(前回記事)

現代史(2) 植民地日本国のある実態例
2023-02-23 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12790527547.html
日米安保条約とは、毎朝米軍キャンプが発するパスワードが無ければ、日本の戦闘機1機をも飛ばすことはできない仕組みになっている。

 

今回は、前回の続きである。

なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか

…その「衝撃的な理由」
『知ってはいけない』

2/22(水) 現代ビジネス 矢部 宏治

https://gendai.media/articles/-/105795


(前文省略)
日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。

 

そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。

 

最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。

*本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。(中略)

 



そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」一九八三年一二月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。


○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。

そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。

《北方領土問題が解決できない理由》 
さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。

そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

二〇一六年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年一二月一五日・一六日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局一一月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、

「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」

という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。(註)

 

(註)それまでの安倍晋三首相は、プーチン氏に北方領土には米軍基地を置かない方針を伝えているが、それは安倍個人の希望であって、米軍の了解を得た訳ではなく、一種の暴走である。それを抑止すべく、わざわざ谷内氏がモスクワに飛んだのである。

その報告を聞いたプーチン大統領は、一一月一九日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、

「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」

と述べたことがわかっています(「朝日新聞」二〇一六年一二月二六日)。


ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、一ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、

「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」

などと返答していたら、彼は、二〇一〇年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。(註)

 

(註)然し、再度申すが、安倍は既に暴走していた。

プーチン氏「日本の決定権に疑問」北方領土と米軍基地
モスクワ=喜田尚 2018年12月21日

https://www.asahi.com/articles/ASLDN6G0TLDNUHBI02R.html
 ロシアのプーチン大統領は20日に開いた年末恒例の記者会見で、ロシアが北方領土を日本に返した場合に米軍基地が置かれる可能性について、「日本の決定権に疑問がある」と述べた。

 

だが安倍晋三は米軍を無視し、プーチン氏に北方領土には米軍基地を置かない方針だと伝えているが、プーチン氏は実効性に疑問を呈した形だ。(以下省略)

 

この一時的だが、かってのロシアでの安倍晋三の独走に米軍が黙っているはずはない

 

奈良で選挙応援に急遽駆け付けた安倍晋三元首相が銃殺されたが、米軍指揮下、射殺の場所を提供したのが本部長が岸田、本部長代行が麻生の自民党選挙対策本部で、無論、狙撃犯は警視庁警備部警備第一課に所属特殊急襲部隊(SAT)狙撃班員である。山上ではない。

《「戦後日本」に存在する「ウラの掟」》
私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。(中略)

 

「リアル陰謀論」

「日本の超エリート官僚というのはね、実は月に二度ほど、都内にある米軍基地などで在日米軍のトップたちと秘密の会議をしているんだ。それで、そこで決まったことは国会に報告する義務も、外部に公表する義務もなく、事実上ノーチェックで実行することができる。

つまりその秘密会議は、日本の国会よりも憲法よりも、上位の存在というわけさ」

などといわれたら、確実に、
「コイツはおかしいから、つきあうのはやめよう」
と思ったはずです。

「これが陰謀論者というやつか」
とも思ったことでしょう。

けれどもそういう「リアル陰謀論」とでもいうべき世界が本当に実在することが、いまでは広く認知されるようになりました。

それが日米合同委員会(註)です。

 

(註)民主党政権の鳩山由紀夫首相は、毎月定例の日米合同委員会開催を拒否。

 

怒った米軍は、マスコミを使い、鳩山首相と小沢幹事長の疑惑をでっち上げ、更に東京地検まで動員させ、鳩山・小沢が退陣するまで喧騒。

 

処が、退陣後はそれらは虚偽であることが証明されるも、東京地検も、あれほど騒いだマスコミも知らん顔。

 

今、アメリカでは、同様に、トランプ元大統領の人気を落とすため、陰でバイデンがトランプに色々と難癖をつけて起訴した。2023/4/4


《米軍の「リモコン装置」》
日米合同委員会というのは、その研究の第一人者であるジャーナリストの吉田敏浩氏の表現を借りれば、

「米軍が「戦後日本」において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」

ということになります。

占領時代、米軍の権力はまさにオールマイティ。日本の国内法など、何も関係なく行動することができました。どこでも基地にして、いつでも軍事演習をして、たとえ日本人を殺したりケガをさせても罪に問われない。

