(前回記事)

心の履歴(385)
旅費交通費余禄の使途
2022-02-21 (2011/07/01著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12728061549.html

 

(今回記事)

心の履歴(北-追1)

誰も勤(つと)まらなかった仙台支店長
2022-02-22 (2013/01/12 著)

 

2008年2月でしょうか。
元札幌時代(1986年12月~1991年2月)の部下斎藤君から自宅に電話がかかってきて、本社に会議で来たから既に退職している私と一緒に飲もうというのです。
 
そこでその一年前と同様、高槻市の居酒屋がんこ寿司で飲むことにしました。

 

(前回会った時の記事)

心の履歴(322) 
人を育てるということとは
2022-01-07 (2010/09/17 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12719701708.html
 

彼は、仙台支店の支店長に昇進して一年経過していました。

支店長の管轄エリアは福島県を除く東北5県(青森、岩手、宮城、秋田、山形)です。

 

一通りの世間話や四方山話が終わった後、彼はぼやきました。それが一年前に会った時と全く同じく進歩の無い内容でした。

「東北の人間ってどうしようもないですね」
「どうしようもないって?東北全体の収支は合っていないのかね」
 
「そうです。何せこの一年間は魚住課長(元私の札幌時代に雇用した部下)の後始末で大変でしたから」
「ほう、魚住君が仙台支店で課長職をしていたのか」
 
「あの鉄砲玉のやりっ放しの性格ですから彼が去った後は小売店からクレームだらけ。本来の支店長としての仕事はできなかったですよ」
「そうだとしても彼は必死だったのでは? それでは青森や岩手、山形の営業所の結果はどうだったの?」
 
「それが全滅でした」
「そうか、

そもそも仙台支店は歴代、山田→平山→??→藤田→田中→田所→蒲田→??と8人が支店長を努めたが、誰ひとりとして通期(年間)に黒字を出した支店長はいなかったからね」

「そうだったのですか。それにしても所長達は水無瀬さんを皆慕っていますよ」
「私の札幌営業所長時代から、本社転勤以降も、次は仙台の支店長になってくれと東北の所長連中に請われていたのだよ」
 
「へぇ~、そうだったのですか。と言っても、あんなにひどいレベルの連中は北海道にはいませんでしたね」
「ちょっとその話、待って。私が札幌に着任した20年前の君達のレベルは、あの東北の連中より遥かに劣っていたのだよ」
 
心の履歴(247) 
ハイレベルなエリアに住むことに
2021-11-27 (2010/03/28 著)  

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712480465.html

 

続けて

「仙台での会議に出席する度、羨ましかったのですよ。東北の各県の営業所長や仙台支店の社員の質の良さにレベルの高さ。反して私の札幌着任当時の北海道の君たち社員は浮浪者に低能集団。月とスッポン。」

「本当ですか? 私も含めて全員そうでしたか? そんなはずはないでしょう」

「私の言うことが正しいかどうかは、当時仙台支店の総務課長をしていた松島君に聞いてみたら分かるよ。君たちがどんなに惨憺たる姿だったことを。」
 
「そうでしたか? まさか! そんなにひどかったですか?」
「成長した人間というものは振り返れば自分の劣等時代なんかはぼやけてしまうのだよ。そんな時代の自分を忘れたいと思うからそうなってしまうのかも」
 
「・・・・・・・・・・・・・」
「それにもう一つ。例えば、お店で代金を払ってお釣りをもらう場合、躊躇なく頭の中で引き算をしているだろう」

「えェ」
「あれは意識して引き算をしているのではなく、算数を小学校で習い、練習問題の積み重ねにより、いつの間にか足し算引き算が脳回路に組み込まれ、お釣りの時、無意識のうちに引き算をしているのだよ。自転車に乗れるようになったのも同様だよ。」
 
「・・・・・・・・・・・・・」
「お釣りの時、引き算が出来ない人とは、それは教えられていないし訓練もされていないから出来ないのだよ。それともまともな知能を持っていないとか。」
 
「でも東北の人は、普通の事が出来ないのです」
「他人に対して自分と同じレベルを求めたら間違いが起きる。私が北海道在職中、君達に年に何度か別途温泉一泊で教えたことは異例のことだったのだよ。だから君達の潜在意識は普通ではなく、特別な高レベルと考えるべきだね」

「そう言えば度々温泉で講習会をしましたね」
「君達にとって女子社員との混浴は楽しみだったはずだが」
 
心の履歴(328) 
男女社員の混浴の始まり
2022-01-12 (2010/10/11 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12596568430.html

「私はそうではありませんよ。一番喜んでいたのは確か魚住課長かな?」
「君達の脳には言葉としてはどの位残っているかは分からないけど、自然と戦略思考で物事を考えているはず。だが東北の連中にはその思考回路が全く育っていない」
 
