さ~て、先日、へ~、と思った事実です。

 

詩人の故・サトウハチロー氏と作家の佐藤愛子・女史が兄妹だとの事。

 

少し驚きました。

 

以下、『婦人公論.jp』の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

佐藤愛子100歳が語る「兄・サトウハチローは、奇抜で繊細な詩人だった」生誕120年、没後50年

歌い継がれる詞を残した作家であり、不良であり、ニセ学生であり
 

作家となった妹(佐藤愛子さん)と詩人の兄(サトウハチローさん)(撮影年不明/写真提供◎佐藤愛子さん)


11月13日、サトウハチロー(本名・佐藤八郎)さんの50回目の命日が巡って来ました。

 

数々の童謡や「リンゴの唄」などの流行歌を作詞。

 

センチメンタルな詩、ユーモア小説にエッセイと多彩な才能を見せた人物像を、異母妹の佐藤愛子さんが振り返ります。
(聞き手・構成:本誌編集部)

才智を駆使して人を笑わせる

愛子さんが幼い頃、八郎さんが東京から兵庫の家を訪ねてくる様子が近刊『思い出の屑籠』に書かれています。八郎兄さんが来ると家の中が一気に明るく成った、と。

 

――いやぁ、面白い人でしたね。人を笑わせるのが大好きなんですよ。八郎が来ると、家中に笑いが満ち溢れました。何より父の機嫌が良く成るんです。父はユーモアのある人間が好きだから、八郎の事は気に入っていました。

八郎には才気があるんですよ。サービス精神旺盛で、機嫌の良い時はありったけの才智を駆使して人を笑わせる。それをまるで自分の義務の様に思っているところがありました。

男兄弟は4人いましたけど、昭和の初め、佐藤家の四兄弟といえば世間では不良の代名詞みたいに言われていました。兄たちの思春期や幼い時分に父が家を出て私の母と暮らし始めたために、一家がバラバラに成った。やるせない想いをしたことだろうと思います。そんな4人の中で、うちへ来て皆を笑わせていたのは八郎だけですね。ほかの3人は笑わせるどころじゃなかった。不良をやるのに一所懸命で。(笑)

 

私が小学生の頃には、八郎は陸奥速男(むつ・はやお)と言うペンネームで、少年少女に向けたユーモア小説を書いていました。子供ながらに面白いなぁと思って読んでいましたね。作り物であっても、とにかく徹底的に笑わせていました。後に私もユーモア小説を書いたけれど、それは八郎の影響です。

当初は紅緑の息子だからと言うので書く機会を得たのかもしれません。だけど面白いものを書いて人気を得て、自力で作家になっていったんだと思います。驚く程、沢山の小説を残していますから。

 

(以下、略)

 

と言う事でした。兄妹間のひとコマですね。

 

ところで、先日、ある文章を読んでいましたら『寝牛起馬(ねうしおきうま)』と言う言葉に出会いました。

 

ん~?、と言う事で、少し調べて見ました。

 

以下、小学館のデジタル大辞泉に掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。 

 

牛は伏すのを、馬は立つのを好むと言う事。人の好みが様々である事のたとえ、と言う事でした。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に伍します。

 

ただ、朝夕は、社会福祉法人に参ります。