↑石川県小松市。初詣に行った神社。




みなさま、あけましておめでとうございます⛩🌅🎍



しかし、おめでたいとは言いがたい2024年の幕開けとなりましたね。



みなさんはいかがお過ごしでしょうか?



元日、我が家は夫の実家の、石川県小松市にいました。


ものすごい揺れを経験しました。



(今は、私の実家の鳥取に帰省してきていて、これを書いています。)







この経験が誰かの役に立つといいと思い、


書かせてもらおうと思います。




当日、私と息子(小2)がとった行動をメインに書きたいと思います。



↑前日の12月31日は、私の44歳の誕生日でした。(ケーキ屋さんにロウソクもつけてもらったはずが、さがしてもなくて、仕方なく仏壇からロウソクを拝借しました🕯️)




12月31日から帰省していました。1泊2日で東京に戻る予定でした。




元日は、朝起きて、お雑煮を食べたあと、息子と夫は、スキー場にソリをしに行きました。


ウェアも何にも用意してないのにスキー場に行くなんてやめてほしい私と、俺の方が詳しいという夫。朝からもめました。



もう知らねーと思って、わたしは1人でイオン小松の初売りに行きました。



↑結局普段通りの格好でソリをしたらしいです。🛷




イオンまで夫の実家から徒歩25分かけて行って、


フランフランのグッズやら、3分の1の値段になっていたカバンやら買って、


お昼も1人でスパゲッティ🍝をたべて、


お正月最高😃って思いながら帰ってきました。




イオンは元日だったからか、空いててすごく買い物しやすかったです。








歩いて行ったこともあって、



家の近くにこんなマンションもあったんだ。へー。



とか思いながら帰ってきました。




お昼過ぎに家に着くと、もう夫と息子は帰っていて、うどんを食べていました。


小松は「小松うどん」が名物だそうです。




午後3時ごろに3人で近所に初詣でかけました。


3時なのにお参りの人で大行列でした。



帰ると、ちょうど親戚4人がきていて、宴会が始まりました。



息子はこま回しを披露しました。こま回し10級までの技をやってみせました。



そんなこんなでワイワイやってると、






夕方16時ごろ、




↑一番初めに感じた、ゆっくりとした揺れ。この時だけ動画を回してました。



築50年、木造2階建てがゆっくりゆれ、


揺れがおさまると、おさまったと思って動画撮影をやめました。


(私たちは1階にいました。)



動画撮影をやめて3秒ぐらい?してから、


親族みんなのスマホから、


一斉に緊急地震速報の物凄い大きい音がわんわん鳴り響きました。




速報がなり始めてすぐに大きく揺れました。


感じたことのないものすごい揺れ。



ガダガタガタガタ



大きく細かく激しい。



揺れ出してすぐに、私と息子は目の前にあったちゃぶ台みたいな小さなテーブルの下に、


頭と肩あたりまで入りました。


小さなテーブルなので、全身は入りません。


ダンゴムシみたいに丸くなりました。




揺れがなかなか止まらない。


ハタチの姪(めい)はこわいー!とさけぶ。


息子も何度もこわいー!と何度も叫ぶ。



(こわすぎて思いっきり叫ぶ感じではない。でも叫び声。人の叫び声を聞いていっそう恐怖が増した。人の叫び声がいちばんこわい。)





パニックでテーブルから頭を出そうとする息子。


私は、だめだよ。と言ってテーブルの下に頭を戻させました。



棚から置物の小さい物がおちてくる。幸い家具は倒れてきませんでした。




息子をなだめながら、


(大丈夫だよと、背中をトントンしていたような。記憶が定かではない。わたしの声は冷静でした。冷静な声を作って出していたような。)


ただただテーブルの下で床をじっと見つめていました。



夫はずっとリビングの中でウロウロしている気配。

(揺れ始めるとウロウロする人は結構いるそう。夫はそのパターンの人でした。)



そのうち夫が、リビングからすぐ近くの玄関に行き、そのまま外に出て行く気配を感じて、


息子も後について走っていき、わたしもそれについて走って外に出ました。


外に出たら揺れはすぐおさまりました。



すぐにスニーカーのまま(スニーカーをわざわざはいて外に出た記憶がない)、


玄関を上がってリビングに戻り、


(家の中にはガラスの破片が散らばっていた)







