さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら『稲屋妻城』に出会いました。

 

興味を持ちましたので、さらに、調べて見ました。

 

以下、『Seika Town Kyoto 知っているようで知らない精華町』

その魅力を再発見するWEBマガジン精華町観光ポータルに掲載されていた内容を転載させて頂きます。
 
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
  • 城山からの眺望
  • 逆修の碑
 

室町中期の応仁の乱では南山城も戦場と成り、都を支えた豊かな穀倉地帯は見る影もなく荒れ果てました。

 

苦しみ抜いた人々は立ち上がり、郷土を荒らす軍勢に対して、敢然と撤退を要求しました。

 

これが歴史に名高い山城国一揆やましろのくにいっきです。

 

ふるさとの誇りを取り戻すため堂々と渡り合った人々こそ、真のヒーローと言えるでしょう。

 

そして、幕府の守護職を受け入れることなく、地域の人々による自治を実現したのです。

 

その史跡のひとつ、城山(精華町北稲八間きたいなやづま)に登って見ましょう。

 

ここは、8年間にわたる山城国一揆の終焉の地となった稲屋妻いなやづま城の有力な候補地です。

 

麓には、この「稲屋妻いなやづま城の合戦」で亡く成った人を供養したものではないか?と言われる五輪塔群や石仏もたたずみます。

 

静かなこの史跡に、供花が絶える事はありません。

 

と言う事でした。どうも、推定地の様ですね。今後の歴史の発掘が愉しみです。

 

ところで、先日、ある文章を読んでいて『鹿威』との文字に出会いました。

 

ん~?、と言う状況でしたが・・・少し考えましたら『ししおどし』でしたね(笑)。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、終日、教育事案に伍します。