話を振り出しに戻しますと、洛中生まれの洛中育ちの女性が使った言葉「首を切ってしもうた!」でしたね。


常識では「首切り」の昨今の意味は「解雇」。
古くは、罪人の死刑の方法である「打ち首」。


京都『姉三六角蛸錦』生まれの女性が、この言葉を使ったとしたら、意味が違って来ます。


前々回で述べましたように、現在京都の街のど真ん中の鴨川の川原は、首切りイベント会場。と言っても、洛中との境界線の外。
 

首切りの刑を何百年にも亘って、代々、延々と目前で見続けてきたのが伝統ある洛中に住む京都人。

この「首切り」の言葉は、実は、京都花街の遊女が使っていた言葉でもあったのです。

そもそも京言葉とは、柔らかで暖か味のあるお上品な言葉。


「おこしやす」と言われたら、

「あ~、ここが京都!」と思いますね。

この「おこしやす」という代表的な京言葉には、色々な意味を含んでいるのです。


極論すれば、京言葉とは、芸子や遊女が、男をたぶらかすための婉曲言葉でしょうかね。
 

遊女は、甘言で、男に貢ぐだけ貢がせます。

やわらかァ~な京言葉ですから男は殊更感激ですね。


やがて、スッテンカラリン。

お金が無いのですから、出入り禁止です。

遊女に狂った男は借金をしてでも通います。

やがてお金の工面に万策尽き果てます。


お金ナシで遊女に会いたいのですが、

やくたい(迷惑)なおひと。

当然遊郭の入り口で袋叩き。

これが度重なり、絶望して首を吊り自殺します。

あるいは、強盗殺人をしてでも金を奪い、遊郭に通います。

 

そして、そして、その行く末は、メィン・イベント会場です。
捕まって極悪人として、鴨川の川原で打ち首なのです。

どこの遊女の誰が、何人の男に首を吊らせたのか、

或いは、何人の男を鴨川で打ち首にさせたかは、

その遊女の勲章みたいなものだったでしょうね。

優秀なる?遊女は「七人さんも首切りどすけどぉ~、かなんなぁ~」と仲間に自慢したでしょう。

 

ひるがえって、今のご時世、洛中生まれ洛中育ちのご婦人が「首を切ってしもうた!」と言った意味が、何となく分かるでしょう。

つまり、「とある人を追い落として立ち上がれなくする」ことや「自殺に追い込む」と言う意味なのです。

 

ある組織やサークルでの女の世界。

罠(わな)を仕掛けたのですね。

            あな、おそろしや

 

(前々回記事)

京都人(13) 首切りが見世物だった京都鴨川
2020-06-05 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12602018162.html

(参考)

sasanohasarasara222さんのご指摘
三条河原町の鴨川沿いに小さな神社


1000年の処刑場:血に染まる三条河原と六条河原の歴史
https://kaiun.sseikatsu.net/sanjyokawara/

秀次の妻とその子供・侍女・乳母の計39人が三条河原で斬首。

瑞泉寺(ずいせんじ)にある豊臣秀次一家の供養塔。

(住所)京都市中京区木屋町通三条下る ー 浄土宗


 

 

ほっこり京都人:目次
2020-03-23 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12584192022.html