今の京都という街のご理解に少しはお役にたつかも。

(前回記事)

ほっこり京都人(4)京ことばの元をたどれば
2020-03-28

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12585481593.html?frm=theme

京都の言葉の素敵な訳

《京ことばの裏事情2-1》

私が22~23歳の頃です。二軒隣に、ある小さな会社の60歳弱の社長夫婦が住んでいました。


宵闇になる時分、着物姿のその夫人がやって来ます。

後妻なのです。

私達友達四人が一升瓶をコタツの上に置いて飲んでいる二階に来て一緒に飲むのです。


それから、ご夫人の車を19歳のタケシ君運転で、何処ともなく消えるのです。

或る日の事、タケシ君がいないので私の運転で行こうと言い出しました。

 

ろれつの回らないご夫人の案内で着いたのが普通の民家。
場所は、七条大橋東詰め下る(さがる)。

鴨川の土手が見える小さな路地の角地。

玄関を上ると右手に六畳の和室におこた。

お銚子と、おちょこ(盃)と、あて(酒の肴)が出てきて先ずはなめる様に一杯。

 

この家の住民の60歳代の着物姿の女性二人がお酌をしてくれるのです。

 

 

そのうちの一人は徐に三味線(「地方」(じがた))。

チントンシャン。

残る一人は舞をします(「立方」(たちかた))。


ご夫人は、その三味線に合わせて清元(唄いもの)。

 


「うたわへんのか?(唄わないのか?)うたわへんのか?」とご夫人にからまれる私。


小母様三人ががりのご指導で私も清元であごしゃくり。

 

この私の清元のあごしゃくりは、この六畳で半年間続きました。
でも、次から次へと新しい演目のご教授ですから覚え切れない。

ご夫人は、いつも酔いつぶれる。
ごねるご夫人をお姫様だっこして、車の助手席にドオ~ンと放り込んで乗せて帰るのが日課。

実は、この六畳(通称四畳半)の二人の女性は、元、芸子。


この家は、その昔、この二人の芸子さんを身請けした旦那さんが買いあてがったもの。

二人に一つの民家をあてがっていたのです。

 

そして、そして、後妻のご夫人は、元、五条楽園(遊郭)の遊女(娼婦)。出身熊本県。



《京ことばの裏事情2-2》

同じ時期、京都の北区で40歳代後半の奥様と知り合いました。


奥様の自宅の門は、お寺の大きな山門のような造り。

富農の家屋敷の長屋門です。




この山門の中二階から、奥様と同じような年齢の女性が降りて来ました。


私「姉妹ですか?」
奥様「そうはおへん。おめかけさんどす」

おめかけさんは入り口の長屋門の中二階に住み、本妻の奥様は奥の母屋に住居。


本妻とおめかけさんは仲が大変良いとのこと。

この時も二人でニコニコ。

双子もどき。

 

旦那さんに二人で組んで、色々な要求を突きつけるのだそうです。
何故にこうなったのかは、お二人さん、共に、元、芸子でしたからね。

お互いにお互いを理解出来たからでしょう。

       ☆       ☆       ☆

こんな風に、元芸子さんたちが嫁ぎ先の京都の郊外でも花街言葉の一部を使いましたから郊外でも街言葉となって来た訳ですね。

尚、この当時(1960年代後半)は、白川女(しらかわめ)が観光用ではなく、普通に洛中のほぼ全域を歩いていました。

 


頭に、花を乗せて。

「花、いらんかェ~~」

 

   ◇     ◇     ◇

 

写真は、祇園甲部四条花見小路下るのお茶屋さんの裏木戸です。

 

京都祇園お茶屋・置屋『福嶋』さんの裏木戸

https://youtu.be/Q6L7hE-rn98


表玄関は花見小路に面しているのですが、今も裏の暗い路地のこの裏木戸から出入りします。
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一見(いちげん)さんは、お断りなので、おなじみさんだけの出入り口。
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今(2005年)でも、郵送されてくる請求書は、和紙に筆書き。
それに「花代」と書かれています。

「おこしや~す」と迎えてくれるのが元芸子さんの女将さん。
和服が良く似合う、涼しい瞳の女性です。
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この暗い裏木戸をくぐった瞬間から、京都! 京都なのです!

 

(画像)

三味線や唄を披露、

「地方」という生き方 転職組が活躍(朝日新聞)

https://www.asahi.com/articles/ASM7J675MM7JPLZB01K.html

長屋門コレクション

https://www.uzukyumeigan.co.jp/blog/post_578/

白川女

https://plaza.rakuten.co.jp/pogacsa/diary/201505010000/