10月22日からAmeba Owndが緊急メンテナンスを始め、結局、閲覧できるだけで新たな書き込みができなくなり、終了することになった。

 そのため、備忘録として記事のリンクを貼れなかったので、若干古い記事だが、ここに貼っておこう。

 

 下記の記事によると、「李在明(イ・ジェミョン)大統領が最近、戦時作戦統制権の移管をめぐり、韓国の通常戦力は「世界5位」だと主張し、「十分に自ら対処できる」と述べた中、李在明大統領が引用してきた民間軍事力統計サイト「Global Firepower(GFP、グローバル・ファイアパワー)」は、掲載資料について「娯楽的価値」のために提供しているものだと表明していることが分かった。情報の正確性についても、「当該情報が反映している原資料の正確性のレベルに限定される」とする免責条項を設けていた。同機関は、物理的な実体やランキングの算出方法、研究陣などに関する情報が不透明で、米国ワシントンの外交・安全保障コミュニティーでは、以前から信頼性が低いとみられてきた。」

 

 

 このGFPについては、以前述べたような気がするが、考慮すべき事項を考慮しておらず、評価方法が未公開で不明であるため、世界中の専門家・政治家の間でほぼ無視されている。

 

 ①例えば、 1950年代に開発された北朝鮮の極めて古い戦闘機(MiG-17など)も、アメリカや日本の最新鋭ステルス戦闘機(F-35)と同じ「戦闘機」としてカウントされるなど、兵器の質やレベルが完全に無視され、保有量や兵士の人数だけをベースにしている。

 

 ②また、実際の戦争の勝敗を左右するカタログスペックに表れない要素、例えば、訓練度・士気、稼働率・メンテナンス体制、現代戦で最も重要なデータリング能力などが一切考慮されていない。

 

 ③さらに、核兵器の保有数や安全保障同盟による集団防衛の効果も考慮されていない。

 

 ④弾薬やミサイルの備蓄量、弾薬や兵器の生産能力が全く考慮されていない。

 

 GFPによれば、韓国は、世界5位の軍事力だとされており、李大統領はもちろん、韓国民の多くも軍事強国だと鼻息が荒いのだが、上述したように、そもそもGFPが娯楽目的のランキングにすぎない。

 

 しかも、韓国は、徴兵制を敷いているため、常備兵(約50万人)及び予備役(約310万人)がヨーロッパ諸国に比べて異常に多いため、英仏よりもランキングが上になっているにすぎない。

 

 また、陸続きの北朝鮮と対峙しているため、韓国は、戦車(約2000両)並びに自走砲及び大砲を大量に保有しているので、ランキングを押し上げているにすぎない。

 

 さらに、韓国には核兵器がないし、また、核保有国である英仏は、航空母艦等を駆使して地球の裏側まで行って戦争ができる遠征能力(ブルーウォーター・ネイビー)を持っているのに対して、韓国にはそのような能力がない。

 

 北朝鮮と戦争状態にある韓国では徴兵制が敷かれているので、国民全てがこのようなことを常識として知っていてもよさそうなのだが、大統領すら知らないようだ。

 

 

 

 

 日本学術会議は、戦後の反省に基づき「軍事目的のための科学研究を行わない」とする基本方針を長年維持してきた。

 

 ところが、下記の記事によると、日本の「54大学」が中国の軍と関係の深い大学と交流協定を結んでいたそうだ。

 備忘録として、記事のリンクを貼っておこう。

 

 

 指定管理者制度とは、自治体が所有する「公の施設」の管理・運営を、株式会社などの民間企業やNPO法人、財団法人などの団体に包括的に代行させることができる仕組みだ。

1 映画『十戒』

 40数年ぶりに、YouTubeでチャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』(1958年)を無料視聴した。3時間40分の長編だ。

 


 素朴な感想だが、ヘブライ人(=イスラエルの民=ユダヤ人)というのは、全知全能の神の偉大な奇跡をまざまざと見せつけられてもなお神を平気で裏切る愚かな連中だと思った。

 だが、この素朴な感想は、マルティン・ルターもきっと賛同するだろう。
 なぜならば、ルターは、ユダヤ人は「十戒を愚弄し、神を馬鹿にする」と述べているからだ。

 なお、モーゼに率いられた膨大な人数(数百万人規模だと推定されている。)のヘブライ人がエジプトを脱出し、40年間シナイ半島の砂漠を彷徨ったという旧約聖書の「出エジプト記」が史実だとする考古学的・歴史学的な証拠は、一切ない。
 民族大移動の考古学的痕跡や当時のエジプトや周辺諸国の歴史的資料があって良さそうなのだが、一切ないのだ。
 仮に史実ではないとしたら、これを信じている一神教徒(ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒)って。。。

