さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら公益財団法人『大川美術館』に出会いました。

 

興味を持ちましたので、少し調べて見ました。

 

以下、同美術館の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

概要・沿革

公益財団法人大川美術館は、桐生市出身の大川栄二が約40年に渡って収集した日本・海外の作家のコレクションを中心に、市の支援を得て、平成元年(1989年)に市内を一望出来る水道山の中腹に開館致しました。

エントランスは小さいですが・・・山の中腹に建てられた建物で、5階建に成って居り、奥が深い構造に成っています。また、小さい展示室が多数連続する、美術館としてはユニークな建築です。階段を下りながら、迷路を巡る様に作品を御覧頂けます。当館は、元々あった企業の社員寮を改装して美術館として活用して居りますので、この様な独特の構造と成っています。

 

現在、日本近代洋画を中心に約6,500点を数える収蔵作品は、日本の美術史に大きな足跡を残す松本竣介(明治45年(1912年)~昭和23年(1948年))・野田英夫(明治41年(1908年)~昭和14年(1939年))のコレクションと、二人を軸に、彼らと人間的なつながりのあった画家の作品を中心としています(靉光、麻生三郎、国吉康雄、鶴岡政男、中村彝、難波田龍起、舟越保武、山口長男、脇田和、等)。

 

更に竣介と野田に強い影響を与えたピカソ、ミロ、ルオー、モディリアーニ、ベン・シャーンらに代表される海外作品、清水登之の滞欧デッサン300点、日本の抽象画のパイオニア難波田龍起と二人の子供の作品群など、独自のコレクションを誇ります。

当館は「絵は人格」であると考えて、その「人脈」をたどるユニークな展示をこれらのコレクションの中から試み、常設しています(年4回入替)。

 

特に竣介については「松本竣介記念室」を開設し、油彩からデッサン、カット、資料までを展示しています。

 

また、近代日本美術の流れを鳥瞰できるコーナーもあり、明治(浅井忠、青木繁、藤島武二、等)から大正(熊谷守一、古賀春江、村山槐多、等)、昭和(南城一夫、三岸節子、山口薫、等)、そして現代(荒川修作、磯辺行久、菅井汲、等)までの作品を展示しています。更に年4回の企画展も常時開催しています。

各展示室にはソファーを配置するなどの工夫で、自宅で絵を見ているような、暖かい雰囲気でゆっくり過ごせる様な「逢いたいときにいつでも逢える名画の館」を目指しています。

 

数々の名画と共に、緑豊かな水道山の四季折々の変化を楽しめるティールームでの、ゆったりとしたひとときもお楽しみ下さい。

付属団体として、メンバーシップと友の会があります。

 

メンバーシップは当館の活動に賛同される企業・個人の方に、当館所蔵作品の購入資金を援助いただくものです。

 

また友の会は、研修会、研修旅行などの活動により、会員相互の親睦を深め、美術に対する感性を高めあおうとするものです。

タイトル

タイトル

タイトル

初代・理事長兼館長 大川栄二(おおかわえいじ)について

大正13年(1924年)3月、群馬県桐生市に生まれる。
桐生高等工業学校(現・群馬大学工学部)卒業。
昭和21年(1946年)、三井物産株式会社入社、エフワン株式会社代表取締役。
昭和44年(1969年)、ダイエー株式会社入社、副社長、サンコー(現・マルエツ)社長、ダイエーファイナンス会長を経て勇退。
平成元年(1989年)4月、桐生市に財団法人大川美術館を設立。理事長兼館長として現在に至る。
平成20年(2008年)12月、逝去。

著書に、『美の経済学』(東洋経済新報社)、『美のジャーナル』(形象社)、『父と子のために』(クレオ)、『美術館の窓から』(芸術新聞社)、『続・美術館の窓から』(大川美術館)、『二足の草鞋と本音人生』(上毛新聞社)、『新・美術館の窓から』(財界研究所)などがある。

 

と言う事でした。大川栄二氏、経済人にて、美術にも造詣が深い方だったのですね。

 

ところで、先日、新聞を読んでいましたら『一政(いちまさ)』姓の方が登場。

 

由来に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。

 

以下、日本姓氏語源辞典に記載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

宮崎県日向市細島が本拠。同地では漁業に従事していたと伝える。推定では江戸時代、とありました。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、先ず、教育事案に伍します。

 

その後は、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に御します。

 

ただ、朝夕は、社会福祉法人に参ります。