ここまで、犬と猫における透析の意味、適応、そして猫で特に難しい理由について書いてきましたが、
最後にどうしても触れておかなければならないのが、「透析には限界がある」という事実と、
「透析をしない」という判断もまた医学的判断であるという点です。
つまりはそれでもやりますか?ってことを僕らじゃなくて
飼い主さんにも判断基準を持っといて欲しいんです。
僕がいつも疑問に思うのは
医者にかかれば治るもんだと思ってる方が多いということです。
8割は思ったとおりにいかないと思ったほうがいいです。
医療ミスについて責めすぎる人も、あなたは今まで仕事で一度もミスしたことないんですか?と思っちゃいます。
もちろん擁護できない部分はありますが、手術すりゃ治るとか抗がん剤やれば長生きできるとか
そんなんやってみないとわからんです。
だから「やらない」ってのも立派な選択です。
今年ばあさんが死にましたが
痛み止め以外の一切の医療行為を拒否した最後でした。
ああ僕の遺伝子ってここから来てんだなとも思いました。
生き物は必ず死ぬってことから目を背ける人が多すぎる気がするんです。
もっと各々明確な基準を持つべきです。全員に平等に訪れることなので。
さあいきますか。
透析は腎臓の代わりに老廃物や余分な水分を除去し、電解質や酸塩基のバランスを整えることができますが、
壊れた臓器そのものを治す魔法ではありません。
腎臓が回復する見込みがある急性腎障害や、中毒のように原因物質を抜けば体が立て直せる病態では、
透析は非常に強力な治療になりますが、全身状態がすでに不可逆的に崩れている場合や、
複数の臓器不全が進行している場合には、透析を入れても予後を大きく変えられないことがあります。
エビデンス上も、重度の循環不全、制御不能な出血傾向、極端な低体温、深い意識障害を伴う症例では、
透析による救命率は低く、合併症のリスクが上回るとされています。
特に猫では、透析自体が循環に与える負荷が相対的に大きいため、
「透析するかどうか」と「する意味があるかどうか」を分けて考える必要があります。
透析が技術的に可能であっても、その子が透析という侵襲に耐えられるのか、
そして透析後に回復期へ移行できるだけの余力が残っているのかを冷静に見極めることが重要です。
慢性腎臓病の末期で、長期間にわたって食欲不振、体重減少、重度の貧血、低アルブミン血症が進行している場合、
透析によって一時的に数値が改善しても、その後の生活の質が大きく改善しないことも少なくありません。
このようなケースでは、透析をしないという選択が「何もしない」ことではなく、苦痛を最小限にし、
その子らしい時間を守るための積極的な医療判断になることもあります。
透析を行うかどうかの判断は、数値だけでは決まりません。
飼い主さんが何を大切にしているのか、その子にとっての「回復」とは何を意味するのか、
どこまでの侵襲を許容できるのか、こうした価値観の部分が必ず関わってきます。
医学は選択肢を提示することはできますが、正解を一つに決めることはできません。
透析は「できるからやる治療」ではなく、「やることで何が得られ、何を失うのか」を共有した上で選ばれるべき治療です。
だからこそ、透析を提案する側の獣医師には、期待できる効果だけでなく、
限界やリスクも正直に伝える責任がありますし、透析をしないという決断を尊重する姿勢も同じくらい重要です。
透析という治療は、小動物医療においてまだ特別な印象を持たれがちですが、
本質的には「壊れた機能を一時的に補うだけの時間稼ぎの医療」です。
その時間をどう使うか、回復に向かう時間にするのか、穏やかに過ごす時間にするのか、
それを決めるのは医学だけではありません。
この4回のシリーズを通して伝えたかったのは、透析は希望でもあり、同時に限界を持つ医療であり、
そのどちらも正しく理解した上で初めて選択肢になるということです。
透析をするかしないか、その判断に正解はありませんが、
「考え抜いた選択」であれば、それは間違いではないと、僕は思っています。
では。
みなさまこぞって参加しましょう。
