https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A8%E3%83%95  より

グルジエフの「思想」もしくは「教え」という言葉が使われるが、グルジエフ自身はこれをただ“my ideas”と呼んでいた。ロシア語でもこれは基本的に同じである。グルジエフの母国語のひとつであるギリシャ語に由来し、「思想」もしくは「教え」というより、「世界観」もしくは「人間観」といった言い方に近い。

グルジエフの提示した世界観は、人間の存在や宇宙の成り立ちをめぐる一見して独自な見方を含むが、同時に科学的追求の色彩を帯びている。

グルジエフの思想が西洋に広まる過程では、一見して取っつきにくいグルジエフの主張や見解をもっと一般に受け入れられやすい体裁にまとめなおそうとする動きが生じたが、グルジエフはこれを支援せず、自らの著書においては、独自の語彙と形式をもってこれを記述した。

歴史的な経緯として、グルジエフに由来する思想の広まりで大きな役割を果たしたのはウスペンスキーだが、1921年ごろから、グルジエフを離れ、グルジエフから学んだ知識を基に自ら教えるようになった。また、グルジエフに由来する思想をアメリカに広めるうえで大きな役割を果たしたA・R・オラージュは1934年に急逝したが、C・ダリー・キングをはじめとする生徒たちの一派は、自分たちがオラージュを通じて学んだグルジエフの教えだけが本物であり、その後のグルジエフは認めないという姿勢をとった。そのため、一般に「グルジエフ/ウスペンスキー思想」として知られているものと、グルジエフ自身の著作が伝えるものとの間には、いくぶんかの隔たりがあるように見える。

 

人間の機械性

人はそのありふれた状態においては条件付けに支配された機械のようであり、責任をとる能力、ものごとを意図的に為す能力を著しく欠いているという見解をグルジエフ示した。

「君が目にする人たち、君が知っている人たち、君がこれから知り合いになるかもしれない人たちはみな、機械である。君のさきほどの言いぐさを真似るなら、外部からの影響で動かされるだけのまさに機械にほかならない。」

「機械であるのをやめることはできる。だが、そのためには何よりもまず、機械を知らなければならない。機械、つまりほんとうの機械は、みずからを知らず、みずからを知る可能性もない。機械がみずからを知ったなら、それはもう機械ではない。少なくとも、それまでのような機械ではない。もう自分がすることへの責任をとりだしている」。「ということは、あなたに言わせると、人間はふつう無責任だということですか?」と私(ウスペンスキー)は聞いた。「もしも人間だったなら責任をとれる……」とG(グルジエフ)は言った。「機械には責任のとりようがない」

 

すべてはただ起きる/意図的に為すことの困難

「人にはなにもできない。[……]人は機械である。そのふるまい、言葉、思い、気持ち、信念、意見、習慣はみな、外部からの影響や印象がもたらした結果にすぎない。自分からはひとつの考えも生み出せず、ひとつの行動も起こせない。言うこと、思うこと、感じること、すべてがただ起きる。自分からはなにも見つけられず、なにも生み出せない。すべてはただ起きる[……]大衆運動も戦争も革命も政変も、ただ起きる。同じく人の一生においてもすべてはただ起きる。人は生まれ、生計をたて、死に、家を建てたり、本を書いたりするが、みずから望んでというより、たまたまそうなるのだ。すべてはただ起きる。人は自分から愛したり、憎んだり、求めたりするのではない。それらもただ起きることだ。」

「[主体的に]なにかをすること(to do)ができるにはまず、存在すること(to be)が必要だ。存在するということはどういうことだろう、まずはそれを理解する必要がある。」

 

超人思想?

