さ~て、現在、興味深い特別展が東京国立博物館で開催されている様です。

 

以下、同博物館の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

  • 『国宝 阿弥陀如来坐像平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵』の画像

    国宝 阿弥陀如来坐像
    平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

     

    本館 特別5室
    本年1月23日(火) ~ 4月14日(日)

    本展は上棟の天治元年(1124年)を建立年ととらえ、中尊寺金色堂の建立900年を記念して開催する特別展です。堂内中央に設置された須弥壇に安置される国宝の仏像11体が一堂に揃う他、かつて金色堂を荘厳していた国宝・金銅迦陵頻伽文華鬘をはじめとするまばゆいばかりの工芸品の数々を紹介します。また、会場では、900年の間、祈りをささげられてきた黄金に輝く金色堂を8KCGの技術を用い原寸大で再現します。世界遺産にも登録される平泉の文化遺産の粋を御覧下さい。

展覧会のみどころ

初めて中央壇上の国宝仏像11体が揃って展示

金色堂内には3つの須弥壇(しゅみだん)が設けられており、それぞれの内部に置かれた棺にいまも遺体が納められています。なかでも、中央壇内部の棺に眠っているとされるのは、奥州藤原氏初代 にして金色堂を建立した藤原清衡です。本展では、この最も重要ともいえる中央壇に安置される国宝の仏像11体すべてを展示します。中央壇の仏像がそろって寺外で公開されるのは初めてのことです。あわせて、かつて金色堂内を荘厳していた工芸品の数々を御紹介します。

 

阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)

(中央)国宝 阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)
(右)国宝 観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう)
(左)国宝 勢至菩薩立像(せいしぼさつりゅうぞう)
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

 

腹前で定印(じょういん)を結ぶ阿弥陀如来坐像を中心に前方左右に観音菩薩立像と勢至菩薩立像が並ぶ全身皆金色(かいこんじき)の三尊です。ふっくらとした頬を持つ、穏やかで優美な表現が特徴です。金色堂内の3つの須弥壇上の諸仏像は長い歴史の中で入れ替わっていると考えられますが、この三尊像は当初より中央壇に安置されていた可能性が高いとされます。清衡が創建した時の像であるならば、当時の京の一流仏師による像と遜色のない仏像が奥州に伝えられている事に成ります。奥州藤原氏によって築かれた平泉の文化水準の高さをうかがい知る貴重な作例です。

 

 

地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)

国宝 地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

 

阿弥陀三尊の両脇に3体ずつ安置される6体の地蔵菩薩立像です。阿弥陀三尊と六地蔵のセットは、六道輪廻(ろくどうりんね)からの救済を願う当時の往生思想を体現したものと考えられます。頬がやや引き締まっている事から、阿弥陀三尊像よりも後の時代につくられた様で、造像当初に置かれていた壇から移動している可能性があります。本展では現在中央壇に安置されている状況と同じように展示します。

 

 

二天像(にてんぞう)

(右)国宝 持国天立像(じこくてんりゅうぞう)
(左)国宝 増長天立像(ぞうちょうてんりゅうぞう)
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

 

大きく腰をひねって手を振り上げる躍動感にあふれた持国天・増長天の二天像です。引き締まった面貌と大きく翻る袖の表現が見どころです。こうした激しい動きの表現は、のちに慶派仏師が得意とする鎌倉様式を先取りした様な先駆的感覚が奥州の仏像にみられる事を示しています。

 

 

華鬘(けまん)

国宝 金銅迦陵頻伽文華鬘(こんどうかりょうびんがもんけまん)
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

 

華鬘は花輪をかたどり、堂内を荘厳するものです。極楽浄土に住むという人頭鳥身(じんとうちょうしん)の迦陵頻伽(かりょうびんが)をあらわし、極楽浄土に咲くという宝相華唐草(ほうそうげからくさ)を透かし彫りにした華麗な作で、元来金色堂の柱の上部を横にわたる長押(なげし)に懸けられていました。この華鬘をはじめとする金色堂の堂内具は平安時代の堂内荘厳のさまをほぼそのまま伝えるきわめて貴重な作例です。

 

 

中尊寺経(ちゅうそんじきょう)

国宝 紺紙金銀字一切経(中尊寺経)(こんしきんぎんじいっさいきょう ちゅうそんじきょう)
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺大長寿院蔵

 

金泥字(きんでいじ)と銀泥字(ぎんでいじ)で一行おきに書写し、見返しにも金銀泥を用いて経意を絵画で表現する唯一無二の一切経で、中尊寺経の名で知られます。料紙は京で調達した事が確実視され、見返し絵も当時一流の絵師が担当したと考えられます。藤原清衡が8年の歳月を掛けて制作させた入念の一切経です。かつては金色堂手前の経蔵に安置されていました。

 

(以下、略)

 

と言う事でした。興味深い特別展ですね。

 

ところで、先日、ある文章を読んでいましたら『岡目八目』と言う言葉に出会いました。

 

これまでに、何度も目にして来た言葉ですが・・・意味、分かった様で、分からない様で・・・そこで、少し調べて見ました。

 

以下、三省堂の新明解四字熟語辞典に掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

事の当事者よりも、第三者の方が情勢や利害得失などを正しく判断出来る事。囲碁から出た語。碁を脇から見ていると、実際に打っている人よりも、八目も先まで手を見越すと言う意から。▽「岡目」は他人がしている事を脇で見ている事。「目」は碁盤の目の意。「岡」は「傍」とも書く、とありました。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日も、一昨日から本格化させた『基礎的科学実験』のマニュアル見直し作業に当たります。

 

とりあえず、昨日段階で、実施出来る実験内容は、300項目程度まで作り終えました。

 

今日も引き続き頑張ります(笑)。