さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら、東京の『五色不動』と言うモノに出会いました。

 

興味を持ちましたので、少し調べて見ました。

 

以下、

の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

東京の五色不動とは?

歴史・色・理由・場所、不動明王についても解説

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以下、記述者『あきみず』さん

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操が無さ過ぎて不思議がられる事が良くあるが・・・一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。

 

不動明王ラブである。仏像展の会場で長時間凝視して、何度も戻って来ては、またうっとり眺めて仕舞うのは、いつも不動明王である。

 

しかし、どこがいいの? と聞かれても上手く説明出来無い。

 

理屈を付けて見ても、それは全て後付けでしか無く、結局、好きなものは好きなんじゃい、と不逞の輩の様な態度で返答するしかなくなる。

 

不動明王は全国各地で「お不動さん」と呼ばれ親しまれている。

 

初詣で有名な「川崎大師(神奈川県)」「成田山新勝寺(千葉県)」や、新選組ゆかりの地として知られる「高幡不動(東京都)」も、不動明王(不動尊)を祀る寺院である。ユニークな不動尊としては、京都の「狸谷山不動院」などがある。

 

「関東三十六不動霊場」「東北三十六不動尊霊場」「東海三十六不動尊霊場」「近畿三十六不動尊霊場」「四国三十六不動尊霊場」「九州三十六不動尊霊場」など、また、この中に入っていない寺院も存在するため、全国各地の不動尊総数はこれらの合算より遥かに上回る。


尚、36の数字は、不動明王の下で働く童子(どうじ)の数および人間の煩悩の数であり、36か所を巡る事で煩悩が消える様に、との願いが込められていると言う。

五色不動って何?

江戸東京には「五色不動」と呼ばれる不動尊群がある。


目青不動尊、目黄不動尊、目赤不動尊、と言った名前の寺院がそれだ。

 

青・黄・赤・白・黒の5色で、それぞれ「目」との組み合わせで名付けられている。

 

仏像の目がその色に塗られていた・地名に因む、などが名前の由来とされるが・・・実は「目黄」が2か所あるため、江戸五色不動は全部で6か所ある。

五色不動の歴史

伝説では、天海僧正の提言を受けた徳川幕府3代将軍家光が、江戸の鎮護・天下泰平を祈念して、四神相応の地、つまり東西南北と中央の5ヵ所を選んで割り当てたとされる。
ただ、文献に「五色不動」の名称が見えるのは明治以降であり、加えて江戸時代から「目」+「色」の名称として正式に存在したのは目黒・目白・目赤の3不動だけだった事から、江戸時代には親しみを込めた通称に近いものだった様だ。

文献に残されている範囲内で見ると、「五色不動」命名に天海も家光も関わっていない様だが・・・家光と関連の深い寺院で江戸の名所だった「三不動」が、全て含まれているのは事実だ。

なぜ5色なのか

しかし、何故、殊更「5色」にしようとしたのか。

青・黄・赤・白・黒の5色は、陰陽五行説に基づき重んじられていた色である。
東が青、西が白、南が赤、北が黒、中央が黄であり、キトラ古墳や高松塚古墳などにも描かれている青龍・白虎・朱雀・玄武の、東西南北四方を守護するとされた四神もまた、この思想に基づいている。
因みに、「青春」という言葉や、詩人・歌人である北原白秋の「白秋」なども同じ根本思想から発したものである(春=青、夏=赤、秋=白、冬=黒)。

陰陽五行説は密教にも取り入れられて居り、そうした理由で密教寺院の本尊とされる事の多い不動尊にも5色の取り合わせが良く見られるのだ。
また、密教の一派である真言宗では、如来を示す色とも見なされている。

江戸五色不動はこんな顔ぶれ

では、それぞれを簡単にではあるが、紹介していこう。

目白(めじろ)不動尊・神霊山金乗院慈眼寺

東京都豊島区高田にある、江戸五色不動随一とされる神霊山金乗院慈眼寺(しんれいざんこんじょういんじげんじ)が目白不動である。JR山手線目白駅から徒歩12分の「目白」の地に佇んでいるが・・・地名が先か不動尊が先か、と言う事については諸説ある。

