さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら、『日和佐城』に出会う機会がありました。
はじめての出会います。
興味を持ちましたため、少し調べて見る事にしました。
以下、
の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
訪れた人に深い安らぎを与える
城山の山頂、静かな林間にそびえる白亜の天守閣は町のどこからも眺められ、威容を誇っています。
建物の中は、展望室・展示室と成って居り、町内のパノラマが楽しめます。
また、付近には、テニスコートや遊歩道などがあり、家族連れの憩いの場と成っています。
また、城山は町内の桜の名所でもあり、毎年、3月下旬~4月上旬の桜の季節には、大勢の花見客らで賑わいます。
日和佐城の歴史
日和佐駅東前方に城山と呼ばれている標高65mの小丘がある。この城山の山頂が日和佐城跡である。
元亀・天正(1500年代の初め頃)、日和佐の豪族・日和佐肥前守が、阿波の南部侵入を目指す土佐の長宗我部勢を防ぐためにこの地に城を築いたと伝える。
日和佐肥前守が造った城は、天正13年(1585年)、蜂須賀家政が、阿波に入国した際に廃城に成ったと言われているため、当時の城の形態に関しては、全くわかっていませんが・・・城の構えは、山城であったと考えられる。
現在は、昭和53年(1978年)に日和佐勤労者野外活動施設として完成した、白亜の天守閣が建っている。
(以下、略)
と言う事でした。長閑な場所なのでしょうかね?
ところで、先日、またまた、ある資料を読んでいましたら、方言集『物類称呼 (ぶつるいしょうこ)』と言うモノに出会う機会がありました。
興味を持ちましたため、さらに、調べて見る事にしました。
以下、平凡社の改訂新版 世界大百科事典に掲載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、執筆者は、山田武氏です。
また、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
方言辞書。〈諸国方言〉と角書する。5巻5冊。越谷(こしがや)吾山(享保2年(1717年)-天明7年(1787年))著。安永4年(1775年)刊。
全国各地の方言語彙4000を、天地、人倫、動物,生植(草木の事)、器用(道具類を言う)、衣食、言語の7部門に分け、約500項の標語の下に列挙する。
時に古書を引いたり解説を加えたりして居り、凡例では,簡単ながら方言分布の大観をしている。
日本における最初の全国方言辞典で、雅言が尊ばれた時代に方言語彙の編集を試みた事は評価すべく、また江戸中期の方言を伺うに貴重な文献である。
尚、吾山の本姓は会田氏。武蔵国越谷(埼玉県)の出身で、江戸に出て俳人と成り、曲亭馬琴の俳諧の師であった。
では、本日の小職の予定です。
今日は、終日、山積している書類と格闘します。