出雲地方では、珍しくもない江角という苗字。
そのルーツは語られていません。
私自身は、千葉県の夷隅(いすみ)が近い発音であり、ここ上総国にルーツがあるものと考えています。
出雲地方の江角家は豪農として知られ、斐川町には文化財となっている旧豪農屋敷があります。復元された出雲伝承館も同じです。
さて江角家の伝承のひとつに次のものがあります。
江角家は清和天皇より出た源氏の流で、多田満仲より九代の孫頼重が、承久の乱での戦功によって、領地加増のため土佐国長岡郡江隅山に移住して、名を江隅となった事が記されています。
南北朝時代になると子孫の頼春が戦功により、出雲判官従五位下に任ぜられ、出雲郡美談郷直江邑
において城(土居)を構え、頼春を江角の先祖とし、その子常頼は仁多郡布施城主となった。
六代頼定の頃には大内家に属し七百貫を賜り、その子敏頼は、永禄四年毛利輝元より、旧国直江邑を賜り御番頭を仰せ付けられ、この地方で七千石を賜った。やがて毛利氏が出雲を離れると、医を業として、頼慶の頃に江隅から江角へと改称したとする。堀尾氏の時代にはあ三百石の知行であったが、堀尾家が断絶してそれも失ったようです。
このような伝承が伝えられています。真相はわかりませんが、土佐国長岡郡に江隅山は存在していません。また出雲郡美談郷に直江邑はなく、正しくは出雲郡直江邑です。
先に、夷隅が江角と関係しそうだと考えられるとしたのは、伊甚国造にあり、天穂日命と大国主の娘の子が国造となっている地域で、出雲地方では、松江市宍道町に伊志見の地名が残り、関係性が見られます。またイジミの発音は、イズモにも似ています。
江角の祖は、清和源氏である。出雲国には承久の乱以降に、地頭として信州から多くの武士がきています。主に諏訪部氏、中沢氏、三沢氏などです。江隅氏がいた仁多郡布施城は、三沢氏の領内であるので、その家臣であったかもしれません。
三沢氏は源満仲の子孫であり、江角家と同祖です。しかし、いすみ市にある国吉神社には建御名方命が祀られているということから、考えられるのは、江角氏の方は、源満快流、諏訪頼重流の二説が伝えられる建御名方命を奉じた諏訪大祝家の一族にだったのではないかと思われます。
多田満仲の子孫とされる頼重は系図には存在しませんが、満快の子孫には鎌倉時代に諏訪頼重が出てきます。より古くから出雲と諏訪は古事記にも記される国譲り伝承でも語られ、繋がりの深い所だからと思うのです。