質問者「もっと発達を遂げ、バランスを獲得し、外部からの影響に勝てるほど強くなって、超人になるというのが目標ですか?」

グルジエフ:「[そんなことよりまず]なにもできないという現状を理解しなさい。われわれは外側に反応して動くばかりで、すべてが機械的だ。成し遂げたいことがあっても成し遂げることなどできないというのが現状だ。」

 

複数の「私」

「人は複数に分かたれた存在である。ふつう自分について話すとき、われわれは『私』という言葉を使う。「私はこれをした」、「私はこう思った」、「私はこうしたい」とか。だが、これは誤りだ。そんな『私』などいない。いや、同じことを別なふうに言うなら、われわれひとりひとりのなかには何万もの小さな『私』がいる。われわれは内側で分裂しているのに、観察と研究なしには、自分の存在が複数に分かたれていることを認識できない。いまはそのうちひとりの『私』が活動しているが、次の瞬間にはそれとは違う『私』が活動している。内側にいる複数の『私』の間には一貫性がないので、われわれのすることは調和に欠けている。」

 

同一化(identifying)

グルジェフに由来するこの言葉は現在では一般用語になりつつある。

「人が自分を覚えていられないということは……人はいつも、そのときどきに自分の注意を引いたもの、そのときどきに自分に生じた思い、欲求、空想などに同一化していることと関係している。同一化はもっとも手ごわい敵のひとつだ。それはあらゆるところに入り込み、人はそれと闘っているつもりでいて、じつはその罠にまんまとはまっているということがあるからだ。[……]同一化の根がどこにあるのか、自分の内側を深く探る必要がある。同一化との闘いを難しくするもうひとつの要因として、人はそのあらわれを自分のなかに認めるとき、それをとてもよいものと見なし、『意気込み』、『熱意』、『情熱』、『創意』、『ひらめき』とかいう名前でそれを呼び、どんな分野でも本気ですぐれた仕事をしたければ同一化は必須なのだと思っている。」

 

内的考慮(internal considering)

「同一化のとりうるいろいろなかたちに目を向けたうえでさらに、同一化の一形式として、人を『考慮』してしまう[気にしてしまう]という、人を相手にした同一化に注目する必要がある。この種の『考慮』にはいくつかの種類がある。いちばんよくあるのは、他人は自分をどう思うか、他人は自分をどんなふうに扱うか、他人は自分にどんな態度を見せるかといったことを気にして、それに同一化することである」

 

「センター」

頭、心、体という三区分に対応した頭のセンター(知性センターまたは思考センターという)、心のセンター(感情センターという)、体のセンター(正確には運動・本能・性センターという)の三者を「三つのセンター」という。このうち体のセンターだけを三つに分けて(運動センター・本能センター・性センターに分けて)見た場合、「五つのセンター」という見方となる。さらに「高次思考(知性)センター」と「高次感情センター」を加えると「七つのセンター」という見方になる。これらの見方の間に矛盾はないが、言葉の用法上の問題もあり、ウスペンスキーによる初期の叙述の時点で大きな混乱が生じている。

「とりあえず言っておきたいのは、人間機械すなわち人の身体の働きは、単一の脳によってではなく、おのおのが完全に互いから独立し、別々の機能と活動領域を与えられた複数の脳によって制御されているということだ。まずはこれを理解しなさい。これを最初に理解しないことには、他のことを理解するのは不可能だからだ」 

これに続くウスペンスキーの説明は誤解である。

ウスペンスキーの主張: 多くの人たちは最初の説明とその後の説明の間に矛盾を見い出し、ときにはつじつまを合わせようとして、Gが実際に言ったこととは無関係の空想的な理論を作り上げた。その結果、一部のグループ(ふたたび言っておくが私とは無関係のグループ)の者たちは「三つのセンター」という考えに固執した。そしてその考えは「三つの力」に関する考えと結び付けられたのだが、実際には無関係の考えである。第一にセンターは三つではなく五つあるからだ。

解説: グルジエフはその著作および記録された講義において「三つのセンター」という見方を基本にしていて、それを明らかに「三の法則」と結び付けている。 グルジエフは人間を、思考・感情・本能のそれぞれを受け持つ「三つの脳」(three brains)を備えた生き物)と見なした。これらは「三つのセンター」とも呼ばれる。グルジエフの著作においては「それぞれ独立して精神を付与された三つの部分」とも描写されている。以上が基本となる見方だが、これら三つのセンターのうち本能をつかさどるセンターは、さらに運動・本能・性の三つのセンターに分かれていると見なされる。 人間の調和的な成長の観点から見ると、グルジエフが「三の法則」と呼んだ原理に従った能動・受動・和解の三つの力のそれぞれを宿した運動・本能・性の三つ組(triad)がひとつの統合体として、思考のセンターおよび感情のセンターとやはり「三の法則」に基づく関係を結ぶことで、思考・感情・本能の三つ組が成立するということになる。さらにこの三つ組が、「高次思考センター」および「高次感情センター」とやはり「三の法則」に基づく関係を結ぶことで、さらに高度な段階の三つ組が成立するということになる。 グルジエフは「三つのセンター」の観点から各種のエクササイズを組み立て、学院のプログラムのなかで六つのセンターの協和的な働きを追求した。

