(前回記事)
心の履歴(148)
昔も今も贈答品には弱い
2009/06/08 著

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12746952147.html
 

(今回記事)

心の履歴(149)

人の豹変の契機とは
2009/06/10

BB第二課長の小川君の部下に高川君がいました。

 

洋子に意を決し交際を申し込むも、「あなたは私の趣味に合わない」と言われた男です。

 

小川課長は、私と同い年で生え抜き。
熱海の社員旅行で行動を共にした男。

この高川君、二浪して入ったR大新卒で入社二年目。「泣き虫の高川」と称され、叱ったらジワッと涙を浮かべる。

背広の襟とネクタイには常にシミ。
彼の住居は独身寮。と言っても戦前は小料理屋の木造建物。それを東証一部の広尾のAR社が購入して独身寮に。更にそれを譲り受けた物。


その寮とは、隣家のブロック塀との間には腰の高さの窓際まで週刊誌やゴミで堆積している代物。別名ゴミ屋敷。
余談を言えば、その時から十年後、取り壊して更地にする時に、このゴミだけで4トントラック二台もあったとか。

彼の膝の皮膚の中では虫がうごめく。

ダニである。
それを得意げに見せびらかす。
顔は吉本芸人のほっしゃん(星田英利)にそっくり。



その彼を新宿区文京区担当にしたのだから数字が上るはずはない。それに新宿区は、老舗メーカーN社の本社所在地で強固地盤。

 

彼の新宿区担当の意味は、渋谷区と同様、新宿区は商業組合に見放され、放棄に近い諦めと言うこと。

その彼の取得(とりえ)は、彼の出身大学の伝統「貧乏と生真面目」そのものである。

小川課長は彼をもて余しました。それに彼以外にも、数字の上らない部下を複数抱えていましたから。

「水無瀬君よ! 高川の面倒をみてくれ」
「そんなバカな。俺は平社員だよ。それにおまえの課とは部署が違うから駄目だよ」

「高川は君の言うことだったら素直に聞く。だがワシの言うことはちっとも聞かん。フンとあっちを向く。強く言ったら泣きよる。それにワシは他人を指導などするタイプでもないし、指導も出来ないから頼む!」


「おまえに頼まれたらしゃ~ないな。時間の空いている時だけなら」

以降、高川君は三階の私の所に度々訪問顛末報告に来ました。運転免許が無く歩き。でも真面目ですから訪問件数はこなしていました。

「どうしたら数字を上げれると思う?」
「新宿の婦人部長を落としたらいけます」
「よっしゃ、分かった。じゃぁその婦人部長を落とそう」

新宿の婦人部長とは、酒販店の女将で年齢は五十代。
小太り色白で聡明だそうです。

彼のこの半年の訪問回数は五回ですが話もしてくれない。いつも店の奥の円椅子に座っているのだそうです。

「これから毎週同じ曜日に訪問し、あと五回は門前払いされて下さい。その五回目が済んだら報告に来て下さい」

以後一ヶ月と一週間後、五回訪問を終わったとの報告。
「天気予報を毎日見て下さい。最後の訪問から十日後位が良いでしょう。朝は曇りで昼から雨の日に同行しましょう」
「??? 何故雨の日ですか ???」
「行ったら分かる」

やがて
「水無瀬さん、今日、昼頃から東京は雨との予報です」
おあつらえ向きの雷雨がやって来るというその日がやってきました。

彼を助手席に乗せ、外苑東通りの東側に停車。
広い道路の向い側が目指す婦人部長宅の酒販店。

停車位置は横断歩道から50mほど離れたバス停に近い場所。
雨が落ちてくるのを車中でじっと待ちました。

「契約書は持っているか?」
「カバンに入っているはずですが確かめます。でも今日契約できるのですか?」
「半々かな? ひょっとして、7:3かも」

待望の雨が落ちて来ました。

「いいか、バスが通り過ぎたときに車から出て全力で走れ! そのまま横断歩道を走って向かい側のあの酒販店に飛び込め!」


更に「走って停まるのは店の奥の婦人部長の座っている前だ!」

「150mも走るのですか? 雨に濡れた姿でびっくりしますよ。そんなこと、出来ません」

「これが君の人生の勝負だ。直ぐに婦人部長の前でこう言え。『婦人部長さんに是非お会いしたくバスから降りましたら、急に凄い土砂降りになりました』と」

「それからどうなるのですか?」
「行ったら分かる。但し、商売の話は一切するな! 雨の話だけにすること。濡れた顔等は拭かないこと。どうせ君のハンカチなんか汚いし見苦しい。」

雨脚がどんどん強くなりました。
「水無瀬さん、これじゃ、走っている途中でずぶ濡れになりますよ」
「未だダ! 未だダ!」

彼に再度念を押しました。

「いいかい、私はここで五分間待つよ。五分以上店から出てこなかったら上手くいったと看做(みな)す。そして私は会社に帰るよ。仕事があるから。」

空は急に暗くなり、ピカッ! ドッカァ~~ン! 
いよいよおいでなすった!

目の前の道路はアスファルトを叩く雨の白煙。
横断歩道の信号は青。
バスが目に前を通り過ぎました。

「よし!今だ! 行けぇ~!」
「今からですか?」 泣きそうな声と顔。
「ばか者! 早く外に出んかぁ~!」

彼は全力で約150mを走り、酒販店に飛び込みました。
あれじゃずぶ濡れだな。

私はにんまり。

五分経っても十分経っても彼は店から出て来ませんでした。私は車をUターンしてその店の出入り口が見える路肩に停車して待ちました。

雨は依然と激しく降っています。
四十分後に彼が店から借りた傘をさして出て来ました。
そしてバス停に向かって歩き出しました。

私は、車を彼の横に付け、彼を乗せました。
「水無瀬さん!水無瀬さん!びっくり!びっくり!」
「どうした? 何かあったのかい?」

「契約書に判子、もらえました! それに二台も!」
「それはおめでとう!」
「何か、夢のようです」

「濡れて行ってどうだった?」
「あのね、中に飛び込んで婦人部長さんの前で立った時は、水滴が頭から顔からボタボタ。そこで言われた通り話しました。会いたくて来ました!と。 -

- そしたら、婦人部長さんは奥からタオルを持ってきて『これで拭きなさい』と言ってくれました」

「お~、そこまではシナリオ通りだな」
「婦人部長さんが色々と私の事を聞いてきましてそれに返答しました」

「そこまで行けばしめたもの」
「婦人部長さんは、突然、契約書を出しなさい!と言いました。それから婦人部長さんが金額の書いてない契約書に判子を押して2台と書き、『誠意ある価格を記入して下さい』と言われたものですから- - - - 」

「2台もか!! 何ぼで契約したのかい?」
「それが安いです、2台で90万円です」

「『安売り王の高川』って課長にまたぼやかれるぞ!」
「感激のあまり、数字を記入する時は手が震えました。安過ぎるといわれたら、自分の給料で補填してでもこの契約は価値があると思いましたから」
そう言って彼の目から涙。

それからです。彼の目の色が変わりましたのは。

彼の仕事には色々と創意工夫が加わりました。
辛い営業職が、困難でも楽しい仕事に変わったのでした。

やがて、イッチョ前の営業マンになり、数字も上がりました。但し、「泣き虫の高川」だけは変化なしでした。

 

余談ですが、以降、高川君からは、毎年、年賀状がきます。これまで10年ほど私が年賀状を出さない年でも。それでも毎年、無論、去年も今年も。うれしいですね。

 

つづく

 

 

心の履歴30代①入社編:目次
2022-04-08

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