さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら、あの硯友社が復活、との情報を得ました。

 

中学生時代に読んだ『尾崎紅葉』を思い出しました。

 

その関連で、読売新聞が記事を掲載(12月7日配信)して居りましたので、転載させて頂きます。

 

尚、記事は、文化部の池田創・記者の手に成る文章です。

 

また、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 ​​​​​

 明治期に小説『金色夜叉』を読売新聞に連載した作家尾崎紅葉(明治元年(1868年)~明治36年(1903年))が中心に成って設立した文学結社「 硯友社けんゆうしゃ 」の関係資料を保存する「和洋学園 硯友社文庫」が東京・九段下に開館した。

 

紅葉をはじめ、同人の泉鏡花、徳田秋声らの原稿、書簡、短冊など約1,300点を収蔵する。

紅葉らの写真パネルなどが並ぶ展示室(11月26日)
紅葉らの写真パネルなどが並ぶ展示室(11月26日)

 硯友社は紅葉の他、山田美妙や石橋思案ら、当時20歳前後の青年達によって、明治18年(1885年)に設立された。機関誌「 我楽多文庫がらくたぶんこ 」には言文一致体の小説や新体詩、狂歌などが掲載され、明治文壇の基礎を築いた。

 

[PR]

 文庫は、和洋九段女子中学校高等学校の校舎内に開館した。かつて敷地内に硯友社の編集室が置かれていた事から、系列の和洋女子大の日本文学研究者らが中心と成り、資料を収集するなどして準備を進めて来た。

 

 個別の作家に注目するだけで無く、作家たちの交流や繋がりにスポットを当てた展示が目を引く。展示室の入り口には、硯友社の歴史と同人達の生涯を重ね合わせた年譜パネルが掲げられている。紅葉らは俳句に親しんだ事でも知られ、各人の句の短冊を貼り込んだ屛風や、持ち寄った句を書き込んだ帳面などが並ぶ。

 

 11月26日に開かれた内覧会で、和洋女子大の木谷喜美枝・名誉教授は「資料からは硯友社の『輪』の形が見えて来る。集まったメンバーの物語を感じて欲しい」と語った。

 

 紅葉は亡くなる数年前、多くの文人たちが関わった硯友社の歴史を振り返っている。成功や失敗、喜怒哀楽もあった上で、〈一部の好小説が出来るのです>(「硯友社の沿革」より)。

 

 明治の文学青年たちの議論する声が耳元に届いて来る様なこの場所が、明治文学研究の拠点と成る事に期待したい。

 

 一般利用は1月からで、原則土曜開館。要予約。問い合わせは和洋女子大(047・371・1111)へ。

 

と言う事です。一度、覗いて見たく思って居ります。

 

ところで、先日、またまた、ある資料を読んでいましたら『ヨナ抜き音階』と言う言葉に出会いました。

 

ん~?、と言う事で、少し調べて見ました。

 

以下、小学館のデジタル大辞泉に掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

五音音階のひとつ。明治時代には、階名をヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナと称したが、そのうちのヨとナ、つまり第4音(ファ)と第7音(シ)を抜いたド・レ・ミ・ソ・ラの音階の事、とありました。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に伍します。

 

尚、時間の合間を縫って、ある企業に訪問して来ます。

 

また、朝夕は、社会福祉法人に参ります。