そうした圧倒的な特権を、日本が独立したあとも、「見かけ」だけを改善するかたちで以前と変わらず持ち続けたい

 

──そうしたアメリカの軍部の要望を実現するために、「戦後日本」に残されたリモコン装置が日米合同委員会だというわけです。

この組織のトップに位置する本会議には、日本側六人、アメリカ側七人が出席します。月にだいたい二回、隔週木曜日の午前一一時から、日本側代表が議長のときは外務省の施設内で、アメリカ側代表が議長のときは米軍基地内の会議室で開かれています。

おそらく横田基地からなのでしょう。木曜日の午前一一時前に、軍用ヘリで六本木にある米軍基地(「六本木ヘリポート」)に降り立ち、そこから会議室がある南麻布の米軍施設(「ニューサンノー米軍センター」)に続々と到着する米軍関係者の姿を、二〇一六年一二月六日に放映された「報道ステーション」が捉えていました。

《日米合同委員会に激怒していた駐日首席公使》
この日米合同委員会でもっともおかしなことは、本会議と三〇以上の分科会の、日本側メンバーがすべて各省のエリート官僚であるのに対し、アメリカ側メンバーは、たった一人をのぞいて全員が軍人だということです。

アメリカ側で、たった一人だけ軍人でない人物というのは、アメリカ大使館の公使、つまり外交官なのですが、おもしろいことにその公使が、日米合同委員会という組織について、激しく批判している例が過去に何度もあるのです。

有名なのは、沖縄返還交渉を担当したスナイダーという駐日首席公使ですが、彼は、米軍の軍人たちが日本の官僚と直接協議して指示を与えるという、日米合同委員会のありかたは、

「きわめて異常なものです」
と上司の駐日大使に報告しています。

それは当たり前で、どんな国でも、相手国の政府と最初に話し合うのは大使や公使といった外交官に決まっている。そして、そこで決定した内容を軍人に伝える。それが「シヴィリアン・コントロール(文民統制)」と呼ばれる民主国家の原則です。

ですから、スナイダーが次のように激怒しているのは当然なのです。

「本来なら、ほかのすべての国のように、米軍に関する問題は、まず駐留国〔=日本〕の官僚と、アメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません」


「ところが日本における日米合同委員会がそうなっていないのは、ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接的関係が、いまだに続いているということなのです」

 

(「アメリカ外交文書(Foreign Relations of the United States)」(以下、FRUS)1972年4月6日)

《日本という「半分主権国家」》
このように当のアメリカの外交官にさえ、「占領中にできあがった異常な関係」といわれてしまう、この米軍と日本のエリート官僚の協議機関、日米合同委員会とは、いったいなぜ生まれたのでしょう。

詳しくは本書の後半でお話ししますが、歴史をさかのぼれば、もともと占領が終わる二年前、一九五〇年初頭の段階で、アメリカの軍部は日本を独立させることに絶対反対の立場をとっていました。すでにソ連や中国とのあいだで冷戦が始まりつつあったからです。

しかし、それでもアメリカ政府がどうしても日本を独立させるというなら、それは、


「在日米軍の法的地位は変えない半分平和条約を結ぶ」(陸軍次官ヴォーヒーズ)

あるいは、

「政治と経済については、日本とのあいだに「正常化協定」を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(軍部を説得するためのバターワース極東担当国務次官補の案)

というかたちでなければならない、と考えていたのです(「アメリカ外交文書(FRUS)」1950年1月18日)。

この右のふたつの米軍の基本方針を、もう一度じっくりと読んでみてください。

 



私は七年前から、沖縄と本土でいくつもの米軍基地の取材をしてきましたが、調べれば調べるほど、いまの日本の現実をあらわす言葉として、これほど的確な表現はないと思います。

 

つづく