それでも大丈夫

それでも大丈夫

炭鉱のカナリアのように、敏感に。

随分、前回の投稿から時間が経ってしまいましたが、

久しぶりに書いてみます。

元日に能登半島で大地震、大津波が起き、なかなか

明るい気持ちになれませんが、先日、

第45回赤松小三郎研究会に参加してきました。

昨年秋に日比谷で開催された町田明広先生の講演会の

振り返りと赤松と佐久間象山との交流についての講演が

ありました。

私は、史学科の同級生からの今年の年賀葉書に

日本史別天地『合情記脚本集』を購入して読んでくれて

赤松小三郎を英傑と呼び、

「明治維新の見方にも変化が生まれた。」と

書いてあったことが嬉しく、それも励みに今年も

赤松のことを広めていこうと思いました。

軍事の専門家としての赤松が幕末に感じた焦りと

苛立ちは、その後の憲法構想につながっていたと

思います。

今、憲法を改正したい、国民投票をしたいと

言う人がいますが、その変更したい内容は150年前に

赤松が提唱した「立憲的で民主主義的な憲法」よりも

ずっと独裁的で、後退したものと言わざるを得ません。

私は、憲法改正の発議を阻止したいと思います。

 

 

これから開催予定の講演会のお知らせを

二つ。

これから、多くの樹木が伐採され、

明治以来の歴史が軽視される

日比谷図書文化館で開かれます。

お時間のある方はいらして

ください。





6/10に開催された「赤松小三郎研究会」に参加して来ました。

防長回天史に記載のある赤松の建白書の

研究発表、赤松とジョセフ・ヒコの名前で

知られる浜田彦蔵の比較についての発表がありました。

松平忠固の業績を広めるための関良基先生たち

の活動の新聞記事のコピーもいただき、

日本史別天地のチラシもお配りしました。

会員の中で「なぜ、第二次世界大戦に日本が参加したのか」を研究している方から「回天」のことが出て、「天を回して、局面を変える。形成を一度に変える。という意図で投入された兵器ではないか」などの意見が出ていました。

敗戦が濃厚になった時の日本の精神論に基づく戦争継続の国策を思うと今の日本のマイナンバーカードや国防論の無謀さが改めて懸念されます。

今こそ松平忠固の合理性と情に基づく政治が再評価されるべきなのではないでしょうか?