さ~て、先日、ある講演会に出席した折、『露土戦争』と言う争いの事を耳にしました。

 

世界史で聞いた様な?程度の知識しか持ち合わせていません。

 

そこで、少し調べて見ました。

 

以下、旺文社の世界史事典三訂版に記載されていた内容を転載させて頂き三訂版

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

18〜19世紀にロシアとオスマン帝国との間で行われた一連の戦争

不凍港を求めて南下をめざすロシアの東方政策が主たる契機となって発生した。
 
①1768年(明和5年)〜1774年(安永2年) ポーランドの民族主義者がオスマン帝国領内に亡命した事に端を発した戦争。1774年(安永2年)にキュチュク−カイナルジャ条約が結ばれ、両国の力関係においてロシアが優位に立った事が国際的に明らかに成った。

②1787年(天明7年)〜1792年(寛政4年) 前記のキュチュク−カイナルジャ条約によって、オスマン帝国の属国であるクリム−ハン国が、独立の名の下、事実上ロシアに併合された事に端を発した戦争。オスマン帝国が大敗し、1792年(寛政4年)のヤッシー条約で新たな譲歩を余儀なくされた。

③1877年(明治10年)〜1878年(明治11年) 最も一般的に露土戦争の名で呼ばれるもの。スラヴ民族の統一と連合を目指すパン−スラヴ主義が高まる中、1875年(明治8年)ボスニア・ヘルツェゴヴィナの民族蜂起をオスマン帝国(トルコ)が弾圧したため、キリスト教徒(ギリシア正教徒)保護を口実にロシアが開戦。トルコの敗北で1878年(明治11年)、両国間でサン−ステファノ条約が結ばれたが・・・英国・オーストリアがこの条約に反対し、同年、ビスマルクの仲介でベルリン会議が開かれ、この条約を破棄して、新たにベルリン条約が締結された。
 
と言う事でした。隣国通しは、世界の何処でも、厄介な事ですね。
 
ところで、上記の講演会の別の場面で『WPS』と言う言葉を耳にしました。
 
話しの流れから、概要は理解出来たのですが・・・さらに、調べて見ました。
 
以下、外務省の公式ホームページに記載されていた内容を転載させて頂きます。
 
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
 

女性・平和・安全保障(Women, Peace and Security: WPS)

 2000年、国連安全保障理事会(国連安保理)において、同理事会史上初めて、国際的な平和と紛争予防、紛争解決には女性の平等な参画や紛争下の性暴力からの保護、ジェンダー平等が必要であると明記した「女性・平和・安全保障(Women, Peace and Security: WPS)に関する安保理決議第1325号」が全会一致で採択された。同決議及び関連決議を実施するため、日本はこれまで3次にわたり行動計画を策定・実施している。

 

と言う事でした。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に伍します。

 

ただ、朝夕は、社会福祉法人に参ります。