さ~て、現在、サントリー美術館で興味深い特別展が開催されているそうです。

 

以下、同美術館の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

四百年遠忌記念特別展

大名茶人 織田有楽斎

本年1月31日(水)~3月24日(日)

 

 

有楽斎こと織田長益は天文16年(1547年)に織田信秀の子、織田信長の弟として生まれました。

 

武将として活躍し、晩年には京都・建仁寺の塔頭「正伝院」を再興、隠棲します。

 

正伝院内に有楽斎が建てた茶室「如庵」は国宝に指定され、現在は愛知県犬山市の有楽苑内にあり、各地に如庵の写しが造られています。正伝院は明治時代に「正伝永源院」と寺名を改め、いまに至るまで有楽斎ゆかりの貴重な文化財を伝えています。


しかし、茶人・有楽斎として名高い一方、武士・長益には悲観的なイメージも伴います。

 

天正10年(1582年)に起きた本能寺の変では、二条御所に籠る長益の主君・信忠(信長の長男)が自害したにも拘わらず、長益は御所を脱出した事から、京の人々には「逃げた(男)」と揶揄されました。

 

さらに、その後、信雄(信長の次男)に仕え、徳川家康と豊臣秀吉の講和を調整するなど存在感を示したものの、信雄が改易されると今度は秀吉の御伽衆に加わります。

 

関ヶ原の戦いでは東軍として参戦し、戦後も豊臣家に仕えましたが・・・大坂夏の陣の前には家康の許可を得て主君から離れました。


信長、秀吉、家康の三天下人に仕えて時流を乗り切り、晩年を京で過ごした織田有楽斎の心中には、どの様な思いがあったのでしょうか。

 

(以下、略)

 

と言う事でした。興味深い特別展ですね。

 

ところで、先日、ある文章を読んでいましたら『霾風(ばいふう)』と言う言葉に出会いました。

 

ん~?、と言う事で、少し調べて見ました。

 

以下、平凡社の『普及版 字通』に掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

土ふらす風、と言う事でした。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、終日、山積している書類と格闘します。