民間の危機管理の具体例
大震災(2)阪神淡路大震災で見せた危機管理
2020-01-15
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12567176141.html
日本政府は阪神淡路大震災や3.11東日本大震災やノロウイルス・インフルエンザウイルス対応から何を学んだのかね?
バカ騒ぎを煽り、寧ろコロナウイルスを拡散する対応しか出来ない政府閣僚は是非上記の記事の拝読を期待する。
☆ ☆ ☆
1995年(平成7年)1月17日(火)5時46分52秒
死者6,434名を出した阪神淡路大震災。
(さて、以下、私の阪神大震災の時の対応)
2013/01/17著
この日の7時半過ぎから阪急電車が止まったので、私は、国道171号線に出てヒッチハイク。京都方面行きの中型トラックが乗せてくれました。
そして無事出社。
驚いたことにほぼ全員出社していました。
部下の大津の北村君(仮称)を除いて。
車やバイク通勤者にとって支障はなかったとのことです。
然し、電話のベルの鳴らない事務所には休日の雰囲気が漂う。
電話が通じたと思ったら神戸で若手社員が亡くなったという訃報。
民家一階に間借りしていた社員が、二階に押しつぶされ即死。
翌日、18日(水)電車は普通通り運行。
出社するも、11名の部下の内、この日も北村主任だけ出社せず。
風邪で熱が出て今日も休むという連絡。
「こんな時こそ神戸の顧客に救援物資を運ぼう」と私。
部下や他部署部長連中が「そんな無茶な」と言ってきます。
私は私の部署がこの震災の地・神戸に入ることを『IM(アイエム)学校』と命名。部下育成の一環と位置づけました。
とにもかくにも神戸の顧客名簿はと聞くと、北村主任が持っているという。
この頃、神戸エリアの病院関連は大阪支店や神戸営業所では手が回らないということで、臨時に我が部署が担当していました。
処がその名簿は彼の机の中には無い。
大津市の北村主任の自宅に電話を架けさせます。
名簿は自宅に持ち帰っているというのです。
何ということだ。
誰かに取りに行かせると言ったら、明日は出社するという。
午後、大阪支店産業機器課の二名がやって来ました。
名簿はさておき、どうして神戸に入るかの検討。
車では大渋滞で到底無理。
しからば、リュックを担いで電車に乗り、行けるとこまで行ってそこからは徒歩で神戸に入るか、或いは会社から自転車で神戸まで走る案などが出ました。
神戸三宮まで約70km。
荷物を載せ、信号、道路の起伏、大渋滞の場合歩道走行となるから時速15kmが限界。
それでも片道約5時間かかる。
往復10時間。
それしか手はないのか。
トラックに自転車と物資を積んで行けるところまで行ってそこからチャリンコの案が出ました。
でも会社には我らが使えるトラックは無いし、チャリンコもない。
ではどうするのか。
チャリンコがあるところと言えば各家のママチャリ。
ではトラックは?
部下の向島係長の家は農家。
軽トラックを持っていると言います。
それだ!
そして向島係長が予め物資と各自宅から自転車を積んで、阪急電車のもっとも神戸に近い駅から一つ手前の駅まで運んで、我等はその駅には電車で行くことに一旦は決めました。
でも最先端の西宮北口駅や一つ手前の武庫之荘駅では国道や駅も混雑し、車も近づけないだろう。ここは万全を期す為、二つ手前の塚口駅の方が望ましいということで、塚口駅に変更しました。
集められるチャリンコは8台。
ということはチャリンコに乗る人数8人。
ここは部下の中から体力のある若手5名。
大阪支店から若手2名と私の計8名を選出。
早速、手分けをして薬局やホームセンターに物資を買いに走らせました。
19日(木)
北村主任、またまた風邪で熱が下がらず会社を休むという。
名簿は必ず明日持参するという。
何ということだ。
何等かの力が働き、我等の神戸行を妨害している。
「君がもし明日も来なかったら、君は・・・・」
それ以上言うのは止めました。
約100名弱の営業本部フロアの大半の眼差しは冷やゝかもの。
「あんなに崩れがかっている所に行って再度大地震がきたら怪我だけでは済まないぞ」と言ってくる他部署の部長もいました。
社内の廊下では、総務の女子社員から声がかかります。
「水無瀬部長、神戸にいかはるのですか?」
どうやら、社内の噂になっているようでした。
20日(金)
ようやく北村主任出社。
彼の持っている顧客名簿に基づきエリア分けをしてエリア毎、二名でひと組とし、4組編成にて訪問エリア担当を決めました。
決行は翌日21日(土)。
予め決めておいた阪急電車に乗車。
向島係長は、前日、軽四トラックで事前に各家を周り、ママチャリを積み、当日は渋滞を考慮して早朝に出発していました。
私達は十三(じゅうそう)駅で京都線から神戸線に乗り換えました。
車内はほぼ寿司詰め状態。
この時の電車の終点は西宮北口駅ですが、国道の渋滞により駅に軽トラが近づけないリスクを恐れ、打ち合わせ通りその二つ手前(大阪寄り)の塚口駅で下車しました。
もう軽トラの向島係長は到着していました。
駅北口のロータリーの路上で円陣を組ませ、私は言いました。
「休日出勤で然もリスクも伴う今回の『IM教室』に、君達の家族には批判もあるでしょうが、先ずは逆の立場になり、あなた方家族が被災者となった場合を考えて下さい。
逆境の時に、何時間もチャリンコを漕いで来てくれる人がいるでしょうか。
今日は、君達が顧客の身を案じ、リスクを犯しながら何時間もチャリンコを漕いで訪れるのです。
本当は震災三日以内に顧客を訪問したかったのですが、諸事情で今日まで延びました。ですが君達のそして顧客の人生の中で最も記憶に残る事柄の中の一つとなるでしょう。