金乗院は五色不動唯一の真言宗寺院である(その他はすべて天台宗)。


元々、目白不動尊は現在の位置から東へ1㎞程の東豊山浄滝院新長谷寺(ひがしぶざんじょうりゅういんしんはせでら)であったが、昭和20年(1945年)5月25日の戦災で焼失したため、金乗院と合併した。

 

ご本尊は秘仏の「断臂不動明王(だんびふどうみょうおう)」で、弘法大師空海が山形県の湯殿山で目にした不動明王の御姿を刻んだものとされる。

 

衆生への慈悲の心により、不動明王自ら左腕を切り落とした姿としたとされる御姿だが・・・向き合っているとぴりぴりじわじわ体が温かく成って来る様な、何とも言えない感動がある(年4回の護摩行時のみ公開)。

 

徳川3代将軍・家光によって本尊に「目白」の号を贈られ、5代将軍・綱吉やその母・桂昌院の篤い帰依を受けてたびたびの参詣があり、『江戸名所図会』には「境内眺望すぐれたり、雪景もっともよし」と記された。当時は1752坪の敷地を誇り、壮麗を極めた佇まいだったと言う。

 

境内には宝蔵院流槍術の大家、丸橋忠弥(まるはしちゅうや)の墓や、医者で日本初の公開図書館「青柳館文庫」を作った青柳文蔵(あおやぎぶんぞう)の墓、俱利伽羅不動の庚申塔、刀剣供養塔の「鐔塚」も建てられている。

【最寄り駅】東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」から徒歩約5分、JR山手線「目白駅」から徒歩約12分

目赤(めあか)不動尊・大聖山東朝院南谷寺

東京都文京区本駒込の大聖山東朝院南谷寺(なんこくじ)は、現在では「目赤不動」と呼ばれているが・・・元々は「赤目不動」だったと言う。

 

鷹狩りに訪れた徳川3代将軍・家光により寛永5年(1628年、既にあった「目黒不動」「目白不動」と同じ語順の「目赤不動」に改められた。

 

伊賀(現・三重県)の赤目山で祈願中に授かったと言う黄金の不動明王像がご本尊である。

旧目赤不動跡地の付近には、この不動堂にちなんだ「動坂(どうざか)」の地名が今も残っている。

【最寄り駅】地下鉄南北線「本駒込駅」より徒歩約3分

目青(めあお)不動尊・竹園山最勝寺教学院

東京都世田谷区太子堂にある最勝寺教学院(さいしょうじきょうがくいん)は上野の寛永寺末寺であり、青山の地にあった事から「目青不動」の名が付けられた。

ご本尊は秘仏であり、公開されていないが・・・「御前立ち(おまえだち)」と呼ばれる、ご本尊の姿を写し取った寛永19年(1642年)作の青銅製不動明王像を拝む事が出来る。

小田原城主・大久保氏の菩提寺とも成っている。

【最寄り駅】東急田園都市線「三軒茶屋駅」から徒歩約5分

目黒不動尊・泰叡山瀧泉寺

東京都目黒区にある泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)である。落語『目黒のさんま』は、この瀧泉寺の参詣者のための休憩所が舞台とされる。

「目黒」の地名は、この目黒不動から付いたとも言われ、火災で焼失した本堂は徳川3代将軍・家光の庇護を受けて寛永11年(1634年)に再建された。「目黒御殿」とも呼ばれる、50棟余りに及ぶ華麗な大伽藍だったと言う。

門前町も発達し、江戸時代、境内では今の宝くじにあたる「富くじ」も行われた。

 

境内には、さつまいも(甘藷)の栽培を普及させた青木昆陽(あおきこんよう)の墓(「甘藷先生墓」と刻まれており、国の史跡に指定)、東京都の有形文化財に指定されている前不動堂、目黒区指定の有形文化財である仏像群、大本堂の天井には日本画家・川端龍子(かわばたりゅうし)の「波涛龍図」が描かれるなど、見どころも多い。

