さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら『占守島の戦い』と言うモノに出会いました。

 

この戦いの存在は存じて居ったのですが・・・詳細を知りません。

 

そこで、少し調べて見ました。

 

以下、NHKの公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

戦跡 薄れる記憶

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立ち入り制限の島 激戦地の慰霊祭

立ち入り制限の島 激戦地の慰霊祭(平成29年(2017年)8月9日放送 札幌局 森山睦雄記者)

昭和20年(1945年)8月、千島列島北部のシュムシュ島(占守島)では、旧日本軍と旧ソビエト軍の間で激しい戦闘が行われました。厳しく立ち入りが制限されたこの島で、平成29年(2017年)7月、日本の民間団体による慰霊祭が行われました。

12年ぶりの慰霊祭

北千島のシュムシュ島は、周囲約80㎞の島です。昭和20年(1945年)8月18日から上陸してきた旧ソビエト軍と旧日本軍の守備隊との間で激しい戦闘が行われ、多数の死傷者が出ました。

島で行われた慰霊祭には元兵士の家族など20人余りが参加しました。シュムシュ島に入る交通手段は限られ、自由な行き来は出来ません。今回は実に12年ぶりの慰霊祭と成りました。

突然の侵攻による激戦

シュムシュ島の戦いとはどの様なものだったのか。当時17歳でシュムシュ島の戦車部隊に所属していた北海道陸別町出身の小田英孝さん(89)は、大きな戦闘に参加する事無く、8月15日を迎えました。戦争が終わる事を知り、いったんは安堵したと言います。

小田英孝さん:
「一番最初に思ったのは、日本が残るからほっと安心して、ひょっとすると日本へ我々は生きて帰れるかなと、気が楽に成った」

しかし、その3日後の8月18日未明、武装解除の準備を進める中で突如ソビエト軍が攻撃をして来ました。「国籍不明の敵が上陸して国端方面で戦闘中。準備の出来ている2両が出動する様に」と命じられた小田さんは、戦車の中から機関銃を撃ち続けました。武装解除のあと、小田さんは戦場で家族の写真を手にしたソビエト軍兵士の遺体を見付けました。

小田英孝さん:
「ひょっとしたら俺の撃った弾がこの人にあたったのかと。戦争は惨いと言うのをあの時ほど実感した事は無かった」

父の思いを胸に参加

今回の慰霊祭に福島県いわき市から参加した西山薫さん(69)は、11年前に亡くなった父親の武彦さんが、シュムシュ島の戦車部隊にいました。遺品を整理する中で「島を訪れたい」と言う父親の強い思いを感じたと言います。

西山薫さん:
武彦さんの手記は今から12年前、戦後60年に行われた慰霊祭の案内と一緒に、大切に保管されていました。敵の弾を受け仲間が自決した事など、戦闘の様子が克明に記されていました。「やはり衝撃がありました。文字にしたものを見てああそうだったんだなって言う思いがしました。戦友が亡くなっていますから、戦友の慰霊の思いがあったと思います」

再びシュムシュ島の土を踏む事がなかった父親の思いを実現させたいと、西山さんは慰霊祭への参加を決めました。

降り立った島で、旧日本軍の戦車や兵士が身につけていたとみられる品々がそのままになっているのを目の当たりにしました。

西山さんは「良く残っていたと言う思いがしました。日本の人々のために何かの形で残しておけないかと、そんな事も思いました」と話していました。

島を平和の象徴に

島を離れるとき、西山さんは父親が常に言っていた言葉を思い出しました。

西山薫さん:
「父も言っていましたけど、戦争は決してしてはいけないと言う事を日本人もロシア人ももっと知って欲しい。こう言う島がまだあるんだと、そんな意味から日本とロシアの平和の象徴であって欲しいと、そんな気持ちも出ました」

ロシア側によりますと、シュムシュ島では双方合わせて700人以上が死亡したとされています。旧日本軍の兵士の遺骨の収集は進んでおらず、厚生労働省によりますとこれまでに日本に帰ってきた遺骨は43体に留まっています。太平洋の北の島での戦闘を忘れず平和について考えてもらいたい。元兵士と家族の願いです。

 

と言う事でした。

 

そして、ロシアは惨い。尚、この番組には、樋口季一郎・陸軍中将の事は触れられていなかった様ですが・・・同中将の存在は日本に取って大きなものだった様です。

 

ところで、先日、新聞を読んでいましたら『郷古(ごうこ)』姓の方が登場。

 

由来に興味を持ちましたため、少し調べて見ました。

 

以下、名字由来netに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

出羽国(現・秋田県)に地名がある。近年、宮城県に多い。清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)義朝流、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)千葉氏流、中臣鎌足が天智天皇より賜った事に始まる氏(藤原氏)に関連する、と言う事でした。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、終日、山積している書類と格闘します。