今回のことを『MI教室』と敢えて命名したのは、君達が通常学ぶことの出来ない何等かの事を、この震災地神戸から学ぶからです。
例えば、
一つ、物事は画像や伝聞ではなく、事実を自分の目で確かめることの重要性。
二つ、巷に言うCS、つまり顧客満足とはいかなるものか。
三つ、今回の訪問で、今後、顧客の心が、自分の心が、どう変化していくのかを実際に体験し知ること。
個人毎、その学んだ内容は異なるかもしれませんが、間違いなく、君達は今回の訪問を通し、何等かの重要なことを学ぶはずです。
それに気がつくのは顧客訪問中かもしれない。
帰宅後、あなたのお子さんに今回の話をした時かもしれない。
或いは、半年後、一年後、十年後かもしれない。」 と。
それから、再度ここ塚口駅集合を午後8時とし、皆、各々のエリアに出発。
私は28歳の山中社員(仮称)と出発。
私達の最遠距離地はJR神戸駅の向こうの新開地。
(コース)塚口駅⇒西宮から国道2号線⇒芦屋⇒東灘区⇒三宮⇒中山手通り⇒下山手通り⇒新開地
ここで引き返して神戸駅前⇒三宮⇒・・・・⇒塚口駅
さて、塚口駅⇒西宮から東灘区を走る国道2号線に入ると状況は一変しました。
先ず、ここから神戸に向けて車はピクリとも動かず。
案の定、大渋滞です。
それに左に見える光景は、見渡す限り崩壊した木造家屋。
空爆映画のセットのようでした。
これが現実とは到底思えず。
自転車の後部に20リットルの水が入っているタンクを積んだ山中社員の自転車がパンク。
やはりこういう道路では釘などを拾ってしまう。パンク修理も出来ず、以降、彼の苦しいチャリンコ漕ぎが始まりました。
三宮からは山側の中山手通り、下山手通りを走ります。
途中、山手にある顧客である病院や学校を訪問。
持参してきた物の中で先方が必要な物を手渡します。
その度に坂を上ったり下ったり。
道路をまたぐように電柱が倒れていて、その下を自転車を降りてくぐって通る。
最遠方地の新開地の顧客訪問が終わった時にはほっとしました。あとは帰路で、残るは二軒訪問のみ。
これまでの所要時間が片道のMAXですから帰路の所要時間を推量できました。
JR神戸駅にほど近い㈱トーハン(東京出版)神戸支店では、ほぼ日常の物は手に入る状況でした。
これが幹線道路沿いかそうでないかの違いでした。
国道2号線⇒フラワーロードから三宮へ。
僅かに明治安田生命保険ビルも傾いていましたから、やはり震災後建て直しをしましたね。
神戸市役所旧庁舎6階が潰れていました。
左・新庁舎 右・旧庁舎(6階が潰れた)
山中君の腕は小刻みに震えていました。
「寒いのか?」
「いえ、武者震いです」
帰路、最後の訪問先は、医療機器業者の本社ビル。
このビルの表面は無傷。
もうすっかり日は落ちていました。
6階?に灯りが点いていましたので、ベルを押すと確か総務課長只一人在社。そこまでエレベーターで上がり面談しました。
このビルを出ますと、近くの木造家屋から裸電球の灯りが漏れています。
まさか、喫茶店でした。
蛍光灯は割れ、裸電球の灯りですから薄暗い怪しげなスタンドのようなものです。
ここで熱いコーヒーを飲み、喉の渇きをいやしました。無論、主人や店内のお客さんと地震の時の恐怖の会話をしました。
帰路、倒壊した阪神高速神戸線の下の道は工事で車は通れませんでしたが、チャリンコでは歩道を通れました。
集合場所塚口駅には30分前の午後7時半到着。
他の3チームも其々予定した先を訪問し終えて帰ってきており、然も全員無傷でほっとしました。
出発前には不平不満の顔をしている者が何名かいましたが、駅ロータリーで輪になり街灯の光を浴びる彼等の顔は満足感に溢れていました。
「この『IM(アイエム)教室』の本当の効果が自分の心と顧客の心に現れるのはこれからですよ」と私は言って解散しました。
尚、メンテナンス本部は、その翌週、50ccバイク新品30台購入し、BB営業部が販売した神戸一帯の顧客商店の機器点検で訪問しました。
他の部署が神戸に入ったのも翌週からです。
(余談)数ヵ月後、そのバイク30台を女子社員に2万円台で売っていましたから、会社にバイクで通勤する赤ヘル女性は一気に増えました。
神戸淡路大震災(1)阪神淡路大震災で隠蔽された犯罪
2020-01-14
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12566893575.html
この円形になっている炎上状態は放火されたものです。
このエリアは中国や朝鮮半島系の在日の巣窟でした。
神戸淡路大震災(3)ゴミ捨て場と化した我が家
2020-01-16
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12567357189.html
(画像借用先)
http://www.npo.co.jp/hanshin/photo/chuou1.htm
http://www16.plala.or.jp/suito-t/shinsai5.html
http://plaza.rakuten.co.jp/opensesame4649/diary/?ctgy=12
http://mainichi.jp/graph/select/archive/hanshin/002.html
http://www.oshida-tax.com/diary/archives/2506
阪急神戸線路線図
https://www.hankyu.co.jp/station/rosen.html?no_redirect
(電車運行状況 時系列ドキュメント)
http://homepage1.nifty.com/tabi-mo/sinsai2.htm
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