(前回記事)

心の履歴(378) 
珈琲を飲む都度。偲ばれるあの頃
2022-02-08 (2011/03/09著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12725757807.html

 

(今回記事)

心の履歴(379)

1987-1991年のタイムカプセルを開ける

2020-10-22掲載 (2011/06/18 著)再掲載


2011年4月のこと、妻が押入れのダンボール箱を全部取り出し、部屋に積み上げました。私の分のみで20個ほどです。
 
それは古いものでは2011年現在40年前から一度も開けたことの無いものも幾つかありました。

 

つまり、最初の転勤の時の段ボールを開かずに、そのまゝ次の転勤地へとの繰り返しの賜物でした。
 
そのダンボール箱の何個かは、20年前に札幌からの転勤の時、閉じたまゝのものです。 
 
何れもタイムカプセルです。
私はそれにはノータッチにしました。
 
私がそのカプセルの中を見始めたら、一頁一頁思い出に浸り、何年経っても終らないでしょう。取捨選択は一切妻に任せましたら、妻も二ヶ月かかりました。

その中で、札幌在職四年間の分で妻が残してくれたのは、札幌着任の年の1987年から1991年のダイアリー四冊のみです。

 


 
但し、1989年分の一冊が抜けています。
恐らくこの年は、貰い物のA4ダイアリーを使った記憶がありますから、ダイアリーと思わずに捨ててしまったのかもしれません。
 
札幌着任の1987年1月5日からめくってみました。
毎日の記載があるからと言っても、確かにその事実はあったのですが、具体的に当時の映像としての記憶再生はなかなか出来ないものです。

 

大きなメリットの一つは、一部の忘れていた部下社員の氏名が全て分かったことです。特に札幌着任翌年の春に新卒で採用した鎌田瞳(仮名)さんの実名が「あゆみ」さんと分かり感激しました。

 

実は着任時、1名の女子事務員を募集した時、126通の応募の中に女子短大在学中の女子が1名おり、翌年1月に連絡し、もしも就職先が決まっていないならどうかと問い合わせたのです。

 

3月の卒業式の時、就職が決まっていない状態で卒業パーテーでは可哀そうと思ったからです。

 

採用し、3月下旬から出社してもらいました。処があゆみさんは同僚の女子事務員に、或いは、子会社時代からのガラの悪い幹部社員にいじめられ、胃潰瘍で入退院を繰り返しました。

 

入退院の都度、会社を辞めたいと申し出てきたのですが、その都度、あゆみさんの両親とも面談し、会社に復帰させたのです。

 

やはり三度の入退院となると彼女の身体の心配もあり、退職を認めざるを得ませんでした。

 

その後、彼女は健康な毎日を過ごしているだろうかと札幌在任中は密かに心配していました。このことが、札幌在任中の最大の心痛むこととなりました。彼女が退職してから3年後の転勤が決まったある日、私は彼女の自宅である商店に行き、その後の彼女の体調を伺いました。その時、彼女は元気に会社に通勤していると聞き、安堵したものです。


それとダイアリーで分かったこと。

中標津の素敵な小母さまの住所と商店名も。

 

この森田商店の小母さまからは、札幌を離れてから10年間も毎年「氷下魚」(コマイ)や「さきいか」の大袋などを送ってくれました。

ツウの方なら、このコマイの美味しさが分かるでしょう。
でも、残念にも、その商店、今は無いようです。
 
名寄商業組合の事務長兼婦人部長のお名前は本田百合子さん。私は本田さんに「あなたが札幌で生まれ育ったなら、ひとかどの人物になったでしょうね」と言った記憶があります。私の尊敬する人でした。

 

今、存命でしたら森田商店の小母様と同じく80代中ごろでしょうか。※2020年現在でしたら90歳前後です。
 
それにしても、毎月毎月、飛行機にはよく乗ったものです。
千歳空港や丘珠空港から道内各空港(函館・稚内・釧路・女満別・紋別)へは無論のこと、仙台空港・伊丹空港へ。
 
着任三年目からは名古屋空港や羽田空港へもです。
ですから毎月10日、時には15日は飛行機に乗っていました。その合間に札幌での仕事をしたと言っても過言ではないでしょう。

 

この札幌四年間を今まで記憶だけを頼りとして書いてきたのですが、書いてきたことの確認のためにダイアリーを見ますと、日時の若干のズレと、二つの事が一つのこととなったりしていました。


それもそうです。毎月道内隈なく四年間出張した訳ですから已むを得ません。記事に書いたそれらの日時や事柄を若干訂正しながら他の箇所を見ますと、少しずつ思い出すこともありましたね。
 
次回は、新たに思い出したことを記事に書こうと思います。
尚、どうしてそんなにダンボールに書類が多かったのかと申しますと、会社では5年前10年前のことを問われることが時にはあったからです。


だから身辺を常にきれいにし、いつでもその証拠を提示できるようにしていたのです。
             つづく

心の履歴(380) 
(世子とのドライブ ①/③)
クマザサの中が女性用トイレ
2020-10-23 (2011/06/23著)再掲載

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12632481195.html
 

 

 

『心の履歴』40代北海道編 目次(1)
(自) No.241 1987年1月
(至) No.323-2

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712060251.html

『心の履歴』40代北海道編 目次(2)
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12720330612.html
(自) No.324~