さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら、群馬県館林市が『麦都』と呼ばれている事をはじめて知りました。

 

館林市は伺った事もありますので、存在そのものは知って居りましたが・・・『麦都』とは。

 

そこで、本日は、『麦都』の視点で群馬県館林市を見て参ろうと思います。

 

以下、『いこーよとりっぷ』の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

群馬県館林市へ学び旅!
親子で自然・歴史文化・食を満喫

(前略)

戦国時代に活躍した農政家の大谷休泊(おおやきゅうはく)は、永禄13年/元亀元年(1570年)に渡良瀬川と多々良沼から用水をとる水路を開きました。

 

用水路を引いた事で、周辺の田畑が潤った結果、沼の周辺は小麦栽培に適した肥沃な土地に成長し、館林市に小麦文化が根付く切っ掛けを作ったのです。

多々良沼の東側には、大谷休泊の功績を称える石碑風のお墓があります。あわせて訪れましょう。

 

(中略)

 

群馬県は本州・関東圏での小麦生産量1位を誇り、館林市も100年以上前から小麦文化が根付いているエリア。

 

江戸時代には館林藩から将軍家へ小麦粉が献上された歴史があり、かつては「麦都」(ばくと)と呼ばれていた程です。

「製粉ミュージアム」で小麦文化を楽しく学ぼう♪

小麦文化が栄えた館林市には、小麦や大麦に関連する企業が数多く存在します。

 

明治33年(1900年)創業の「日清製粉株式会社」をはじめ、創業から100年以上の歴史がある企業も少なくありません。

 

と言う事でした。館林のうどんも美味そうですね。

 

ところで、先日、新聞を読んでいましたら『頭木(かしらぎ)』姓の方が登場。

 

由来に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。

 

しかし、全く分かりませんでした。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、先ず、教育事案に伍します。その後、社協に参ります。

 

また、夕刻は、社会福祉法人です。