって自分の至らなさを再確認して、今そんな自分と向き合おうと必死になってるところです。

 

その時代によって、人々の「当たり前」の感覚ってのは当たり前に変わっていくものだろうね。

今日は終戦記念日だけれど、毎年8月になると戦争の事について勉強したいなって気持ちになって、二年前の夏には初めて広島に一人旅してみたりとかしました。

私の母方の祖父は、30代前半の頃に戦争に行って、なんとか生きて帰って来た人でした。

今から20年前、私がまだ4歳の頃に86歳で亡くなってしまったので、私は直接おじいちゃんから戦争の話を聞く事は出来なかった。

なので今生きている祖母や母に、その時の話を聞いたことがあります。

 

おじいちゃんはが徴兵された戦争というのはどうやら、ビルマでの戦い(1989年までミャンマーはビルマと呼ばれていました)、インパール作戦と呼ばれているもののようです。

インドとミャンマーの国境を南北に走る「アラカン山脈」を越えてビルマからインドへ進攻する作戦だったそうです。

これについては検索してもらうとネット上でもどのような戦いだったのか詳しく書かれているページがあるかと思います。

 

正確な死者の数は私も分かりませんが、戦いの間食べ物も無く飢餓や病死も含めて沢山の死者が出て、生存率がとても低かったそうです。(勝てる見込みの無い過酷な戦いだったとか、、、)生きて帰ってくる事が出来ない人がほとんどの中を、おじいちゃんは生きて帰ってきました。

仲の良かった友達が、さっきまで会話をしていたのに目の前で無惨に死んでいくような状況を生き延びて、命からがら帰ってきたんです。

(この時の事は、私もまた整理してもう少し詳しくブログでも書かせてもらいたいなと思うんだけれど)

 

戦争での記憶は、おじいちゃんの心に傷を残して、きっと死ぬまで消えなかったと思います。

戦争で、苦しくて、その時どんな気持ちだったのか、戦争が終わってからの日本でどんな気持ちで生きたのか、想像はできても、とてもじゃないけれど実感は持てません。

今の自分では、そんな状況に身を置いた事もない私が、そうなった時にどんな行動を取るのか全く検討が付きません。ただ終戦記念日には、「終戦」「戦争」そういう文字を目にすればおじいちゃんの事を思い出すし考えます。

どんな気持ちだったのか、なんて、もしおじいちゃんが生きていても訊けるのかどうか分からないと思う。訊いていいような事なのだろうかとか、、、聞けたとして私に今何が出来るのか。

思い出すのも辛いような、出来事だったんだろうな、一生それを抱えながらおじいちゃんは生きていたんだろうなと、考えるくらいしか私には出来ません。

 

おじいちゃんが私に残してくれたのは、私のこの命と、今の平和な日本という国です。

父と母から私は生まれた。その母は、祖母と祖父から生まれた。

おじいちゃんが戦争から生きて帰ってきてくれたから、私はこの世に存在しています。

私がいつも凄くちっちゃい事で悩んだり出来るのも、この命があってこの安全な国の環境の中で生きていられるから。その事を今再確認。

 

今北朝鮮のミサイル問題とか、ニュースで見てて、戦争なんて怖いし、とにかく口喧嘩で終わらせて欲しい、戦争なんてしないで下さいと願います。

今この瞬間、自分に関わる目の前の生活の範囲の、言ってしまえば小さい事とも捉える事の出来る問題に気を取られるのだけど、知らないだけで本当は自分にもの凄く大きく関わっている事が沢山あって、そういうのをただ私は何も知らないんだな。

知らないけど、もっと知りたいなとか、知らなくちゃいけないなとかは思うんだよね。

政治の事とか、私一人の力ではどうにも出来ないものなのかなって認識はあるけど、じゃあ逆に自分に出来る事が何かあるのかもって、そういう風にちゃんと考えたこと無いから。

平和が有り難いから、平和であって欲しいし、平和を守りたいって気持ちはある。

今後の生き方の中で、じゃあその為に自分に何が出来るかってところまで、掘り下げられるか。

 

自分の過去の事を振り返ってみて、更におばあちゃんおじいちゃんの生きてきた時代を振り返って、そして父や母の生きた時代もあって、そこから現在に戻って考えると、

とにかく今私に出来る事は自分の生き方と、自分自身としっかり向き合って今の時代を生きていく事しか、ないかなと。まずはそこからです。

 

1945年8月15日 正午 玉音放送。

戦争で亡くなった沢山の方々のご冥福をお祈りします。

そして今この瞬間に感謝します。