同時に二つ以上のセンターを使う

「三つのセンター」(頭/心/体)という見方に基づく話として、人はふつういずれかひとつのセンターを独立して制御する能力を高めるべく教育および訓練され、この種の能力を高度に発達させた者たちのことを賞讃するが、そのような発展には多くの代償が伴い、そしてそのような片寄った発展では人の個としての発展とは異なるという見方をグルジエフは示し、ムーヴメンツをはじめとする具体的なメソッドをもって、複数のセンターの協働を志向するアプローチを追求した。


グルジエフ:「われわれの弱さの主たる理由は、自分の意志を三つのセンターのすべてに対して同時に適用できないことにある。」

質問者:「個別になら意志を適用できるということですか?

グルジエフ:もちろんそれならできる。三つのセンターのいずれかを一時的に意のままに操り、とても驚くべきことをやってのけることさえある。」

「二つ以上のセンターが関与してはじめて、理解は成立する。いっそう完全な認識のかたちもあるが、まずは、ひとつのセンターからもうひとつのセンターを制御する[もうひとつのセンターにアクセスする/うかがいを立てる]というのをやってみなさい。あるセンターに認識が生じたとき、他のセンターがその中身を吟味して、そのとおりだ、またはそれは違うと判断する。こうしたことの結果として理解は生じる。

魔術師と羊/人類の不自然な眠り

「何千ものことが人の目覚めを妨げ、人をその人なりの夢の支配下に留めようとする。目覚めを求めて意識的にそれに対抗するには、人を眠りの状態に留めようとする諸力の性質を知らなければならない。

真っ先に理解するべきこととして、人がそのなかで生きるところの眠りは、自然な眠りではなく、催眠性の眠りである。人は催眠下にあり、この催眠状態はつねに維持および強化されている。[自然界・惑星界が]なんらかの力をうまく働かせるためには、人間を催眠状態に留め、人間が真実を見て自分の現状を理解するのを妨げたほうが好都合なのだと思われる。

ある東洋の小話によると、むかしとても裕福な魔術師がいて、たくさんの羊を飼っていた。この魔術師は、とてもケチだった。羊飼いを雇いたくない。羊たちのうろつく草原に柵を設けるつもりもない。羊たちはよく森に迷い込んで、断崖から落ちることもあった。それによく逃げ出した。魔術師が自分たちの肉と皮を欲しがっているのを羊たちは知っていて、これは勘弁してもらいたかったからだ。

ついに魔術師はいいことを思いついた。彼は羊を催眠にかけ、羊たちに暗示した。第一に、おまえたちは不死身であり、皮をはがれてもだいじょうぶ。それは健康によいことで、気持ちいいぐらいだ。第二に、魔術師は良き主人であり、羊たちが大好きだ。羊たちのためなら何でもする。第三に、何が起こるにせよ、それは今日のことではないので、心配はいらない。さらに魔術師は、おまえたちは羊ではないのだと暗示をかけた。何匹かには、おまえたちはライオンなのだと言った。何匹かには、おまえたちはタカなのだといった。何匹かには、おまえたちは人間だと言った。何匹かには、おまえたちは魔術師だといった。

このすべてを終えた後、魔術師はもう、羊のことで気をもんだり、心配したりすることがなくなった。羊たちはもはや逃げようとせず、魔術師が彼らの肉と皮を必要とする日が来るのをおとなしく待つようになった。 この話は、人間の置かれた状況をよくあらわしている」

目覚めること/自分が無であることの自覚

上の「魔術師と羊」の話との関係でなら理解しやすいこととして、グルジエフはこの人類的な「眠り」から覚めるということ、「目覚める」ということを、たいへんな苦しみを伴うもの、自分が無であることの自覚を伴うものとして描写した。

