(前回記事)

心の履歴(306) 
これぞ孫子の兵法!(函館戦争②)
2021-12-27  (2010/08/13 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12717836132.html

 

(今回記事)

心の履歴(307) 

私の函館撤退戦略の地形 (函館戦争③)
2021-12-28  (2010/08/15 著)

今回の記事は、函館戦争の一種のプロローグです。
話は、その時の13年前の東京に遡ります。

私が東京支店勤務の時です。


1975年、大手事務機器販社の役員だった斎藤氏が部下を引き連れて独立。
 
従来の機器仕入先の富士電機冷機に対抗するサンヨー電機に独立した後の取引を依頼。サンヨー電機はサンヨー電機と年間100億円単位の取引にある我社の山村部長(当時の役職)を紹介。
 
やがて斎藤氏は新会社「Bジャパン社」を設立。
年商は二年目に20億円。

時流に乗り、1983年の年商は200億円。
我社のBジャパン社への機器卸額は年間70億円。
 
処が、同業者の乱立と機器が市場に行き渡ってしまい業績悪化。
輪をかけて乱脈経理で1986年倒産。

私が札幌に着任したのは、その翌年1987年1月。
その2月に山村部長(NH)は札幌に出張で来られる。
 
私に何故か倒産した元Bジャパン社北海道幹部二名を紹介する。
山村部長が函館を明け渡せと言う一年半前のこと。
 
彼等の販売手法は猟犬法。

猟師1人に猟犬が5人。
猟犬が軒並み訪問し、当りの良い客がいたら猟師が登場。
 
契約書に印鑑を貰うまで粘りこむ。
クレーム多発の販売手法。
但し、機器は商売道具故、訪問販売法の対象外。
 
この時の札幌に来た山村部長の意図は何であったのか?
私が窓口となり、彼等に機器を卸し販売して欲しかったのか?
 
彼等は函館の第百事務機(DJ社)と関係があると言っていたが、私、そんな話には一切乗らず。
 
私はそのような話を避ける為、小料理屋の後に「クラブ ジョニーウオーカー」に連れて行きました。
 
山村部長は御機嫌が悪かった。
クラブで私の膝をポンポン何度も何度も叩く。
私「いい加減にして下さい」と怒りました。

それにしても、私、当時は函館の事で頭が痛かったのです。函館に駐在させている佐東君は会議や講習会に一度も参加せず。
 
着任した一月の下旬、車で函館に向かう途中、偶然にも初めて彼と会ったのが大雪の降る上り線も下り線もまさに寸刻みの国道5号線路上。

 

 

対向車の佐東君を目ざとく見つけたのが助手席の上山部長。

お互い、脇道に入り路上で初対面。

 

そこでの彼の話とは、
「これから瀬棚(せたな)に修理に行く。この冬季、函館から瀬棚(せたな)に行くのに片道6時間以上。雪が降り続いた時は瀬棚から脱け出すことが出来ず。瀬棚の旅館に二泊したこともある」
 
更に
「日本海側の瀬棚⇔江差間は陸の孤島となる」

ブリザードで車がひっくり返るとか。
 
処がこのエリアには、その昔、我が子会社の全盛時代に販売した機器が潮風に錆びついた状態でゴロゴロしている。
 
このエリアのメンテナンスだけで手一杯になり、函館市内のメンテに対応不能。冬季は「何日経っても修理に来ない!」と苦情の山。
 
この時はこの話を聴き、絶望しか思い浮かばなかった!

 

つづく

心の履歴(308)
逆転のシナリオは描けず(函館戦争④)
2021-12-28 (2010/08/16 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12717857084.html

 

『心の履歴』40代北海道編1⃣ 目次
(自) No.241 1987年1月~
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712060251.html