みなさんの投票をお待ちしています 

ここをクリックして頂けると、人気ブログランキングに投票されます


皆さんこんにちは。人事担当副部長 高橋ですきらきら!!1月ももう15日、早いですね。早速、看護部長さんから記事をいただきました。


あけましておめでとうございます

暖かなお正月門松2、皆様はいかがお過ごしでしたか? 私は家の前でキャッチボールをするなど穏やかな正月門松1を過ごしました。

ところで、暮れに京都に行ってきました。錦市場は活気みなぎるにぎやかさでした。今回の京都行きはある本との出会いから始まりました。伊勢佐木町の有隣堂のワゴンセールの本をいつものように何気なく覗くと、『聚楽第梅雨の井物語』という本を見つけました。もちろん豊臣秀吉が関白公邸として建造し、みずから破壊した聚楽第の事を書いた本です。



聚楽第の跡地はその後の歴史の中でどうなったのか?「梅雨の井」という今は住宅地の草むらの中にある枯れた井戸を巡って語られています。江戸時代を経て、明治以降の京都の町の変化を描いており、今回はその古地図にある場所を尋ねて本当によく歩きました。


 

本の中で、私が最も驚いたのは、京都は町の番組を生かして明治維新後すぐに日本で最初に小学校を地域ごとに開設していったことです。その小学校の役割が地域のコミュニティーの中心としての多機能なことが凄いのです。役所・町村議会・駐在所・消防詰所・保健所・生涯学習センターを合わせたような機能です。驚くべきことです。それを経済的にも町が支えていたのです。明治の京都の人々の生活はすべて小学校が中心となって整備されていったのだと知りました。

 地域包括ケア時代に、「孤独にならない、孤独な人をつくらない」ことを目ざして、地域の交流や医療介護の交流を目指している今、実は明治の京都にそのモデルがあったのかもしれないと驚きました。市井の先人に学ぶことは沢山あるように思います。

みなさんの投票をお待ちしています 

ここをクリックして頂けると、人気ブログランキングに投票されます