「目覚めるとは、自分が空っぽであることの自覚を意味する。自分はまったくもって機械のようであり、まったくもってなにもできないことを自覚することだ。これを哲学的なこととして言葉のうえで理解するのでは、じゅうぶんではない。あからさまで単純かつ具体的なこととして、しかも自分のこととして、これを自覚する必要がある。

人は少しでも自分について知りだすと、やがておぞましいと感じざるをえないものの数々を自分のなかに見るようになる。自分を見て恐慌をきたしたことのない人は、まだ自分についてなにも知っていない。人は自分のなかにおぞましいものを見いだす。それを投げ捨てたい、やめたい、終わらせたいと思うだろう。だが、どれだけ努力しても、なにも変わらず、これはどうにもならないのだと思い知らされる。このとき人は、自分にはなにもできないことがわかる。自分は無力である、無価値であることを知る。」

 

「良心」

「良心という概念と道徳という概念は、互いにまったく無関係だ。良心とは、普遍的かつ不変のものだ。それはすべての人間のなかで同一だが、緩衝器[自分をありのままに見ることを妨げるもの]がなくなってはじめて、それを感じられる。さまざまな種類の人間についてあなたが理解できるよう、ここで言うのだが、内側に何の矛盾もない人間にとっての良心というものがある。そのような人間にとって、良心は苦しみではない。それどころか、それは、われわれには理解できない、完全に新しい質を帯びた喜びだ。だが、数千もの小さな「私」からなる人間にとっては、良心の一瞬の目覚めさえ、苦しみをもたらさずにはいない。だが、そうした良心の目覚めの瞬間がだんだんに長くなり、そして当人がそれを恐れるのではなく、むしろ歓迎し、それらの瞬間を長引かせようとするなら、微妙な喜びの質が、それらの瞬間に宿されていく。それは、未来に得られるかもしれない、曇りなき良心の先触れだ。」

「自分を覚えていること」

「これはいわゆる自覚ある状態。人が主体としての自分と機械としての自分の両方を意識している状態である。われわれは瞬間的にならこのような状態を体験するが、それは一瞬しか続かない。自分がしていることを意識するのに加え、それをしている自分を意識する瞬間である。「私はここにいる」という認識において、「私」と「ここ」の両方を意識する、あるいは怒りのなかにあって、怒りそのものと、その怒りのなかにある私の両方を意識している、というようなことである。これを「自分を覚えている状態」とか呼びたいなら、そう呼んでもよろしい。」 

「自己想起」の独自の解釈を中心に据えたウスペンスキーの教えをグルジエフは支持していない。

「イギリスの首都に暮らす者たち[ウスペンスキーとその生徒たち]の場合、これがいわば『イングリッシュ魂』にぐっときたと見えて、私の提示した理論体系を要約する例の言葉、つまり必要に迫られて私も使わざるをえなかった『自己想起』という言葉に『クレージー』になり、これを自分たちの固定観念とするに至った。」

宇宙論のあらまし

万物を貫く二つの流れ(インヴォルーションとエヴォルーション)の間でのダイナミズムによって維持される宇宙(大宇宙から小宇宙まであらゆる規模の宇宙)のヴィジョンをグルジエフは提示し、そのなかでの全体と個との関わり、地球上の人類が置かれたとくに不利な立場、個人に残された進化の可能性を論じた。宇宙規模でのエネルギー収支を意識したエコロジー的な視点がとられているが、人類が自分たちの福利のために自然界の生態系について考えるというのではなく、宇宙規模または惑星規模のエコロジー的な利害に従属して生かされる人類の悲劇に目を向けるところが、多くの人を驚かせるところである。

生まれてきたことの意味に疑いをさしはさむようなこの視点は、一部のグノーシス思想に見られるものではあるものの、多くの人にとって意外かつ呑み込みがたいものであるうえ、しかも古い邦訳では、インヴォルーションとエヴォルーションという特別に厄介な用語の扱いに問題があることから、グルジエフの宇宙論は、とくに日本では実際以上に難解なものと見なされてきたきらいがある

