さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら『テクスト論』と言うモノに出会いました。

 

ん~?、と言う事で、少し調べて見ました。

 

以下、朝日新聞出版発行『知恵蔵』に掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、文章は、哲学者の西研氏の手に成るモノです。

 

また、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

文章を作者意図に支配されたものと見るのでは無く、あくまでも文章それ自体として読むべきだとする思想の事を言うそうです。
 
文章はいったん書かれれば、作者自身との連関を断たれた自律的なもの(テクスト)と成り、多様な読まれ方を許す様に成るのだとか。
 
これは悪い事では無く積極的な意味をもつのであり、文章を読む際に、常にそれを支配しているであろう「作者の意図」を想定し、それを言い当て様とする方が不自然である、と。
 
およそこうした考え方を、フランスの批評家ロラン・バルトは「作者の死」と呼んだ(『作者の死』〈1968年(昭和43年)〉)。
 
ポストモダンの哲学者デリダもほぼ同時期に、自分自身のなかに立ち現れる純粋な「いいたいこと」がまずあって、それが文章として表現される、という考え方を否定している由。
 
「いいたいこと」は純粋にそれだけとしてあるのでは無く、言葉と不可分に結びついて成り立つと考えるからであるのだとか。
 
こうしたテクスト論は、フランスのポストモダン思想全体の流れから見ると、文章というものに絶対の真理(著者が真にいいたかった事)を求める姿勢への批判であり、「形而上学批判」の1つと見る事が出来るそうです。
 
成程ですね。
 
ところで、先日、新聞を読んでいましたら『栢木(かやのき)』姓の方が登場。
 
由来に興味を持ちましたので、少し調べて見ました。
 
近江国(現・滋賀県)甲賀郡柏木荘が起源である、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)山本氏流があるそうです。
 

他、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)、中臣鎌足が天智天皇より賜った事に始まる氏(藤原氏)秀郷流などにも見られるそうです。

 

由緒正しい姓なのですね。

 
では、本日の小職の予定です。
 
今日は、先ず、児童障碍者通所施設で、基礎的科学実験を実施して来ます。
 
本日は、不思議な水、というところでしょうかね。子供達の反応が愉しみです(笑)。
 
上記の事が終わりましたら、書斎に戻り、山積している書類と格闘します。