こんにちは。
横浜市立みなと赤十字病院 看護師 Yoshiki です。
病棟広報担当者の方々が1名ずつ誕生し、各部署から病棟紹介が順次記事としてアップされています。各部署の現場発信のブログは、広報担当者の方々のお力をお借りするとして・・・
私たちコアメンバーは、これまで通り、それら以外の網目を密にするがごとく、時事ネタや部署以外のことで院内看護部全体を見て、いろんなところにスポットライトを当てて、ブログに紹介していきます。
なにぶん、メンバーを増やしたということは、まずは体制を安定させねば・・・
これまで同様、看護部副部長、師長さんをはじめ、コアメンバーJUNJIと、新しくメンバーを引き受けて下さったくぼたさん、まみやさんとともにがんばっていきますので、よろしくお願いします。
さて。
私が救護班として岩手に行っていたときのことを書きます。書く、書くといってなかなか時間がなく、遅くなってしまいました。「いつ救護のことを書くのか」と最近院外の方に言われ・・・なんとかたどりつきました。待っていて下さるのは、嬉しいことです。遅くなりまして申し訳ありません。
日本赤十字社の救護活動に対してさまざまな意見がある方もあるということを知った上で、横浜市立みなと赤十字病院から派遣された、ある救護班の1例の活動記録として見ていただけると助かります。
震災直後数時間で出動した日赤D-MAT、初動班。その後、2班目、3班目…と、岩手、宮城、福島とさまざまな場所に派遣をされています。また、単身での石巻赤十字病院の救急外来スタッフ支援、助産業務スタッフ支援、こころのケアとしてさまざまな病院から寄せ集めて避難所に出向したスタッフもいます。いろんな方々が、さまざまな役割で出向き、その時期、その場所に必要な支援を最大限にできるよう、情報や物資の少ない中で活動させて頂いてきました。そして、まだまだ日本赤十字社全体として、救護班の派遣を行っております。
私たちは、4月8日~4月13日の5泊6日のミッション。ちょうど1カ月経過した震災後慢性期といわれる時期に、岩手県のある学校の避難所に参りました。
「へ~意外と短いんだね」という印象を持たれることがありますが、救護班員も少なからず、被災地で精神的にも、身体的にもいつもと異なる環境で任務に就くため、「被災」という言葉が正しいかどうかは分かりませんが、いつもとは異なる「ストレス」を知らず知らずに受けてきます。
「惨事ストレス」という言葉がありますが、それらを最小限に抑え安全に救護活動が行えるためには、順次救護班を入れ替えて活動する必要があるのです。
ちょっと私の救護の話は、長くなるおそれがありますので・・・今日は「出発」という題名で、出発準備の資材の写真、私の救護班員用のバッグの中身、出発式の写真でした。(実際には、まだ出発してないですね…。)
次回は、出発後の車内の様子です。岩手に到着するまで…車内12時間。道中の話やボランティアさんのことをお伝えします。
では、また!