グルジエフはこの両方向での流れを支配する法則として、「三の法則」(肯定・否定・和解もしくは能動・受動・中和の原理)ならびに「七の法則」(オクターブの法則/現象の展開における不連続性の法則)を論じた。エニアグラムは、この二つの法則の間での結び付きと、それによって可能となる調和的発展や宇宙的協和の可能性を表す。現象の展開における不連続性(非線形性)、複雑な相互作用によって存続を維持される生命系、全体と個との間での関わり合いに関する洞察は、現代の複雑系研究の先触れと見なすことができる。

「宇宙のあらゆるものには物性があり、宇宙の法則に従って、すべては動きのなかにあり、つねにそのありかたを変えている。こうした変化の方向は二通りである。もっとも精妙なものからもっとも粗雑のものへというのが一つの方向、逆にもっとも粗雑なものからもっとも精妙なものへというのがもう一つの方向である。 この二極の間で、物質はいろいろな密度[density:物性もしくは粗雑さの度合い]をもつ。また、この二極の間での密度の増減は、均等の速度で連続的あるいは継続的に進行するのではない。

この展開の過程における特定の位置に停止点もしくは中継局のようなものがある。とても広い意味での有機系(太陽、地球、人類、微生物など)がこうした中継局を形成する。これらの中継局は、上から下への流れ(すなわち精妙なものが粗雑なものに変わりゆく過程)でも、上から下への流れ(すなわち粗雑なものが精妙なものに変わりゆく過程)でも、変換器としての役割を果たす。これらによる[物質の]変換は完全に自動的に進行する。

宇宙のどこでも物質は物質だが、階層に応じて密度が異なる。したがって、個々の物質には、物性の尺度[密度に応じたスペクトル]の上で所定の位置がある。また、個々の物質は、精妙さを増していく流れのなかにあるか、それとも粗雑さを増していく流れのなかにあるかのどちらかであって、この点においても区別される。

変換器の規模はいろいろだが、働きは同じである。個々の人間も地球や太陽と同様に一種の送信機であり、その内部では地球や太陽におけるの同様の機械的な諸過程が進行する。すなわち個々の人間の内部にも、高次の物質が低次の物質に変わりゆく流れと、低次の物質が高次の物質に変わりゆく流れがある。

この二方向への物質の変成の流れを、回帰的進化[evolution:下から上への被造物の回帰の流れに沿った物質の変成]および進展的退化[involution:上から下への創造の進展の流れに沿った物質の変成]と呼ぶ。これは絶対的な精妙さから絶対的な粗雑さへ、およびその逆に絶対的な粗雑さから絶対的な精妙さへという本流に沿って進行するほか、そこから分岐した支流として、あらゆる中継局で、そしてあらゆるレベルで進行する。

なんらかの独立体がみずからの必要なものを摂取するとき、摂取された物質はその独立体の内部で回帰的進化または進展的退化の過程をたどる。ありとあらゆるものはなんらかのものを外部から摂取する、すなわちなんらかのものを食べる。そしてみずからも、なんらかのものに食べられる。これを相互給餌と呼ぶ。この相互給餌は、有機物と無機物の両方を含めた万物の間で進行する。」

人類の従属的な役割/全体的進化の不可能性と個人の立場

「人類全体は進歩も進化もしない。進歩または進化と見えるのは、たんなる部分的な改変で、その裏で起きる逆方向への改変によってすぐにでも帳消しとなりうる。人類は、他の姿をした有機的生命と同じく、地球の必要と目的を満たすべく地球上に生まれてくる。まさに現時点における地球の必要を満たすべくである。[……]人間はその内側に進化の可能性を秘めている。だが、地球および惑星界の全体的な福利にとって、人類全体の進化、すなわちあらゆる人間、大多数の人間、あるいは多くの人間がこの可能性を発展させるのは無用どころか、有害で致命的ということもありうる。したがって、人類の多数が進化することを妨げ、人類を現在のレベルに留めておくため、(惑星レベルで)特殊な力が作用している。[……]

これを理解しなければならない。あなたはあなた自身のためにだけ、あなた自身の成長を必要とする。他人にとってはどうでもよいことだ。だれにもあなたを助ける義務はない。だれもあなたを助ける気などない。そのうえ、人がおおぜい進化することを阻止する力は、個人の進化も阻止しようとする。人は狡猾にもその力を出し抜いて進化を求めなければならない。」

