(前回記事)

心の履歴(374) 
怒り狂った妻が夫に包丁を投げる
2022-02-06 (2011/02/24著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12724990268.html


 

(今回記事)
心の履歴(375) 
歩いて渡らなかった幣舞橋(ぬさまいはし)
2022-02-07 (2011/02/28 著)

帯広駅近くでレンタカーを借り、後任の塩見君を乗せて帯広商業組合事務所へ転勤挨拶。そしてその二階に開設したばかりの我社出張所へ。

 

そもそも私の着任時、この帯広エリアは函館エリアと同様ブルー社(N)の牙城。他方、我等の販売する機器の需要は、国内メーカーと外国メーカーの争いで拡大するも、あと三~四年もしたら一気に落ち込むのは明らかな状況でした。
 
それにも係わらず、私は帯広出張所を新設しました。
新設理由は、組合の佐藤事務長の計らいで組合事務所の二階を我社事務所として使える事。更に、我社の機器販売で組合の全面的なバックアップを貰える事でした。
 
※佐藤事務長とのことは私の心の履歴・264 
嫌われた関西弁対策

LL社帯広営業所にも転勤挨拶をし、次は国道38号線で釧路へ。アクセルはメイチ。
 
釧路の入り口にある我社釧路出張所→(釧路大橋)→(幣舞橋・ぬさまいはし)→釧路商業組合→LL社釧路営業所へ。

 


 
この幣舞橋(ぬさまいはし)の欄干に裸婦像があるのを知ったのは札幌に着任して間もない1987年の初夏。
※この夕陽の幣舞橋(ぬさまいはし)の画像は、釧路市産業振興部観光振興室からメール添付で送って頂いたものです。

駅から乗車したタクシーの運転手が橋の手前で信号待ちの時説明してくれました。その後、この橋を四年間で少なくとも西側から十五回は渡ったのですが、せいぜい橋の上でレンタカーのスピードを落とす程度でした。

 


 
橋の上で停車し、下車して観るには躊躇しました。

停車しておくようなスペースが見当たらないのです。

https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g298147-d2253421-i347019127-Nusamai_Bridge-Kushiro_Hokkaido.html

http://miyatake-k.blogspot.com/2011/05/nusamai-bridge-in-fog-kushiro.html

 

それに何しろ幣舞橋(1976年架橋)の全長は124.0m、橋幅は33.8m(6車線+歩道)もあり、裸婦像四体を鑑賞するには歩いて橋を渡るしかありません。それも往復です。

 

 

いつも、今度こそ、帰りに橋の傍に車を停めて歩いて渡ろうと思うも、心は次の訪問先のことで頭がいっぱいですから、都度、次回来た時に見ようと思い通り過ぎたのでした。処が、今回は最後なのに、またまたこれまでと同じ感覚であっという間に通り過ぎてしまいました。残念無念、今も心残りです。


   ☆

※幣舞橋(ぬさまいはし)欄干に立つ「四季の像」

https://hokkaido-travel.com/spot/visiting/ho0286/

 

日本を代表する彫刻家4人の手による。
https://blog.goo.ne.jp/aaikappu/e/1eb14b260646cd89f62a66c06b6d364c
●春の像 舟越保武 作 

 

 

●夏の像 佐藤忠良 作

 

https://946nokyoren.or.jp/wp-content/uploads/2018/07/805.jpg

 

●秋の像 柳原義達 作 

(https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298147-d15528002-r651400999-Aki_Statue-Kushiro_Hokkaido.html)

 

●冬の像 本郷新 作
 


 

「釧路の夜」(美川憲一)では、歌詞三番にヌサマイ橋が登場する。

 

https://youtu.be/YEJIZpswd4Q

(三)霧は降る降る 今日も又 一人歩きの ヌサマイ橋よ
船の汽笛も 泣いている 女心も 知らないで 貴方がにくい 貴方がにくい
   ☆


いつも根室に向かって走り出してから気が付くのです。
釧路から根室へ2時間はかかりますから、焦り気味なのです。
 
久寿里橋・旭橋を渡る事無く釧路川を左手に北上。
根釧国道44号線を走る。
 
この44号線沿いにある釧路商業組合の当時の理事長網田商店に挨拶するのがいつものこと。
 
それから一路根室へ。
厚床(あっとこ)からが根室管内。
 
ここから根室市内まで、道沿いの商店に転勤の挨拶。いつもの通り、片っ端から訪問。
 
根室商業組合事務所に入ったのは日が落ちてから。
夜は組合の松谷事務長と事務員さんを『まるしめ』で接待。

何しろ私の北海道在任四年間で一番お世話になった人です。彼の後ろ盾が無かったら、釧路・網走・帯広での展開は出来なかったでしょう。
 
翌朝、花咲港へ。
組合の正木理事長(当時)宅訪問挨拶。
以後、別海町に向かいました。

   ☆


尚、根室出身の作曲家と作詞家が創った歌が「ここに幸あり」
作詞:高橋掬太郎 
作曲:飯田三郎
唄 :大津美子

https://youtu.be/T3FM12NX-E4

歌碑
根室市役所前にある


https://meikyokuka.exblog.jp/239636962/

 

つづく

 

『心の履歴』40代北海道編 目次(1)
(自) No.241 1987年1月
(至) No.323-2

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712060251.html

『心の履歴』40代北海道編 目次(2)
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12720330612.html
(自) No.324~