また、西郷隆盛が主君・島津斉彬の病気平癒を祈った場所としても知られている。

【最寄り駅】東急目黒線「不動前駅」から徒歩約8分、各線「目黒駅」から徒歩約13分

目黄(めき)不動尊・養光山金碑院永久寺

目黄不動尊は2か所ある。東京都台東区三ノ輪にある、養光山金碑院永久寺(ようこうざんきんぴいんえいきゅうじ)から。
当初は真言宗寺院であったが・・・日蓮宗を経て現在の天台宗寺院と成ったと言う。

南北朝期の創建とされるが・・・戦乱に数度遭い、その度に再建が繰り返された、篤い信仰を受ける寺院である。

【最寄り駅】地下鉄日比谷線「三ノ輪駅北口」から徒歩約1分

目黄(めき)不動尊・牛宝山明王院最勝寺

もうひとつの目黄不動尊は、東京都江戸川区平井にある、牛宝山明王院最勝寺(ごほうざんみょうおういんさいしょうじ)である。元々は墨田区東駒形の隅田川畔にあったが・・・区画整理で現在の地に移転した。

徳川家の篤い信仰を受けた寺院で、鷹狩りの際にはしばしば「仮の御殿」が置かれた。

【最寄り駅】JR総武線「平井駅」から徒歩約14分、都営新宿線「東大島駅」から徒歩約16分

尚、目黄不動尊は過去に通称としてこの名で親しまれていた寺院がこの2つの他にもあり、不動尊像の目が黄色や金色だったためとされる。
また、浅草の勝蔵院にあった「明暦不動」と関連があるともされ、「めいれき」が転じて「めき」とされたと言う説があるが・・・詳細は不明である。

不動明王はこんな仏様

これ程までに親しまれているお不動さんだが・・・一体どんな仏様なのだろうか。

不動明王は、大日如来(だいにちにょらい)が人間を救うための姿を取ったものとされる。
右手に剣、左手に羂策(けんさく)と呼ばれる縄を持ち、憤怒の相を湛えるその姿から恐ろしい鬼の様に見えるかも知れないが・・・手にした物も怒りの表情も、力尽くでも人々を救おうと言う慈悲を示している。

 

不動明王の起源は如来のために働く子供だったとされ、インドで理想的な子供の姿とされていた容姿が反映されているのだと言う。不動明王、まさかの幼児体型である。

 

不動明王には、「制多迦(せいたか)」と「矜羯羅(こんがら)」の2人の童子が仕えている(八大童子や三十六童子などもあるが)。


不動明王の右に配される制多迦は怒りっぽく反抗的で赤い肌をし、左に配される矜羯羅は穏やかな性格で肌は白く、己のすべき事を問い、それを実行すると言う、対照的な姿として扱われているのが興味深い。

 

像の後方に配置される炎は、煩悩を焼き尽くす聖なる炎「迦楼羅炎(かるらえん)」で、瞑想の境地にいる事を示している。
また、剣に龍が巻き付いた姿の「倶利伽羅龍(くりからりゅう)」も不動明王の化身とされる。

お不動さんの縁日に行ってみよう

様々な生前の願いを聞いてくれる他、死者の追善供養の仏としても信仰を集めている不動明王。
お不動さんの御縁日は各寺院で異なるものの、毎月28日が最も多く、この日には通常より盛大な護摩行を行う不動尊も多い。

目白不動尊では、1月28日・5月28日・9月28日の護摩行の際に、秘仏の断臂不動明王を拝むこともできる。
お気に入りの不動尊の御縁日に、是非、足を運んで見ては。

 

と言う事でした。歴史を感じますね。

 

ところで、先日、ある文章を読んでいましたら『哄笑(こうしょう)』と言う言葉に出会いました。

 

これまで、何度か?目にした言葉ですが・・・明確な意味は?、と思った次第です。

 

そこで、少し調べて見ました。

 

以下、小学館のデジタル大辞泉に掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

大口をあけて笑う事。どっと大声で笑う事、と言う事でした。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、終日、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に伍します。