さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら、古典落語『箍屋』に出会いました。
粗筋に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。
以下、『落語あらすじ.com』に掲載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
落語 箍屋のあらすじ 花火の掛け声た~まや~について
令和5年(2023年)7月22日
両国橋は花火見物の客でごったがえしている。その混雑の中へあろう事か馬に乗った侍と共侍達が通り掛かった。
ただでさえ身動きの取れない橋の上を侍の一団は町人達をかき分けて通り抜け様とする。
町人達は大迷惑。皆が眉をひそめているが・・・相手は刀を持った侍達。おおっぴらに文句を言える筈も無い。
時を同じくして、武士の一団と反対側から、大きな道具箱を担いだ箍屋も橋の上に入り込んで来た。
両者見物客を押しのける様にして橋の中央でかち合い、運の悪い事に箍屋の道具箱に収められていた巻き竹がシュッと伸びて馬に乗っていた侍の笠をはじき飛ばして仕舞う。
共侍が無礼者と刀に手を掛ける。
箍屋:
「それはご勘弁を私が死んだら目の不自由な母親が路頭に迷わなければなりません」
共侍:
「ならん。この二本を差しているのが目に入らぬか」
共侍の態度にたが屋が激昂して啖呵を切る
箍屋:
「二本差が怖くて田楽が食えるかよ。うなぎを見ろい、四本も五本も差してあらあ」
共侍が刀の柄に手を掛ける。箍屋の命もここまでかと思われたが・・・共侍の刀が上手く抜けずにつっかえている。
その隙に箍屋が殴りつける。落とした刀を拾うやいなや箍屋が共侍を切りつける。
どっと倒れる共侍。
野次馬:
「いいぞ!箍屋!」
野次馬達が箍屋に声援を送ると馬上にいた侍が馬から降りて、共の者に持たせていた槍を受け取り
侍:
「成敗してくれる!参れ!」
箍屋:
「なんだと!さあ来い!」
お互い武器を構えて対峙する侍と箍屋だが・・・今度ばかりは箍屋も絶体絶命。野次馬達も息を飲む。
いざ!と侍が槍を一直線に箍屋に向かって突き立てて来るが・・・すんでのところで箍屋はそれをかわし素手で柄(つか)の部分を掴む。
侍は槍を放して腰に差した刀に手を掛け 居合の要領で抜き様に切ろうとしたが・・・箍屋の方が一瞬早く…
侍の首が天に向かってポ~ン
見ていた野次馬達は思わず
野次馬:
「おっ!上がった上がった!た~がや~」
落語 箍屋 江戸時代の花火について
落語 箍屋について。
現在では7月の終わりに行われる隅田川の花火大会。江戸時代は旧暦の5月28日の川開き日に花火が上げられていたのが始まりとされます。
5月28日から8月28日までの川開きの期間は隅田川で泳いだり周辺の店の夜間営業が許可されたいへん賑わいました。
花火の掛け声で有名な「たまや~」や「かぎや~」は花火屋の屋号で初日と打ち止めの花火を請け負って居り、川の上流側から玉屋、下流側から鍵屋が打ち上げていました。
しかし玉屋は天保14年(1843年)に失火を起こして仕舞い江戸から追放されましたが・・・何故か?掛け声だけは残る結果となっています。(むしろ鍵屋とコールする人の方が少数派の様な気がします)
箍屋と言う職業について
侍の首が飛んで「た~がや~」は何ともシュールなラストですが・・・。
箍と言うのは桶の形を保つために回りから締めるために巻かれる竹で編んだ枠の事。
細長い板を並べて、竹のたがで締めて盥(たらい)や風呂桶は作られました。
そうしたものを作る職人は「桶結師」とか「桶大工」などと呼ばれました。
緊張や縛られていたものが解けて羽目を外して仕舞う事を「箍を外す」と言うのでもお馴染みです。
登場する箍屋は箍を巻く専門の職人だったか、桶屋だったのかは少し謎が残ります。
と言う事でした。小職に取っては興味深い古典落語でした。
ところで、先日、新聞を読んでいましたら『置鮎(おきあゆ)』姓の方が登場。
由来に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。
以下、日本姓氏語源辞典に記載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
福岡県福岡市中央区城内が藩庁の福岡藩士に江戸時代にあった。
福岡県福岡市中央区港で江戸時代に海運業者にあった、と。
では、本日の小職の予定です。
今日は、先ず、教育事案に伍します。その後、社協に参ります。
また、夕刻は、社会福祉法人です。