 また、映画『十戒』は、旧約聖書の「出エジプト記」をベースにしているが、例えば、聖書には、モーゼがエジプトの王子として若い頃に恋愛をしたという記述がないし、また、聖書では、シナイ山の麓に集まったヘブライ人全員が神の声を聞き、十戒を授かった後に、モーゼが山に一人で籠っている40日間に、民が退廃して金の仔牛を神として崇めて乱痴気騒ぎをするのに、映画では時系列が逆になっているなど、ハリウッド的な大胆な改変や誇張がなされており、聖書に完全に忠実ではないので、鵜呑みにしないように注意を要する。


2 事実上禁書扱いされた論文
 ところで、世界史の授業で、1517年、神学教授ルターが、『九十五か条の論題』で、教皇レオ10世が売り出した免罪符に抗議して、宗教改革が始まったことを習ったと思う。

 しかし、1543年にルターが『ユダヤ人と彼らの嘘』(原題: Von den Juden und ihren Lügen)という反ユダヤ主義の論文を発表したことは、一部の研究者を除き、ほとんど知られていない。


 では、なぜこの論文は世間に知られていないのか。


 この論文は、ラテン語ではなく、16世紀の古いドイツ語(初期新高ドイツ語)で書かれており、現代のドイツ人には読めないということが一つの要因だろう。
 ドイツでは、1936年に原文のまま出版されたが、現代ドイツ語訳が出版されたのは、2016年だった。 
 アメリカで英訳『THE JEWS AND THEIR LIES』が出版されたのは、1948年だ。
 日本で邦訳『ユダヤ人と彼らの嘘,仮面を剥がされたタルムード』(雷韻出版)が出版されたのは、2003年だ。1980円だったこの本は、すぐに絶版になり、古本は39840円もする。 

 勝手な想像にすぎないが、バイアスがかかっていたのかも知れない。
 というのは、例えば、アメリカでは、1913年に設立された名誉毀損防止同盟(ADL)や、アメリカユダヤ人委員会(AJC)など、反ユダヤ主義や差別表現を監視する非常に強力なロビー団体・市民活動団体が存在し、また、特に戦後の欧米では、ナチス・ドイツのホロコーストに対する反省から、反ユダヤ主義がタブー視・危険視されたため、反ユダヤ主義のこの論文の出版が躊躇われたのではないかと考えられるからだ。
 実際、英訳の発行者によれば、「原語の本論文を発見し、翻訳を始めようとしたとき、多方面からの広範な妨害に直面して驚かされることになった。二名の翻訳者が脅迫されたのである。文章は簡潔であるが、かなり劇的な体験を経て、われわれは翻訳を完成した。翻訳する過程で、われわれは、本論文を秘密にしておこうとする巧妙に仕組まれた計画が存在すると確信するに至った 」と述べている。

 ユダヤ人が意図的に世間の目に触れないよう隠蔽したのかどうかについて、私には確かめる術がないけれども、ルターが反ユダヤ主義の論文を書いた歴史的事実とその内容は、決して変えられない。

 我々は、この論文を反ユダヤ主義だとして忌避する前に、中立な立場で、歴史的資料として虚心坦懐に読むべきではなかろうか。
 なぜならば、「世界史」の教科書では決して触れられないけれども、キリスト教国である西洋では、古代から連綿として反ユダヤ主義が流れており、その理由を知らなければ、西洋史を正しく理解できないし、また、ユダヤ人問題は、現代の西洋が抱えるイスラム教徒の移民問題とオーバーラップする問題だという意味でも、現代的意義があるからだ。

 この論文は、かつてナチス・ドイツで差別主義やユダヤ陰謀論に悪用されたらしいが、だからといってこの論文を読むことは、これらに与することを意味しない。
 歴史的資料として読んで、教訓を引き出すべきなのだ。

 邦訳は、絶版になっているが、翻訳家の島講一氏が、英訳本を邦訳し、ネットに公開しておられる。

 


 英訳を読みたい場合には、こちらをご覧いただきたい。

https://courses.oneforisrael.org/wp-content/uploads/2023/12/On_The_Jews_And_Their_Lies_Luther.pdf


3 ルター著『ユダヤ人と彼らの嘘』の概要

 さて、ルターは、ユダヤ人をユダヤ教からキリスト教へと改宗させようとしたそうだ。ルターのことだから、きっと熱心に布教したことだろう。
 しかし、ルターは、挫折した。ユダヤ人との関わりの中で、ユダヤ教の問題点に気付き、研究成果を『ユダヤ人と彼らの嘘』という論文にまとめた。
 ここではこの論文からいくつかの文章を一部引用し、その論旨を明らかにしようと思う(※太字・下線:源朝臣)。

