皆様こんばんは!
SEおじさんです。今夜、職場のみんなと歓迎会を近くのハンバーグ屋さんで行いました。

 行きつけの焼き鳥屋さんが満杯で、急遽横のハンバーグ屋さんでの開催と成りましたが、予想以上に美味しく、和気あいあいとした飲み会となりました。

3人の飲み会だったのですが、3人共、歴史オタクと云う共通点があり、

おじさん・・立花宗茂
Mさん・・・真田昌幸
Sさん・・・北条氏康

と言うなかなか渋いラインナップで、盛り上りました。特に若手のS君のオタク度は半端なく、多分おじさんより、詳しいのではないだろうかと思う程でした。おじさんが、去年挙げた好きな戦国武将top10は、エピソード付きで、全て知ったいました!どんだけ~(^o^;)

てなわけで、今日は武田信玄の功罪についておじさんの考えを少し話して締めたいと思います。
武田信玄は、若いころ(武田晴信時代)は部下の統率に苦労したそうですが、家臣、豪族の心苦心してを掴んでからは、絶対の統率と言うか、信頼を得て、信玄公の云う事は神の声であり、家臣団も絶対服従していました!

また信玄公武田家や家臣団の為のならない戦争は全くしないと云う家臣想いの人でも有りました。
 義の為に、家臣の為にならない関東出兵をしまくった上杉謙信とは、対照的デスね!

 ただ晩年は、海を得る為に、北条家を敵に廻しての強引な駿河出兵をしたり、勝頼を諏訪四郎のまま、ピンチヒッターのまま、跡継ぎにして、求心力の低い武田家に結果的に成ってしまい滅亡の要因を作ってしまったと言う汚点を残してしまいました。( ;´・ω・`)

あれ、何を言いたかったんだっけ?偉人と呼ばれていた人も精一杯試行錯誤してあがいていたんだなーー!で、締めたいと思います。

お休みなさい(^o^)/