さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら『本庄重政』と言う人物に出くわしました。

 

興味を持ちましたので、少し、調べて見ました。

 

以下、広島県福山市の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。

 

尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

重政は福山藩主水野氏に仕えた本庄重昭の嫡子として生まれたものの、家督を弟の重幸に譲り、江戸に出て兵法を修業し、島原の乱の際には戦功を立てた。

 

半生の放浪を終え、岡山藩主池田光政に仕えた後、福山藩に帰った彼は、当初,高須(尾道市)に居を構え、新田開発、干拓や塩業の発展に努力し、延宝4年(1676年)70才で松永に没した。

 

明暦2年(1656年)に柳津新涯を、翌年には深津郡各地の新田を、万治2年(1659年)には高須新涯を開いた。

 

また万治3年(1660年)から松永干拓に着手し、寛文7年(1667年)までに塩浜とし松永塩田の基礎を作った。


死後、自ら福山から移した本庄家の菩提寺承天寺に葬られた。

 

墓石は八角柱形の特異な形をしたもので、松永を臨む承天寺墓地の一角にある。

 

所 在 地 松永町 承天寺
構造・年代 延宝4年(1676年)

本庄重政墓

と言う事でした。

 

では、本日の小職の予定です。

 

今日は、先ず、教育事案に伍します。その後、社協に参ります。

 

尚、多くの時間、NPO法人事案(収益法人事案を含む)に御します。

 

そして、夕刻は、社会福祉法人です。

 

ところで、余りの多忙さで、日誌を5日分を書く事も出来ず、業務上で読もうと思っている本3冊が積読状態です。

 

何とかせねばです(大汗)。