 ユダヤ人は、異教徒を「ゴイム」(「民族」を指すGoyゴイの複数形)と呼んでいるのだが、ルターによれば、ユダヤ人にとってゴイム「異教徒」(キリスト教徒など)は、「虫ケラに値しない存在」であり、「家畜」なのだそうだ。
 
 これに対して、ルターは、「神の戒律を知らないのに異教徒に対して高慢で居丈高になる 」ユダヤ人よりも、神の御前では、異教徒の方がまだましだと述べている。
 なぜなら、「彼らは神聖なものにそうした傲慢さをもっておらず、奢り高ぶる聖人や罪深い神者、嘘つきどもよりはるかに律法に適ったことを行なうからである 」。

 そして、ルターは、ユダヤ人について、次のように述べている。
 「彼らは一つの原則を保持し、それに依存している。すなわち、自分たちは地上で最も高貴な民族として生まれたのであり、アブラハム、サラ、イサク、レベッカ、ヤコブ等の子孫であるということだ。
 したがって彼らの目から見ると、われわれ異教徒は人間ではなく、まったく虫けらにも値しない存在なのである。それはかの気高い貴族の血統ではないからだ。これが彼らの主張であり、私の意見では主要にして最も強固な部分である。」

 「いかに神がわれらと共にあるか、そして流浪の身であるわれわれを見捨てていないか、見守り続けよ。われわれは働かず、よき怠惰な日々を満喫している。そして、呪われたゴイムは、われわれのために働き続けなければならない。われわれは彼らの金銭を手に入れる。それゆえにわれらは彼らの主人であり、彼らはわれわれの召使いである。
 イスラエルの子どもたちよ、事態はさらに良くなっていくであろう。もしもわれわれがかくのごとく継続し、異教徒たちの「ヘムダート」(欲望、財産:ヘブライ語)を高利貸しによってわれわれのものにしてゆくならば、われわれの救世主がやって来られるであろう 」


 「もしユダヤ人が異教徒を殺害したとしても、殺すことは罪ではない。しかし、彼がイスラエルの兄弟を殺すなら、それは罪である。もし彼が異教徒に対して誓約を守り続けなかったとしても罪ではない。それゆえに、異教徒から盗んだり掠奪することは(彼らが高利貸しで行なうのと同様に)神聖なる仕事なのである。なぜならば、彼らは高貴な血筋であり割礼を受けた神聖なる人間であるが、一方のわれわれは呪われたゴイムなので、われわれキリスト教徒に罪深くありすぎることは決してあり得ないというふうに考えているからである。そして、彼らは世界の支配者であり、われわれは彼らの召使い、そう、彼らの家畜なのである。 」


 「ユダヤ人は、自分たちの救世主にコホバや世俗的な王になってほしいと強く望んでいるだけなのである。その王とは、キリスト教徒を虐殺し、世界をユダヤ人のあいだで分割し、彼らを金持ちの王侯とし、最後には他の王やその子どもたちと同じように死んでゆく世俗的な王である。 」
(※注:「コホバ」は、2世紀のローマ帝国に対して、ユダヤ属州で起きた第2次ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)を率いたユダヤ人の革命指導者シモン・ベン・コスィバの別名)

 「エルサレム崩壊後の千三百年間にユダヤ人のせいでわが主やキリスト教徒、そして(まだその目や肌に輝きのある)子どもたちが流した穢れなき血に対して報復しなかったことは、われわれの失敗であった。
 彼らを殺害せず、彼らの殺人・呪い・冒涜・恥辱を咎めもせずにわれわれの間に住むことを許し、彼らの学校・家・身体・財産を守り、そうすることによって彼らを怠惰にし、彼らを信頼してわれわれから金銭や財産を搾取することを保証し、助けた。ところが、彼らはわれわれを嘲り、唾を吐きかけ、最終的に彼らが勝利し、大罪を犯してわれわれ全員を殺害し、その財産のすべてを強奪することを願い、日々祈っているのだ。こうしたことがすべて、われわれキリスト教徒の失敗だったのである。」として、次のように提言している。
 「第一に、彼らの会堂と学校を避け、それらに反対するよう、国民に警告せよ。 」
 「第二に、あなたがたは、彼らが自分の家をわれわれの間に建てることを拒否せよ。 」
 「第三に、虚偽と呪いと神を説く彼らの祈祷書とタルムードの写本を全部没収せよ。 」
 「第四に、彼らのラビが教えることを禁止せよ。 」
 「第五に、街道におけるユダヤ人の保護を廃止せよ。 」
 「第六に、ユダヤ人にとって異国の地、つまり自国の主人ではない場所においてユダヤ人が高利貸しを営むことを禁止せよ。 」
 
