さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら『奉安庫』と言うモノに出会いました。
何と無くは、知っている積りでしたが・・・一応、調べて見ました。
以下、学校法人関西学院の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
明治23年(1890年)10月30日発布された明治天皇の勅語「教育ニ関スル勅語」と御真影とを不敬にあたらない様に保管し、火災から守るために校内に奉安庫もしくは奉安殿として、その設置が明治24年(1891年)11月文部省訓令第4号によって求められた。
関西学院へは明治23年(1890年)10月30日に2通の「教育勅語」が交付された。
高等教育機関への御真影の下付は、帝国大学などへは昭和3年(1928年)10月に一斉に下付されたが・・・下付は申請によるとされていたため、キリスト教系私立学校の中には消極的姿勢をとった学校もあった。
文部省は指導を強め昭和10年(1935年)には同志社大学へ、昭和11年(1936年)には立教大学に下付された。
昭和11年(1936年)、文部科学省から御真影奉戴に関して出張命令があり、C.J.L.ベーツ院長らが出頭し、翌年上智大学らと共に下付される事と成った。
その時点で、関西学院には奉安殿・奉安庫がなかったため、院長室内に奉安庫を設置し、昭和12年(1937年)2月に御真影が下付された。
その模様は「全校教職員学生生徒門前ニ堵列奉迎シ十二時十分奉安所ニ奉安シタ」と書かれている。
「御真影奉護規程」に基づき、教職員が宿直・日直を志し、元旦、紀元節、天長節、明治節の式典で御真影の奉拝と教育勅語の奉読が行われた。
独特の抑揚をつけて行われる奉読は吉岡美国院長・名誉院長が担う事が多かった。
これらの記録は、『奉護日誌』に記録された。
昭和21年(1946年)10月、文部事務次官通牒「勅語及び紹書等の取扱について」により、教育勅語の奉読の廃止、勅語・詔書の謄本などの神格化廃止の通達を行い、関西学院の奉安庫もまた金庫として用いられる事と成った。
そのため、現在も奉安庫の形式を保ったまま旧院長室に保存されている。
関西学院の奉安庫は、御真影の背が東に向く様に作られていたが・・・それは、教職員・学生・生徒が時計台を背に東を向いて奉安庫内の御真影を遥拝する事で、宮城遥拝をも兼ねるためであった。
【参照】Ⅰ 545-49;Ⅱ 23-24【文献】井上琢智「学院史編纂室の取り組について」『学院史編纂室便り』(31)2010.5;同「奉安庫―その後―」(32)2010.12
と言う事であった。これも歴史のひとコマ、と言うところでしょうかね。
ところで、先日、ある文章を読んでいましたら『ノルム』と言う言葉に出会いました。
解析学では使った事はあるのですが・・・どうも、その文章では『社会通念』の意味で使っている様でした。
ほ~お、と思った次第です。
では、本日の小職の予定です。
今日は、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に伍します。
尚、時間の合間を縫って、定期健診のために病院に行って参ります。
また、朝夕は、社会福祉法人です。
そして、最後に。
先日、またまた、ある文章を読んでいましたら『溽暑(じょくしょ)』と言う言葉に出会いました。
着ている衣服が肌に張り付く様な暑さの事だそうです。
見事な表現だと思いませんか?