さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら、青森県の『糠塚きゅうり』と言う食に出会いました。

 

興味を持ちましたので、少し調べて見ました。

 

以下、『あおもり産品情報サイト~青森のうまいものたち』の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

糠塚きゅうり(平成29年(2017年)8月)

2017年8月 旬の食材 糠塚きゅうり

きゅうり、なす、トマトなどの夏野菜が美味しい季節に成りました。

今月は、八戸市の伝統野菜「糠塚きゅうり」を紹介します。

糠塚きゅうりとは

糠塚きゅうり

 糠塚きゅうりは、八戸市糠塚地区で江戸時代から作られている伝統野菜です。太さは、大きいもので一般的なきゅうりの3倍に当たる直径7cm、重さは約500gにも成ります。皮はやや固く、表面色は白っぽく脱色した素朴な色合いで、伝統野菜ならではの風格があります。1株あたりの収穫量は、一般的に流通している白いぼ系きゅうりが100本であるのに対して10本程度と少なく、6月下旬から収穫がはじまり7月に最盛期を迎え、8月中旬頃まで収穫される事から、八戸市の夏の風物詩と成っています。昔懐かしいパリパリした食感や、ほのかな苦みが一般的なきゅうりとの違いです。

歴史と現状

 糠塚きゅうりは、藩政時代に参勤交代の途中で種子を持ち帰り、当時野菜の供給を担っていた糠塚村(八戸市糠塚地区)に植えた事が始まりと言われています。
 昭和30年代頃まで、八戸市できゅうりと言えば糠塚きゅうりを指すほど身近な野菜で、中心市街地に近い糠塚地区を中心に栽培されていましたが・・・料理に使いやすい白いぼ系きゅうりの登場や、収穫翌日には薄緑色の皮が黄変し、見栄えが悪くなると言った理由から販売業者が敬遠し、生産者が減少したとの事です。また、他の品種のきゅうりの近くに植えると自然交配して仕舞う事から、種子そのものが無く成り掛けていました。
 そこで、八戸の伝統野菜「糠塚きゅうり」の純粋な種子の継承と生産技術の伝承を図るため、平成26年(1951年)2月に市内の生産者による「八戸伝統野菜糠塚きゅうり生産伝承会」が設立されました。
 生産伝承会が立ち上げられてからは徐々に生産量が増え、旬の時期には、八戸市内の小売店等でも販売される様に成りました。

糠塚きゅうりの花
糠塚きゅうりの花
種取り用の糠塚きゅうり
種取り用の糠塚きゅうり

伝承に向けた取組

 「八戸伝統野菜糠塚きゅうり生産伝承会」には、現在9人の生産者が参加しています。事務局である八戸市農林水産部農業経営振興センターの石丸隆典・所長にお話を伺いました。


 石丸所長によると「生産伝承会で使用している種子は、糠塚地区で唯一生産を継続している金濵一美氏のものです。金濵氏の畑の近くに朝市があり、収穫後、直ぐ販売出来る環境にあった事、周辺が宅地で、種が別な品種と交雑されなかった事、主に自家消費用としていたので収益を考えずに栽培が継続された事により、100年近く種が守られていました。これからは糠塚きゅうりを通じて、地域の食文化を受け継いで行こうと思っています。種を受け継いで行くために、先ずは需要を増やして行く事が必要です。需要が増えれば、生産の担い手も増えます。そのため、糠塚きゅうりの存在を知ってもらい、需要拡大に繋がる様、情報発信に取り組んで行きます。」との事です。
 今後は、飲食店による糠塚きゅうりを使用したメニュー開発や、子供向けの料理教室など、需要拡大に向けた取組を広げて行くとの事です。

糠塚きゅうりを使った料理レシピ

糠塚きゅうりを使った料理レシピ

縦半分に切ると、写真のようにびっしりと種が入っています。料理する際には、この種の部分をスプーンなどでくり抜く事が多いです。

糠塚きゅうりとみそ

【レシピ1】味噌を付けて

種をくり抜いた部分に味噌を付けて食べます。味噌はお好みのもので。
糠塚きゅうりの味と食感が一番生かされた食べ方です。

糠塚きゅうりの和え物

【レシピ2】和え物

 薄切りにしてから塩で軽くもみ、軽く絞ってから胡麻油少々と好みの量のちりめんじゃこを加え、和え物に。
 ちりめんじゃこ以外にも、鶏のささみやワカメなどを加えても美味しく頂けます。

糠塚きゅうりの炒め物

【レシピ3】炒め物

 5mmくらいの厚さに切り、他の野菜や肉などと一緒に炒めて。
 写真は、新玉ねぎ・スナップエンドウ・豚肉と炒め、軽く塩・胡椒で味付けしたものです。

ほのかな苦みとパリパリした食感が夏にぴったりなレシピです。糠塚きゅうりが手に入ったら、是非、試しく下さいね。

 

〇取材協力 八戸市農業経営振興センター 0178-27-9163

 

問い合わせ先:青森県観光交流推進部県産品販売・輸出促進課
〒030-8570 青森市長島1丁目1番1号
 

と言う事でした。一度、食して見たいですね。

 

ところで、またまた、先日、ある資料を読んでいましたら『宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)』と言う人物に行き当たりました。

 

興味を持ちましたので、少し調べて見ました。

 

以下、精選版 日本国語大辞典に記載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

浄瑠璃の太夫。初世。京都の人。豊後節(宮古路節)の創始者。初世・都太夫一中に入門、はじめ都国太夫半中と称し、享保15年(1730年)頃、宮古路豊後と改名。

 

享保19年(1734年)江戸に出て豊後掾を受領。

 

京・大坂・名古屋でも活躍したが・・・心中物を中心とした、その新鮮で柔らかい世話浄瑠璃が特に江戸で流行。

 

元文元年(1736年)風俗を乱すとの理由で禁止されたため、翌年京都に帰り、京坂の劇場に出演。

 

元文5年(1740年)没、と言う事でした。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、先ず、教育事案に伍します。
 
その後は、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に御します。
 
ただ、朝夕は、社会福祉法人に参ります。