テレビでは「津波警報」が出ていた。







私「避難しましょう!水分持って!!早く!!!!」



みんな「どうしよう、、、」といった雰囲気。誰も何も言わないし、動こうとしない。




私と息子は避難する気満々だったので、


テーブルの上にあったお茶のペットボトル一本と、


私と息子のダウンジャケットと、貴重品が入ったカバンだけ持って、



さっきイオンから帰る時に見つけたマンションに2人でダッシュした💨










そのマンションには近所の人や、小学生がほぼ同時に、やはりダッシュでかけつけていて、


階段を登れるところまでかけ上がった。





5階か6階建のマンション。上がれるとこまで上がって、踊り場で待機した。もちろん外。







もの凄い緊張と不安。






そこにいたのは、私と息子、


他にはお母さんと保育園の娘さんの親子、


小学生2人の男子、中学生ぐらいの女の子1人、そしてその両親。


50代の男性は1人で避難してきた様子。




合計4家族がその階にいた。(下の階にも何人かいた様子。あとで降りる時にきづいた。)






高学年の男の子は、緊張と不安で落ち着かない様子でずっと1人で何か言っていた。





他の人も言葉数は少ない。




保育園の子のお母さんは、「寒い格好で来ちゃったね。ごめんね。」と子どもに言っていた。


防寒具をもって出る暇もなかったのだろう。


夕方16時。寒い。






これからどうなるのだろう。ものすごい恐怖。







体力を使いたくないので、座る。でもアスファルト。冷たい。



立ったままの人もいた。






町は静まりかえっている。






時々遠くの方から、避難警報のサイレンがウーウーと鳴る。


救急車も時々ピーポーピーポーと何台か通る。


まわりの家々から、たまに非常ベルがヂリヂリ鳴る音が小さく聞こえる。






その音だけしか聞こえてこない。ほんとに静か。





(神社にあんなに人がいたのに、みんなどこにいたんだろう。)





余震が来るたびにみんなで低くなって頭を抑えた。(他の人が頭を抑えていたかどうかは分からないが、たしかそんな雰囲気だった)




わたしはスマホの明るさを最大限暗くし、

津波の情報を取った。




すでに津波はいくつか到達しているようだった。








予想5メートル。




小松市の海抜を検索した。


2メートル。。。。



このビルは高さ何メートルなんだろう。




小松市は、石川県のどのあたりなのだろう。


地図を検索する。



海から近い。。。








恐怖しかない。







地震情報の地図を見て、


なんで私のいるとこだけ警報なんだろう。。。






なんとも言えない気分になった。





息子は大人しく座っているけど、怖がっている。



大丈夫だよと言いたいけど、それで安心した瞬間に何かが起きたらと思うと、簡単には言えない。




息子はとにかく私を気遣ってくれた。


手袋🧤も、「ママ使って。ぼくはこれがあるから。」と、言った。(これが何だったのか思い出せない。)


