さ~て、多くの方々が御世話に成っている『靴下』。

 

その様な中、徳川光圀(水戸黄門)が履いた靴下の話題に接する機会がありました。

 

以下、株式会社ナイガイ(NAIGAI)の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

-日本最古の靴下- 黄門様が履いた靴下

  • 全体像(複製品)

    全体像(複製品)

  • 部分アップ

    部分アップ

昭和34年(1959年)、黄門様として親しまれている水戸光圀公所用の“めりやす足袋”が、水戸家の墓所である常陸太田の瑞龍山の御庫(おくら)の中から発見されました。

 

“めりやす足袋”とは、現在で言う靴下の事。

 

庫には水戸家代々の所蔵品が長持ち別に保存されていましたが・・・その管理は厳重で、長い間人の手に触れられていませんでした。


光圀公の長持ちから出て来たものは、衣類など江戸前期の特徴を良く表して居り、時代考察からも光圀公の所用品に間違いないとされています。


発見された“めりやす足袋”は、絹製品3足と綿製品4足の7足。

 

いずれも地模様入りの長靴下で、後ろ側に縫い目のない丸編みの靴下です。

 

このうち絹製品はウグイス色、ベージュ色、茶色の3色で、茶色のものはボロボロに成っていましたが・・・あとの2足は新品同様の状態でした。綿製品4足は無晒しの様で、柄はパール編みに成っています。


その製造については、当時の編機の能力からして機械編みとは考えにくく、また、編目の均一さを見ると手編みとも言い切れず、判断しづらいところがあります。

 

戦国時代から桃山時代に掛けては、贈り物として外国品が非常に喜ばれた様なので、あるいは水戸家への献上品であったかも知れません。この製品に似たものが、米国のワシントンにある国立博物館にも所蔵されているそうです。


ナイガイには実物を撮影した写真と複製品が所蔵されています。

 

複製品は、ナイガイの技術陣が拡大写真で目数を確認して製造したもの。

 

忠実に再現するのに1ヵ月以上を要したと伝えられています。

 

と言う事でした。流石、老舗靴下メーカーですね。

 

ところで、先日、新聞を読んでいましたら『滴草(しずくさ)』姓の方が登場。

 

由来に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。

 

以下、日本姓氏語源辞典に掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

雫と草から。福島県田村市船引町北鹿又下南に分布あり、とありました。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に伍します。

 

また、朝夕は、社会福祉法人に参ります。