(前回記事)
ドラッカー(21)
「分権制」ブーム
2021-12-03 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712848809.html

 

(今回記事)

ピーター・ドラッカー(22)

知識労働者


生涯の重要テーマに 「職場改善」はトヨタが実践


『会社という概念』(Concept of the Corporation)によって、私はゼネラル・モーターズ(GM)から敵視されたのに、その後も同社のコンサルタントを続けた。

 

私の考えに賛同する幹部がいたからだ。この本が刊行された1946年に、アルフレッド・スローンから最高経営責任者(CEO)のポストを引き継いだチャールズ・ウィルソンだ。

GMの調査で得た結論で最も自信を持ったのは、「責任ある労働者」が運営する自治的な「工場共同体」をつくることだ。

 

戦時下で管理者が不足する中で、労働者が責任感を持ち、連帯しながら品質改善に取り組む状況に感銘を受けたからだ。平時体制へ復帰してもこれは生かさなければならない、と思った。

「責任ある労働者」はその後、「知識労働者」へ取って代わられて生涯の重要テーマになる。「経営権の侵害」と見なされかねない危険な考えだったのに、組合出身であったからかウィルソンは極力受け入れてくれた。

そんなわけで、1947年、彼は米産業史上では初めての大規模な従業員意識調査を実施。

 

「私の仕事と私がそれを気に入っている理由」と題した作文コンテストで、従業員が会社や上司、仕事に何を求めているかなどについて聞くのを目的にした。私も審査員に加えられた。

大成功だった。従業員の3分の2以上、人数にして30万人の応募があった。

 

まさに情報の宝庫。従業員が会社や製品との一体感を求め、責任を持ちたがっていることは明らかだった。

 

「従業員が欲しているのはカネだけ」

という通説は的外れだったのだ。

コンテスト自体は失敗だった。30万人分の作文を読むのは不可能だからだ。それでも、各審査員はそれぞれ数千人分の作文に目を通し、読めなかった分はGMのスタッフが分類してくれた。

これを踏まえ、ウィルソンは「職場改善プログラム」を導入しようとした。現代風に言えば「品質管理(QC)サークル」で、成功すればその元祖になるはずだった。

ところが、このプログラムは頓挫し、コンテストについての報告書もまとめられなかった。全米自動車労組(UAW)が猛反対したからだ。コンテストは今後はやらないという条件で、1948年にUAWはストライキをやらずに賃金回答をのんだほどだ。

なぜか。私はコンテストについて、米国で最も影響力を持つ組合指導者であるUAW会長のウォルター・ルーサーと交渉した時、「経営陣が管理し、労働者が働く。労働者に対して管理者としての責任まで負わせるということは、労働者に大きな負担をもたらす」と言われた。

その後もウィルソンはあきらめず、会長のスローンに対し、従業員担当副社長の新ポストを設け、それには私がふさわしいと進言した。数年後にウィルソンが国防長官へ転じると、この話は立ち消えになった。

ウィルソンはコンテストで得た貴重な資料が倉庫へ葬り去られたことを残念がった。しかし地球の裏側でよみがえった。

 

1950年代前半に、私の助けを借りてコンテストの結果はトヨタ自動車へ持ち込まれ、同社の終身雇用や労使協調政策の面で生かされたのだ。

 

当時のトヨタは労働争議に見舞われ、創業者の豊田喜一郎が社長辞任に追い込まれるなどの苦境にあった。

 

つづく

 

ドラッカー書庫
https://ameblo.jp/minaseyori/theme-10114934951.html
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO49036460X20C19A8000000/?unlock=1