さ~て、今日は、歴史の不思議の一断面を見て参ろう、と思います。
直線状に重要遺跡・・・レイライン。
以下、
の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」
~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~
安楽寺八角三重塔(©岡田光司)
前山寺三重塔・冬(©岡田光司)
別所温泉の岳の幟行事(©岡田光司)
ため池(舌喰池)(©岡田光司)
前山寺三重塔・春(©岡田光司)
別所線と夫神岳(©岡田光司)
ストーリー
独鈷山と夫神岳から扇状に開ける地・塩田平は、古来「聖地」として、多くの神社仏閣が建てられている。
山の麓にある信州最古の温泉と言われる別所温泉、「国土・大地」を御神体とする「生島足島神社」、「大日如来・太陽」を安置する「信濃国分寺」は、1本の直線状に配置され、レイラインを繫いでいる。
夏至と冬至に、鳥居の中を太陽の光が通り抜け、神々しく温もりのある輝きを享受出来るのだ。
先人たちが、この地が特別であると後世に伝え様と遺した様々な仕掛けは、今も、訪れる人びとにパワーをチャージさせる。
(中略)
■信州の学海
前山寺三重塔(重要文化財)©岡田光司
上田は、険しい山々に囲まれた盆地ゆえに、本州では一番雨の少ない地だ。
「おてんとうさま」が毎日のように微笑み、穏やかな気候と言う特徴は、信濃国分寺が置かれた事、鎌倉北条氏の一派が終の棲家としてここを選んだ理由でもある。
塩田平には数多くの寺社が建てられ、Chinaの高僧や多くの学僧が訪れたのは、山を背に構える別所温泉があった事が大きい。
豊かな湯で心まで洗われる温泉の楽しみがあったからこそ、僧達は、この地を訪れたのであろう。
安楽寺木造八角三重塔(国宝)©岡田光司
別所温泉にある安楽寺を訪れて見ると、薄暗い木立の中、見上げる様に階段を登った先に、日本唯一の木造八角三重塔が目に飛び込んで来る。
微かな光の方向に仰ぎ見る屋根裏の華やかな木組みは、私たちを自ずと厳かな気持ちにさせてくれる。
しかも「四重塔」にも見える不思議な形だ。
また、北向観音堂は、善光寺と「両参り」すると御利益が増すと言う。
境内の手水までも温泉を使い、湯煙が立ち上る境内には温泉の匂いが漂う。
見晴台に立つと、塩田平から市街地までを見渡せ、我はこの地に降り立ったのだ、と言う気持ちにさせられる。
この地が僧達に取って「特別な場所」であり、「別所」と名付けられた事も納得出来る。
湯煙が漂う地に花開いた仏教文化の遺産は、湯浴みの効能のみならず、訪れる人びとを癒している。
■神宿る「山」への祈り
別所温泉の岳の幟行事(国選択無形民俗文化財)©岡田光司
上田の雨が少ない気候は、風雨が引き起こす災いからこの地の暮らしを守ってきた。
しかし、それゆえに神は時として干害などの試練を課して来た。
人々は水源となる山々に神を崇め、祈り、恵みの雨を願った。
500年以上も続く雨乞いのまつりである「岳の幟(たけののぼり)」は、色鮮やかな幟が特徴的だ。「
下り龍」を描いた幟で、夫神岳山頂に祀られた「龗”オカミ”」と呼ばれる九頭龍神を山麓の別所神社までお連れする。
龍をかたどった沢山の幟を迎えるのは、三頭獅子とささら踊りの子供達。
カラフルな幟と衣装が鮮やかに映え、山間に歌声と太鼓の音が響く頃には、本当に、龍からの雨に恵まれる。
山には、古より受け継がれて来た水への憧れと神への畏怖が投影される。
龍が宿るこの山は、山菜や松茸など、山の幸を育み、マツタケ小屋の隆盛に繋がっている。
■祈りの言葉は「アメ フラセタンマイナ」
ため池(舌喰池)©岡田光司
塩田平は溜池を造って水を蓄え、ここで温めた水を田んぼに入れて稲の生長を促し、「塩田三万石」と呼ばれる上田随一の穀倉地帯へと変身した。
溜池でも「百八手」と呼ぶ雨乞いの祭りが行われる。
池の周りを大勢で囲んで「たいまつ」に火をつけ、もくもくと上がる煙のなか「アメ フラセタンマイナ」と唱える。
溜池は稲穂を育むだけで無く、マダラヤンマなどの命も繋いで来た。
人柱やカッパなどの伝説は、溜池にも神を崇めていた事を伺わせる。
前山寺三重塔(重要文化財)©岡田光司
雨を願う人々は、時に荒療治として路傍のお地蔵様を川へ放り込んだ。
ここでも祈りの言葉は「アメ フラセタンマイナ」。お地蔵様を怒らせてでも、龍(雨)との再会を願っていた。
独鈷山と夫神岳、そして麓の寺社は、常に塩田平の人びとの暮らしに寄り添って来た。
そして、路傍のお地蔵様は、また川に投げ込まれないかと心配して、今日も雨雲を待ちながら空を見上げている。
これが「山に神、野に仏」とも言うべき、上田の人々が繋いで来た「祈りのかたち」だ。
■未来への懸け橋
生島足島神社 冬至の落陽
この様に塩田平には、この地を特別な「聖地」とする景観が遺されている。
国土・大地を祀る「生島足島神社」、「大日如来・太陽」が安置された「信濃国分寺」。
生島足島神社は夏至には太陽が東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居に沈む。
太陽と大地は、この神秘的な光景をレイラインとして現代に遺した。
別所線の鉄道施設(未指定)©岡田光司
そして、この「太陽と大地の聖地」に重なる様に遺したもうひとつの景観が、100年前から守り続けてきた鉄道・別所線だ。
生島足島神社から、別所温泉までの軌道は、不思議なことにレイラインと一致する。
そして、駅をつなぐ線路は、空から見ると龍の形をしていると言われる。
塩田の人々は龍を特別な神として崇め、祀り、龍と共に生きて来た事を、別所線の軌道に投影して大切に遺して来たのだ。
龍の背に乗って巡る「太陽と大地の聖地」は、これからも、まぶしいばかりの輝きと温もりを持って、訪れる人の心に光を与えてくれるだろう。
と言う事です。レイライン、さあ、真相は如何に?
ところで、先日、新聞を読んでいましたら『烏賀陽(うがや)』姓の方が登場。
由来に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。
以下、日本姓氏語源辞典に記載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
滋賀県大津市では京都府京都市中京区の京極にいた僧侶が堂のうさま堂から「烏」、賀陽氏から「賀」、「陽」を使用したと伝える、とありました。
推定では明治新姓。うさま堂の位置不詳。滋賀県長浜市今川町に分布あり、とありました。
では、本日の小職の予定です。
今日は、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に伍します。
ただ、朝夕は、社会福祉法人に参ります。
そして、時間の合間を縫って、ある企業に訪問します。
ところで、昨晩(4月17日)午後11時14分頃、四国で大きな地震があったそうですね。
南海トラフ巨大地震との関連が心配ですが・・・。