メンタルヘルスの世界は白いという印象です。
白くなりたい人。
白く見られたい人。
白さを誇張する人。
専門家が説くことも白いことが多いという感じだし
その白さの先に救いがあることになっているイメージ。
自分自身を色で例えるならグレーか黒ですね。
その色であって良かったと個人的には思っています。
『 闇 』 とか 『 病み 』 ってよく多用されるけど
傍からみたら、やっぱりあなた白じゃん。 ぐらいなものかな。
本当に黒かったら、自分自身のことでなんて苦しまないのだから。
だから 白くにしか見えないですね。
で、 白くなれないことで藻掻いている。
そんなに白くなる必要は本当にあるんだろうか。
もしくは、白い自分をそんなに黒塗りする必要はあるのだろうか。
もしくは、そんなに白くさせようとする必要はあるのだろうか。
そんな感じ。
うつ病を抱えている人を取り囲む支援する側の人は
抱えている人と同じ目線で物事を見たり考えたりする人。
医者もそうだし、カウンセラーやメンターなども同じ目線から。
支援施設、支援活動に携わるその他の人達も同じ目線から。
色で例えるなら、やっぱり白だし 思考も見ているものもやっぱり白だ。
じゃあ、社会はどうだろうかというと
白い人もいれば、グレーの人もいるし黒い人もいる。
グレーなこともあるし黒いこともある。
当然、白い人に囲まれてうつ病が良くなって社会復帰出来たとしても生き難い。
グレーや黒に触れれば色はだんだんと変わってしまう。
白が想定するグレーや黒との交わり方はやっぱり白い。
だから実際に触れることになれば火傷してしまう。
私、治りました! と言っている割に
ぐらぐら揺れていたり沈んだり、ぶり返してしまっているのはどうしてか?
で、それが結局 弱いから。自分がダメだからということになってしまっている。
他の人がどうかは知らないけど
傍で支える者としては、同じ目線からも見るし その逆側からも見ますよ。
そのためにはグレーも黒も見えていなければいけないと思っています。
社会復帰までのリハビリ相手でもあるし、橋渡しもする。
渡した後のケアや管理もする。
こう書いてしまうと難しい印象になってしまうけど
やることはそんな大したことではなく、一言で言えば
これも 『見守る。』 ということに含まれることだと思います。
だから、加減をみながら肯定することもあれば否定もします。
グレーにもなるし黒にもなりますよ。
反対側の目線からその先を考えられるのは支えている人だけですよ。
別に 『 白 』 になれないからって、支えている人には苦しまないでほしいですね。