さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら『認知的斉合性理論』と言うモノに出会いました。

 

その資料から概要は理解出来たのですが・・・さらに、調べて見ました。

 

以下、『科学辞典』に記載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

認知的斉合性理論

人間の身体には不均衡状態が発生すると、自発的に均衡状態を回復しようとする機能(恒常性)が備わっている。人間の認知システムにもこの様な恒常性が備わっているとする理論を認知的斉合性理論と呼び、一貫性の原理とも呼ばれる。代表的なものにバランス理論と認知的不協和理論などがある。

バランス理論

ハイダーは三者関係において、各関係を「+」(好意的関係)と「-」(敵対的関係)と言う符号に分けた場合、この3つの関係の符号の掛け算の結果が「+」になる状態を心理的に均衡になる状態とし、「-」になる状態を不均衡状態に成ると考えた。そして、人は不均衡状態を不快なものとして避け、均衡状態を求めるとしている。この様な考え方はバランス理論と呼ばれている。

 

態度は二者関係で考えられる事が多いが、私達が人とコミュニケーションを取る時は二者とは別に態度の対象が存在している事が多い。例えば、会社の同僚に上司への不満を言う場合は、上司という態度対象が存在している。他にも先日見たテレビドラマの話や、ある製品の最新モデルの話など、態度対象は人とは限らない。ただし、物やサービスの場合は「提供している人たち」に態度対象を置き換える事が出来る。

 

ハイダーのバランス理論を用いて均衡状態になるパターンを見ると、3つの関係が「+」になる状態と、1つが「+」で2つが「-」の状態である。三者が敵対関係にある「三つ巴の戦い」(3つの関係が「-」)や、2つの関係が「+」で1つが「-」である関係は不均衡状態と成る。

認知的不協和理論

人は、客観的事実に反する信念や態度を自分が持っている事を意識すると不快感を覚える。これは認知的不協和状態と呼ばれる。そして、行動した後に態度や信念との食い違いが認められると、態度や信念を変える事によって矛盾を解消し、一貫性を保とうとする。

この様な一貫性を求める動機づけに関して最も大きな影響を与えて来たのが、フェスティンガーの認知的不協和理論である。認知的不協和に関する実験はこれまでに数多く行われて来たが・・・最も有名なものとしてフェスティンガーとカールスミスの実験がある。この実験では、実験参加者に非常に退屈な課題を行ってもらい、課題の後に他の実験参加者に「課題はとても楽しいものだった」と言う嘘をつく演技をしてもらった。そして、謝礼として1ドルか20ドルが与えられ、後になって、この課題がどれくらい楽しかったかを評定してもらうと、20ドルもらった人よりも1ドルしかもらえなかった人のほうが楽しかったと評定したのである。

 

この結果は、認知的不協和理論では行動と態度の矛盾をどの様に解消するかと言う行動の正当化の過程が異なると考える。すなわち、20ドルをもらった人は、嘘の演技をしたのは報酬のためだったと考える事で行動を正当化出来るのに対して、1ドルしかもらえなかった人は正当化の理由としては不十分で他の理由が必要に成り、課題に対する態度を変える事で行動を正当化したのである。

一貫性を維持する要因

態度や信念を変えてまで一貫性を維持しようとする欲求はどこから生まれてくるのかという問題は、社会心理学における重要なテーマとも成っている。ここでは態度や信念を変える要因、即ち、一貫性を維持しようとする要因について見て行く。

不快な覚醒状態

態度の変容が起こるには、当然の事として自分の行動と態度が異なっている事が挙げられる。ここで変化の動機付けと成るのは、フェスティンガーが最初に指摘した事でもある不快な覚醒状態である。

行動と態度の食い違いが不快な覚醒状態をもたらす事は、これまでの研究から多くの証拠が見付かっている。また、態度の変容が不快な覚醒を引き下げる事も明らかと成っている。

 

ただし、意識的にせよ無意識的にせよ、行動と態度の矛盾に気付いていなければ不快な覚醒状態にはならない。この点に関してもいくつかの研究結果から、矛盾を明らかにする様なメッセージに接すると、態度を変容させやすくなる事が分かっている。

社会的承認

行動と態度に食い違いがあると不快な覚醒状態になる理由のひとつは、社会的承認を得ようとする動機付けである。

例えば、昨日と今日で言っている事が異なっていたり、発言と行動が真逆である人を信用することは難しい。信用とは、行動や態度を予測出来る事、あるいは何らかの問題を解決してくれると言う期待である。行動に一貫性がなければ、行動を予測したり期待する事は出来ないし、評価が定まらない訳だから社会的に認められる事も難しい。

 

「人は社会的動物である」と言われる様に、ほぼ全ての人は集団の中で生活している。周りの人から嫌われたり拒絶される様な行動を取れば、その集団の中で生活する事が困難なものとなる。一貫性を保つ事は、集団の中で生活する上で重要なものである事を集団生活の中から読み取っているのである。

 