「ワーク」

グルジェフがしばしば使ったwork on oneself(自分を相手にした取り組み)という表現に由来するが、the workというのは、グルジェフ自身というより、一部の生徒たちが好んで使った言葉のようで、グルジエフの著作では、「いわゆる『ワーク』」というように、カッコ付きで使われている。

グルジエフによる用例

「彼女は心からの意欲をもって彼女自身を相手にした取り組み[work on herself]を始め、彼女に一回でも会った者はみな、彼女からこの取り組みの成果を感じることができた。」

「私といっしょに来た者たちがいわゆる『ワーク』を続けられるよう……大きなアパートメントを借りた。」

グルジエフの音楽と舞踏

グルジエフは、ロシアの作曲家であるトーマス・ド・ハートマン(1885-1956)との共作で数々のピアノ曲を残した。ハートマンの手記によると、グルジエフはピアノを一本指で弾くことで、あるいは口笛によって旋律を指示し、ハートマンがそれを展開させていくと、さらにグルジエフが新しいパートを加えるなどして、曲が生み出されていった。

これらの曲は作風の違いからいくつかに大別され、全集の多くでは、「アジアの歌と踊り」(エスニック系の作品集)、「聖歌」(キリスト教系の作品集)、「ダルヴィッシュの儀式」(スーフィ系の作品集)、「魔術師たちの闘争」(同名のバレエのために作曲された作品集)などのタイトルを使用している。

ハートマンとの共作以外にも、グルジエフ自身の演奏の録音が残されており、公開されているものもある。

グルジエフが教えた数々の舞踏や体操は「ムーヴメンツ」と総称され、200余りの作品が現在まで伝えられているという。グルジエフの自伝的著作に基づく映画『注目すべき人々との出会い』の最後に映像が収められている。

伝承の系譜とワークのグループ

グルジエフはその著書で、「ワーク」として知られる取り組みを主導するに至った主要な動機のひとつとして、戦争・動乱・革命などの現場で目の当たりにした異常な集団心理や人類の集合的な病からの解放に向けての取り組みの必要性に関する自覚を挙げている。

これは個としての目覚めに向けての取り組みでありながら、グルジエフは、集合的な自動性に対抗するうえでの個人の無力さを指摘し、共同の取り組みの必要性を強調した。

グルジエフは、学院におけるコミューン的な状況のなかでの活動に終止符を打った後も、アメリカとフランスで複数のグループの指導にあたった。1940年代になると、ジャンヌ・ド・ザルツマンを中心とする小規模なグループでのワークを指導するようになり、これは第二次大戦中を通じて継続された。そして戦後には、英米からの多くの元弟子や新しい生徒を迎え入れたが、みずからの死後のためにひとつにまとまった組織を用意することはなかった。

グルジエフの死後、パリのグループでグルジエフを補佐してきたジャンヌ・ド・ザルツマン(1889-1990)がグルジエフ後期のワークを引き継ぐかたちとなり、彼女の親族や支持者が中心となって、グルジエフ・ファウンデーション/ソサエティなどの団体が結成され、世界各地で小グループの定期的な集まりを中心とする活動を主導するようになった。

また、戦後に大勢の生徒を連れてグルジエフのもとを訪れていたJ・G・ベネット(1897-1974)は、1920年代の初頭におけるグルジエフの活動にならって、コミューン的な環境でのワークを追求し、まずはイギリス、のちにアメリカに学院を設けた。

ザルツマンとベネットは初期において協力を模索したが、やがて方向性の違いが際立つようになった。また、グルジエフから直接に学んだ人たちの周辺に生まれたグループはこれに限られず、ウスペンスキーほかグルジエフから離反した人たちの周辺に生まれたグループもあり、さらにはグルジエフと血のつながりのある人たちの間での複雑な関係も絡んで、「正統性」をめぐる議論が白熱するに至った。

いわゆる「教えの継承」をめぐるグルジエフみずからの見解は、その主著である『ベルゼバブ』の第四十四章からうかがうことができ、それは一般に「正統性」として語られる上から下への流れを不可欠のものと見なしながらも、これはそれ自体としては退化性の流れであり、それに対立する流れとの接触と摩擦があってはじめて、それは創造的な役割を果たしうることを告げている。