カバンの上に座ったら?と言っても、


「カバンは(揺れたら)頭にママが乗せて。ぼくはこれ(ジャンパーのフード)があるからいらない」と。



こわいこわいと言いながら、とてもやさしかった。





私は、まわりのひとに、なんとなく「本当は今日の夜の飛行機で東京にもどる予定だったんです。」と、伝えた。



やはりまわりの人は地元の人だった。



50代の男性は、防波堤がどうのこうのとか、この地域のことを教えてくれた。


親切だった。



手ぶらで避難したようだったので、水分大丈夫ですか?とさしだしたら、大丈夫との手振りでした。





ママさんの1人が、イオンに行ってた知り合いは屋上に避難したようだと言っていた。屋上は駐車場。





日も暮れ始めて、気温も下がってくるなか、





みんな口数もだんだん増えてきて、「地震からちょうど1時間がたちましたね。」といったら、




誰からともなく、みんな降りて家に帰って行った。






44年生きてきて、味わったことのない1時間だった。


こんな時間はもう2度と経験したくない。





飛行機が、飛ぶか分からない中、帰り支度をした。


電車なら動いてるかと思って、小松駅まで行ったけど動いてなかった。


夕飯時で、けんとにごはんたべさせなきゃ、と思ったけど、セブンイレブンもしまっちゃってるし、


隣のカフェなら営業してるかなとおもって、店員さんに、


「営業してますか?」ときいたら、


「してません!」とキレられた。


そのまま家に戻った。



↑小松駅前の様子。ここだけだなく、家に戻るまでの間、がれきが何箇所かおちてきていた。



夕飯の時間だったし、体力を落としたくないので、とにかく食べなきゃ!と思い、


わたしと息子のご飯をキッチンを借りて作った。



卵とソーセージをやいた。あとは白ごはん。


パクパクたべていると、義理の妹(わたしより年上)に、よく食べれるね、と言われた。



みんなダラダラすごしていた。



けんとは、ご飯いらない、ラーメンがいいというので、ラーメンをつくってたべさせた。


けんとも、少し元気が出たみたいでよかった。



家にペロちゃん🐕を一泊だからと置いてきちゃったし、千葉にはヤギがいるしお世話しないといけないし、


夫はどうしても帰りたいらしく、義理の父の車を借りて、


3人で夜7時40分ごろ出発し、夜中の3時に東京に着いた。


(近所のホテルに電話したけどつながらない。物が落ちてきてたりして、受け入れる状況じゃなかったのかも。)





途中、石川に向かう緊急車両と思われる大きな車ともすれ違った。


途中のサービスエリアで、カツカレー🍛を食べた時間がとても平和に感じられた。




ここまでの間に思いっきり泣きたくなる瞬間が何度かあった。


でも泣いてない。ほんとは泣いて発散させた方がいいんだろうな。




長くなりましたが、読んでもらってありがとうございました。


ここからは、わたしの個人的な感想です。あくまで私の意見です。



津波警報が出た時に、すぐに避難できたのは、


日頃から地震情報を気にかけていたことが大きいように思います。心構えができていたように思います。


大きい地震の前って、日本全国の1日の地震回数が減ってくるんですよね。


年末から3日間くらい減り始めてて、大丈夫かな?石川よくゆれるしな。まあ、一泊だし大丈夫だろうと思っていたらこうなりました。どこで揺れるのかは分かりません。たまたま石川でした。


トルコ大地震の前は、10日連続地震回数が減っててさすがにやばいんじゃないかと、フラダンス の発表会で踊りながら気になってました。その日にトルコの大地震が来ました。この時は日本ではありませんでした。どこで揺れるのかは分かりません。



あと、私を担当してくれてる美容師さんが、東北出身で、実家に帰ったときに、


「津波ってこんなところまで来るんだって、すごいびっくりしました」


って言ってたのが記憶に残ってて、海岸から遠くても油断できないんだって思ったのもあります。



あと、地震系YouTubeで、水が一番必要って知識もあったので、水はすぐに持ち出せました。


あと思ったのは、揺れ出したら、すぐに近くの公園とか、なにも倒れてこないような場所にいちもくさんに避難するのが一番いいのかとか思いました。


家の中にいるのが本当にいいのか。分かりません。


震度7だと動けないってきくし、ほんとに何がいいのかわかりません。


今回私が体験したのはおそらく震度5くらいではないかと思います。


あと、ペット🐕を東京の家に置いてきたので、今回の場合に備えて、近所の人に家のかぎをあずけておこうと思いました。ペットのお世話を一時的にやってもらうためです。



あとは、知らない土地に行ったら、どこに高い建物があるかあらかじめチェックしておくことも必要だと思いました。避難できそうなビルです。




↑東京の家に着いて、真っ先に息子が書いた物。2枚同じものを書いて、1枚渡されました。カバンに入れておいてと。


「地震がおきたときはこれおぼえて


1️⃣水をもつ かばんを頭に乗せる

2️⃣火は無理に消さない

3️⃣つなみがきたら高いとこにいく

4️⃣落ち着く 深呼吸


たいさく」


だそうです。YouTubeで勉強したのでしょうか。



↓わたしがよく見るYouTubeです。一人で熱心に研究されてて、とても愛のある発信をされています。



↓地震回数の減少はこちらでチェックできます。1日の地震回数が3回の日が続くと要注意です。



合唱とは関係ない投稿でした。新年からこのような投稿からはじまるとは思ってもみませんでした。



あらためて、生かされた、真剣に生きようと思いました。



よんでいただいてありがとうございました。



この経験が誰かの役に立つとうれしいので、よかったら知り合いなどに送ってもらえるとうれしいです。



はやく元の石川に戻りますように。



↓合唱団のホームページはこちら。生まれたての赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで、どなたでも参加できます。どこに住まわれていても参加できます。春には大きなステージも控えています。ぜひ一緒に歌ってください見学大歓迎です。