「そう言われればそうですね」
「それが社員教育なのだよ。東北の支店長という立場とは、東北エリアの収支も当然だが、社員のレベルアップを図って事業拡大を図る責務も負うのだよ」

「然し、そんな時間はありません」
「時間で物事を見たら何も問題は解決されないよ。山本五十六が言っていたね。『やってみせ、いって聞かせ、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ』 と」
 
「やって見せて効果ありますかね、あの連中に」
「それを君が放棄したら永久に東北のレベルアップは出来ないね」
 
「本社の教育担当部署がやるべきではないですか」
「本社にそれを出来る者がいると思うのかね」
 
「いません」
「そう思うのだったら猶更君がやらなければならない」

「そうですか・・・・・・・・・・」
「そんなにしょげた顔をするなよ。㈱ウズマサの場合、現場の上司は部下に指導せず。と言っても『断られてもひたすら訪問する根性が全て』と怒鳴るのが唯一無比の指導かも。私の部下指導を寧ろ否定する取締役や管理職が大半だね」
 
「初めて聞きました」
「そもそも㈱ウズマサの前身は洛中(京都旧市街地)の工場で、従業員は住み込みの丁稚奉公。だから技術とか知識とかは教えられるものではなく、見よう見まねで盗み取るもの。これが伝統だね」
 
続けて
「反して私は本を読むから、入社一年目に東京支店に転勤したとき、当時の青葉支店長から『本を読む奴はろくな奴はいない。小理屈ばっかりで』とこき下ろされていたのだよ。」

 

更に

『ある時、青葉支店長が私にウズマサが出入り禁止を言い渡されていてシュアーが僅か1%そこそこの三多摩地方の商業組合エリアへのBB課の機器販売を手伝って欲しいと言う。そこで私は各組合の会長(理事長)や有力者と直談判をし、結果、会長を私の車に乗せ各商店訪問などをし、あっという間に任された小金井市と国立市のシュアーを50%以上にしたのだよ。処が、青葉支店長はこれに恐れをなしたのか、水無瀬は商業組合の会長と直ぐケンカをすると本社で大騒ぎ。」

「へぇ~、そのような人が何故常務取締役までなれたのですか?」
「あの年代は中卒でウズマサに入社。4~5歳年上の今の社長の子分として会社の独身寮の塀を乗り越えて夜遊びした仲間だから忠誠心は人一倍だからね」
 
「社長は大卒じゃないんですか?」
「京都の伏見工業高校卒。先代が即実践力を求めたのだろうね。だから弟さんの方は同志社大学卒で、その奥さんは京都東山のかの有名な料亭のお嬢さんだよ」
 
「吉田専務取締役も縁戚かそういう関係があるのですか?」
「彼は立命館大学卒で大学新卒者の第一号なのだよ」
 
「そうだったのですか」
「だから彼は会社にとって貴重な存在で、然も彼は洛中ではないが京都生まれの京都育ち。京都人同士だから京ことば特有の遠隔話法で社長とはアウンの呼吸。社長の信任が厚く、若い時から人事権を握っていたね」

「私の仙台支店長就任も吉田専務人事でした」
「そうだね。君の場合は君の旭川での結婚式で吉田専務夫妻の仲人だから、一種の縁故人事だね」
 
「そんなことないですよ。私の場合は」
「分かった分かった。7割は君の実力だね」
 
「水無瀬部長のおかげで当時面識もない吉田専務(当時常務)が仲人をしてくれました」
 
心の履歴(350)
猛吹雪の旭川空港着陸
2022-01-22 (2010/12/07著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12722849453.html

「実はあの時の君の仲人は私だったかも」
「どうしてですか?」

「君の前に結婚式を挙げた関沢君から仲人を頼まれたのだよ。その時に北海道に来たことがないという吉田専務の奥さんの話を聞いていたので、吉田専務に私が仲人をお願いしたら、北海道での最初の仲人は私がやり、次の結婚式の仲人依頼があった場合は吉田専務がすることになったのだよ。もしも吉田専務が関沢君の仲人を引き受けていたなら、君の仲人は私だった訳だ」
 
 心の履歴(348) 
戸惑う北海道の会費制結婚式
2022-01-22 (2010/12/03著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12722640566.html

「そういう経由があったのですか。初めて知りました」
「まあ、縁故人事がどうであれ、結果を出さなければならないから、東北でのシナリオを改めて紙に書いたらどうかね」
 
「そうします」
「まあ、焦らずに急げ!かな」

 

私は在職中の1995年には既に知っていましたが、この会社の存続可能期限は2005年であり、この2008年では既に過ぎていることを。彼は会社のやがての破綻を全く知らないのでした。

斎藤君から再び電話がかかってきたのは更に二年後でした。

 

つづく

 

『心の履歴』40代北海道編 目次(1)
(自) No.241 1987年1月
(至) No.323-2

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712060251.html

『心の履歴』40代北海道編 目次(2)
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12720330612.html
(自) No.324~