ラテン語にうんざり 赤旗デモ、誘われて先頭に

 

 

(註)ギムナジウム(Gymnasium)

ドイツおよびその近隣諸国の、伝統的な7年制または9年制(10〜19歳)の大学進学を前提とした中等教育機関。 古典語系、現代語系、数学・自然科学系がある。


Stiftsgymnasium Melk(オーストリア)

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(前回記事)
ピーター・ドラッカー(5)最高の教師
2021-06-04 

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ラテン語にうんざり 赤旗デモ、誘われて先頭に

飛び級で入学したギムナジウムは、ラテン語を中心に古典教義を教える進学予備校だ。別名ラテン語学校で、そこに8年間通うことになる。

学校までの道のりは遠かった。始業時間の朝8時に間に合うように、毎朝6時半にメードがノックする音で目覚め、7時過ぎに家を出る。学校の規則で、吹雪の日以外は路面電車の利用は認められず、40分は歩き続けなければならない。通学だけでも大変だと思われるかもしれないが、当時としては当たり前だったし、学友と一緒に歩くのも楽しかった。

ただ、ギムナジウムでの授業は楽しいとは程遠かった。8年間もかけてラテン語の動詞の不規則変化などを記憶する場であり、ローマの詩人ホラティウスを読んでみなさいなどと言われることはまずなかった。あったとしても、文法のミス探しのためだ。

小学校4年生時に出会ったミス・エルザとミス・ゾフィーが素晴らしかったから、その反動で、回復不能なまでにほかの教師がつまらなく感じるようになったのだと思う。授業中は、机の下に歴史や文学の本を隠して読むなどしてやり過ごした。

1年間のうち8カ月か9カ月間は授業そっちのけで、自分の興味が赴くままに過ごしたと思う。

 

本を読んだりパーティーに顔を出したりしたほか、放課後のスポーツにも精を出した。体操種目は苦手で大嫌いだったが、サッカー部に所属して右ウイングを務めた。サッカーのことなら何でも知っていたし、うまかったと思う。

というわけで、教師たちに留年は確実と踏まれることも何度かあった。そんな時はミス・エルザの学習帳を引っ張り出して目標を立て、それに沿って数週間勉強するだけで、学年末にはクラスの上位3分の1には入れた。

教師には恵まれなかったが、ギムナジウム時代には大きな転機があった。

 

正確には、14歳になる直前の1923年11月11日、社会主義青年団の先頭に立ち、赤旗を掲げながら市内をデモ行進したことだ。5年前の11月12日に共和制が宣言されて以来、社会主義者が支配していたウィーンでは、毎年の「共和国の日」は記念すべき日だった。

社会主義に共鳴してデモに参加したわけではない。14歳未満の高校生は政治活動が禁止されていたから、ちょっとしたスリルを感じた。それに、学校の人気者とは言えなかったのに「青年団の先頭に立ってみないか」と誘われて、舞い上がってしまった。

当日、早朝4時半に目覚めると真っ先に天気を確認したのを覚えている。私を先頭にデモ隊は徐々に大きくなり、やがて革命歌を歌い始めた。私は「今日は人生で一番幸せな日だ」と思った。ところが、行進途中でふと「場違いだ」と感じ、赤旗をだれかに押し付けて隊列を離れてしまったのである。

政治について読んだり書いたりするのは好きでも、政治そのものをやる人間でないと悟ったのだ。

 

14歳になると、ギムナジウム卒業と同時にウィーンを離れる決意を固めた。アルプスの小国の都へ成り下がり、帝政が廃止になっても「戦前」という郷愁に取りつかれた古いウィーンにはもはや興味はなかった。

 

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(元文)ピーター・ドラッカー(6)ギムナジウム
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO49034730X20C19A8000000/