さ~て、先日、新聞を読んでいましたら古河藩家老『鷹見泉石』が登場。
同翁、いつか、このブログで取り上げようと思って居りました関係もあり、今日の話題と致します。
以下、一般社団法人古河市観光協会の公式ホームページ『こがナビ』に掲載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
蘭学者 鷹見泉石

鷹見泉石は家老として、藩主・土井利位(としつら)に仕えた古河藩士。
利位が大阪城代であった折りに「大塩平八郎の乱」で鎮圧にあたるなど、大きな働きをしました。
また、優れた蘭学者でもあり、数多くの研究資料の収集にあたりました。
十郎左衛門忠常といい、泉石は引退後の名前です。
天明5年(1785年)6月29日、土井氏代々の家臣、鷹見忠徳の長男として、当時、四軒町と言ったこの地に生まれました。
11歳より藩主・土井利厚及び利位の二代に仕え、ついには江戸家老に進み敏腕をふるいました。
とりわけ藩主利位の「大塩の乱」鎮定・京都所司代から老中への昇進と幕政参画など、その陰には常に泉石の補佐が与って大きかったのです。
蘭学を志し、利位の『雪華図説(せっかずせつ)』の刊行を助け、晩年、自らも日本初の『新訳和蘭国全図』を出版しました。
傍ら、学者・文化人と広く交わり、オランダ商館長よりヤン・ヘンドリック・ダップルの蘭名を贈られ、開明的外国通と言えます。
安政5年(1858)7月16日、古河長谷の屋敷で73歳で没しました。
市内横山町の正麟寺(しょうりんじ)に眠る。
渡辺崋山筆の国宝『鷹見泉石像』は、良くその姿を伝えています。
渡辺崋山は愛知県の小藩であった田原藩の藩士、蘭学に熱心で、泉石とは兄弟弟子でした。
その崋山が画家として残した肖像画のひとつが、「鷹見泉石像」です。
今では崋山の代表作として、国宝に指定され、東京国立博物館に展示されています。
●鷹見泉石記念館
■駅から
約1.2Km 徒歩15分
■所在地
古河市中央町3-10-56
■お問い合わせ先
0280-22-5211
●鷹見泉石生誕の地碑
■駅から
約0.9Km 徒歩12分
■所在地
古河市中央町1丁目10
●正麟寺 鷹見泉石の墓所
■駅から
約1.3Km 徒歩16分
■所在地
古河市横山町3-6-49
■お問い合わせ先
0280-23-0551
と言う事でした。素晴らしい人物ですよね。
ところで、これもまたまた、先日、新聞を読んでいましたら『西高辻』姓の方が登場。
由来に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。
以下、『名字由来net』に記載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
菅原氏高辻家分家。「高」は高い様を表す。「西」は方角を表す、とありました。
では、本日の小職の予定です。
今日は、先ず、児童障碍者通所施設に出向き、基礎的科学実験を実施して来ます。
子供の大人も愉しんでくれれば、と思っています。
上記の事を終えましたら、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に伍します。