(前回記事)
心の履歴(152-2) 
カラスの行水のパタパタ
2009/06/22 著

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12748344655.html

(今回記事)
心の履歴(153) 
1980年代の防衛庁談合のこと
2009/06/24 著

1980年代、官公庁の入札では、業者間談合は当たり前の時代でした。
最大は、防衛庁(現 防衛省)関係でした。

何しろ、全施設対象でしたから。

家電大手二社も含めて八社談合。

と言いましても実質的には六社談合。
我社が自社も含めまして他の二社(共に東証一部上場会社)をも代表していましたから。

この談合会議には、本社営業企画部の川中課長が出席。
処が、川中課長、我社に有利な談合が出来ない。

他の五社の意見に納得してしまいます。
まあ、これが普通ですけど。

談合会議が終わって川中課長は東京駅から新幹線乗車。
会議の結果を聞いた山村部長、激怒! 

我社に有利な結論でないと烈火の如く!

新幹線に電話を入れて社内アナウンスで呼び出します。
「東京に引き返せ!」
更に「全談合メンバーを再度集合させよ!」

新幹線、東京から次の停車は名古屋駅。
名古屋駅からそのまま東京へバック。

談合メンバーを再度集合させ、一旦決まった事項を覆し、新たに我社に有利な条件に改変。

この事があってから、川中課長は色々な談合会議の後は東京に宿泊することになりました。

山村部長の川中課長への「全談合メンバーを再度集合させよ!」の激怒は度々ありました。


その都度、私は山村部長の鞄持ち。

平社員の私の鞄持ちは川中課長。

面白いものですね。

それから二十年弱後では、山村部長が常務取締役。
処が川中課長が専務取締役に。

この二十年弱の間、会社の躍進に多大な功績を挙げたのが山村常務。

反して、川中専務は社長へのゴマすりが最大の功績であり、同じ京都人だから馬が合う。

 

それと贈答品を貰うのが大好き。

川中専務に中元と歳暮を贈らない社員は出世出来ず。

尚、この談合は新聞で二度叩かれました。
この談合メンバー、1995年前後に解散したはずですが?

続いているかもしれません。

 

つづく