さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら『共有地の悲劇(tragedy of the commons)』と言う言葉に出会いました。
ん~?、と言う事で、少し調べて見ました。
以下、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典に掲載されていた内容を転載させて頂きます。
尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。
個人的合理性と集団的合理性の対立に焦点をあてる考え方。
米国の生態学者ギャレット・ハーディンが、飼牛を共同牧草地で放牧する村人たちの比喩を使って論じ、広く知られる様に成った。
共有地の資源量・収容力と言った生産能力の範囲内であれば、村人は制約を受けずに放牧出来る。
しかし、合理的な人は飼牛の数を増やして増収をはかろうとするだろう。
ウシの頭数を増やして得られる利益は飼い主だけのものに成るが・・・一方でそれにかかる費用は共有されるため、村人は互いに他の人より多くのウシを放牧しようとする。
合理的ではあるが・・・集団全体の立場に立っているとは言え無い考え方により、資源である牧草が過剰に消費され、究極的にはだれも放牧出来無く成ると言う悲劇が起こる。
この様なシナリオは日常的に様々な場面で繰り返され,世界の資源に深刻な結果をもたらしている。
共有資源とは、何か?を明確にし、管理する事は、政府の主な役割のひとつだと一般的に認識されている。
しかし、政治的に明確な境界線で区切られた地域内であれば資源管理は比較的容易だが・・・異なる管轄地域にまたがって共有される場合、さまざまな問題が持ち上がる。
また、国家と国家を結びつける共通の権威が存在しない場合、資源採取の制限は主権の侵害と受け止められる事がある。
資源の分割や相互利用が不可能な場合、この問題はさらに複雑に成る。
例えば、捕鯨とクジラの餌資源の漁獲規制とが別々に論じられる場合の捕鯨関連協定などは,その例である。
この問題は、数学、経済学、社会学、都市計画、環境科学などの分野における社会的ディレンマを扱う理論で取り上げられ、いくつかの暫定的な解決策が体系化された。
2009年(平成21年)にノーベル経済学賞を受賞した米国の政治学者エリノア・オストロムは、ゲーム理論を用いてこの問題を分析し、政府が行なう規制よりも自主的な管理法が効果的であると主張した。
世界人口が増え、資源を手に入れたいとの要求が強まるにつれて、共有資源をめぐる論争は益々、熾烈化するであろう。
重要な論点のひとつは、国際連合や世界貿易機関と言った超国家的統治機関の果たすべき適切な役割である、とありました。
ところで、意味を理解している様で、していない言葉に『恒産無き者は恒心無し』と、ふと、思った次第です。
経済的な基盤が無い者は、しっかりした道徳心を持ちにくい、と言う事、と。
今日は、多くの時間、収益法人事案(NPO法人事案を含む)に伍します。