ただし、社会的承認を得ようとする動機づけの強さは、個人によって異なることが知られている。自分が他者からどう見られているかに注意を向ける事はセルフモニタリングと呼ばれるが・・・セルフモニタリング能力の高い人は社会的な評価に敏感であるため、より一貫性を求める方向に向かいやすい。

コミットメント

特定のものごとに対して自分がどれだけ関与しているのかと言う事も、一貫性を動機付ける強さに影響を与える。時間や労力、お金を掛けたもの程、良いものであると言う態度を強めるのである。これを利用したものはマーケティングなどでも多く見られるし、詐欺の手口としても使われる。例えば、入会費用が異常に高かったり、入会手続きが複雑で時間が掛かるなど、高いハードルを越えさせる事によってその集団への忠誠心が高まりやすくなると言う研究もある。

 

この様な効果は、社会的責任を負っている場合にも働く。例えばバーガーキングの企業研修に参加したマネージャーらは、絆を強めると言う理由から1,200℃の石炭の上を歩く様に促された。その結果、十数人が熱傷を負った。バーガーキングの副社長は自分自身も熱傷を負っていたにも関わらず、後悔するどころかこの行動を高く称賛したと言う。これに認知的不協和理論を用いて見ると、副社長はこの企画に責任を負って居り、行動を正当化する必要があったと解釈出来る。

 

ただし、社会的責任が無くても後戻り出来無い意思決定の後には、自分の選択は正しいと言う態度を強める事が分かっている。ノックスとインクスターの研究では、競馬場の窓口で、半数の人には賭け金を支払う直前に、もう半数の人には支払った直後に自分のひいきの馬が勝つ確率を尋ねた。すると、賭け金を支払った直後に尋ねられた人の方が、勝つ確率を高く答えたのである。賭け金を支払う前と後では数秒の違いしかないため、変化したものは支払いを行なったか否かだけである。

一貫性の個人的選好と文化

矛盾を嫌い、一貫性を求める傾向は多くの人に当てはまるが・・・その強さやどこに一貫性を求めるのかについては個人によって異なっている。

チャルディーニらは、一貫性の選好尺度を開発しそれを用いた結果、一貫性の選好スコアが低かった人は、認知的不協和の様な典型的な一貫性を示さなかったと言う。つまり、一貫性に価値を置いていない人は、行動と態度に食い違いがあっても態度の変化が起こりにくいと考えられる。

 

上記の「一貫性を維持する要因」の中で社会的承認を挙げたが・・・どうすれば認められるのかはその集団によって異なるため、どこに一貫性を保ちたいと考えるかは文化によって異なる事が分かる。

 

文化の比較においてよく用いられる概念として個人主義と集団主義がある。「自己動機」のページ中の「自己高揚動機-文化による違い」でも記載しているが・・・一般的に個人主義的文化では個人の自己高揚を重視するのに対して、集団主義的文化では集団としての自己高揚を重視するとされている。

 

サンピル・ハンとシャロン・シャヴィットは、個人主義と集団主義それぞれを代表する国として米国と韓国を取り上げ、広告に関する調査をした。先ず、過去2年間にそれぞれの国の大衆雑誌で掲載された広告を調べた結果、韓国では集団の利益と調和を訴える広告が多かったのに対して、米国では個人の利益と成功に訴える広告が多かった。そして次の段階として、個人の利益または集団の利益を強調する広告を作成し、それぞれの国の消費者に見せて反応を調べた。その結果、韓国では集団の利益を強調した場合に、その広告や製品に好意的な態度を示すのに対して、米国では逆の反応が起こっている。

 

また、日本を対象とした研究では、認知的不協和を解消する傾向が見られないと言う事が、度々、報告されてきた。北山らの研究では、まず実験参加者にCDの好みを判断してもらった。その後、持ち帰るCDを選択させた後、再度CDのランキングを判断してもらった。認知的不協和理論を用いれば、持ち帰る選択をしたCDのランキングは上昇する筈であり、実際に米国ではこれが生じる。しかし、日本では認知的不協和の解消が見られなかったのである。ところが、実験参加者の前にマンガで使われる様な抽象的な人の顔が描かれたポスターがおかれると、日本においても認知的不協和の解消が生じたのである。

 

これらの研究は、どこに価値を置いているのかは文化によって異なる事を如実に表している。米国では価値基準が個人の内にあるのに対し、日本では個人の外つまり社会や集団あるいは他者にある。視点を変えると、判断するのは自分なのかあるいは他者なのかという考え方の違いのようにも見える。

 

グローバル化や欧米化という言葉が使われるようになって久しいが・・・上記のような文化の違いが今後の中でどの様に変化していくのかも、重要な研究課題となるかも知れない。

 

と言う事でした。考えさせられました。

 

ところで、小職、これまでに使った事が無い言葉・・・『臘日(ろうじつ)』。

 

先日、ある文章を読んでいましたら折、接した次第です。

 

以下、デジタル大辞泉に記載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

1年の最後の日、大晦日、大つごもり、の意だそうです。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、終日、教育事案に伍します。