 ルターは、「この千四百年間われわれの疫病神にして害毒、あらゆる災難の元凶でありつづけ、現在もそうであるユダヤ人どもは、このように絶望的で、悪魔的で、害毒をたれ流す者どもなのである 」として、最終的に次のように結論づけている。

 「私の意見では、以下のような結論にならざるを得ない。もしもわれわれがユダヤ人の神から潔白で、彼らの共犯者になりたくないのであれば、彼らと分離して住まなければならないし、彼らはわが国を去らねばならない。かくすれば、彼らはもはや、われわれが彼らを捕らえていると嘆くこともできないし、神に嘘をつくこともできない。われわれとしても、彼らが神と高利貸しによってわれわれを悩ますと嘆くこともなくなるであろう。これが、両者に安全を保証するもっとも手っとり早い最善の方法である。 」

4 現代的意義
 このようなルターの考え方については、賛否両論あろうが、一神教徒の間で論争すればよい。
 我々日本人にとっては、直接関わりのない問題だ。

 我々にとって重要なのは、当時最高の知性の一人であったルターが、身の危険を顧みずに過激な言葉で訴えなければならないほど深刻なユダヤ人問題を西洋が解決できずに、政治・経済・社会に対する大きな影響力をユダヤ人に持たせてしまったことだけでなく、イスラム教徒の移民を受け入れてしまったため、同じ轍を踏んでしまったことだ。
 西洋は、イスラム教徒の移民を排斥しない限り、さらに変質し、イスラム教徒が多数派となった暁には、西洋は、イスラム教国になるだろう。

 日本も、西洋に類似した二重の苦難に直面している。
 日韓併合と戦後の永住許可制度等により、在日韓国人・朝鮮人が政治・経済・社会に対する大きな影響力を持ってしまっただけでなく、愚かにも西洋の失敗から学ばずに、二番煎じでイスラム教徒の移民を受け入れている。
 ここでは後者について述べよう。

 イスラム教徒の移民を受け入れたイギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンなどでは、治安が著しく悪化し、もはやかつての面影がなくなってしまった。
 これに対して、移民の受け入れを断固として拒否したポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなどでは、従来通りの治安を維持している。

 日本の憲法や法令などの人がつくった世俗の法よりも、イスラム法が上位にあると考えるイスラム教は、法の支配・法治主義を根底から覆す危険思想であって、日本国憲法と相容れない。
 それ故、イスラム教徒の移民受け入れを拒否することは、合理的理由に基づく区別であって、決して差別ではない。

 日本人とイスラム教徒の平和的共存を図るためには、棲み分けが一番だ。
 移民を受け入れるかどうかは、日本国の主権に属する裁量事項であって、外国人には入国の自由がない。
 移民を受け入れるかどうかの主導権を日本人が握っていられるのは束の間にすぎない。イスラム教徒が多数派になるのは、時間の問題だからだ。我々に残された時間は、ほとんどない。 
 我々は、ルターの警鐘に耳を傾け、将来に禍根を残さぬように、今のうちにイスラム教徒の移民を拒否すべきだ。

 

 幸いなことに、我々には、先例がある。1587年(天正15年)、豊臣秀吉公が発令した「バテレン追放令」だ。

 1580年(天正5年)にキリシタン大名の大村純忠が長崎をイエズス会に寄進し、教会の武装化・軍事拠点化が見られたこと、弱者の弱みに付け込み布教し、信者を結束させ、一向一揆のような反乱の可能性があること、ルソンなどと同様の植民地化の危険があること、ポルトガル商人らが日本人を奴隷として海外へ人身売買していることから、日本は、神国であるとして、キリスト教の布教を禁止し、外国人宣教師(バテレン)に対して20日以内の国外退去を命じるとともに、キリシタン大名らが領内で神社仏閣を破壊・没収していることを非難して、これを禁止した。

 お蔭で日本は、植民地化を免れ、幕末まで天下泰平を謳歌し、豊かな文化が花開いた。

 今こそ先人の叡智を学ぶべきだ。


 

 Ameba Owndで「ブログ夙夜夢寐(しゅくやむび)」を書いていたのだが、2026年10月22日(木)より緊急メンテナンスを実施していたAmeba Owndが、2026年12月24日(木)11:00にサービスを終了する決定をした。

 

 閲覧だけはできるが、新たなブログの書き込みができない。そこで、こちらで継続することにした。

 

 これまで書いてきたブログについては、エクスポートしてこのAmebaブログに移行できるらしいが、エクスポートの方法が明らかになっていない。

 気長に待つことにしよう。