十五郎穴(じゅうごろうあな)~茨城県ひたちなか市。 | 日々是臥薪嘗胆(ひびこれがしんしょうたん)。

    さ~て、今日から11月ですね。

     

    小職、何故か?11月を迎えますと、鎌倉時代の起きた霜月騒動を連想して仕舞うのです。

     

    因みに、霜月騒動とは、八代執権・北条時宗が死去した翌年の1285年(弘安8年)11月、これまで鎌倉幕府を支えて来た安達泰盛」が、御内人(執権の家臣)の平頼綱に討ち取られる事件ですね。

     

    では、本日の話題です。

     

    先日、ある資料を読んでいましたら『十五郎穴』と言うモノに出会いました。

     

    興味を持ちましたので、さらに、調べて見ました。

     

    以下、茨城県教育委員会の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

     

    尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

     

    県指定 記念物 史跡~ひたちなか市

     

    十五郎穴は古墳時代末から奈良時代(約1200年前)に掛けて築かれた横穴墓群で、江戸時代からその存在が知られていました。


    横穴墓は、遺体を埋葬する玄室、玄室へ通じる羨道(せんどう)、入り口前の前庭部に分けられ、凝灰岩の崖をくり抜いて造られています。

     

    館出、指渋などいくつかの支群に分かれて分布して居り、これまでに百数十基が確認され、総数300基を超えると言われています。


    このうち、館出に群集している34基(620m2)が県指定史跡に指定されています。

     

    横穴墓からは人骨の他、須恵器、直刀、勾玉(まがたま)、切子玉(きりこだま)など多数の副葬品が出土しています。
     

    「十五郎穴」という名称は、曾我兄弟の十郎・五郎がここに隠れ住んでいたと言う、地元に伝わる伝説に基づいています。

     

    十五郎穴

    指定年月日 昭和15年(1940年)3月11日
    所在地 ひたちなか市中根3490-イ
    管理者 個人
    (以下、略)
     
    と言う事でした。小職は、命名の起源に興味を持ちました。
     
    ところで、先日、新聞を読んでいましたら『古仁所(こにしょ)』姓の方が登場。
     
    由来に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。
     
    以下、日本姓氏語源辞典に掲載されていた内容を転載させて頂きます。
     
    尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
     
    平安時代に郡司の子弟の健児を管理した健児所から。健児所は『こんでいどころ』。茨城県小美玉市与沢に江戸時代にあった、とありました。
     
    では、本日の小職の予定です。
     
    今日は、先ず、行政主催の会議に出席するため、都庁に行って参ります。
     
    終わり次第、戻って、山積している書類と格闘します。
     
    尚、夕刻は、社会福祉法人に参ります。

     

    そして、最後に。ふと、頭に浮かんだ言葉・・・『諦念』。

     

    道理を悟る心、諦めの気持ちが意味ですよね。

     

    何故、『諦念』と言う言葉が頭に浮かんだのかな?・・・(笑)。