さ~て、今日は、讀賣新聞(11月3日配信)から話題を拝借です。

 

以下、同記事を転載させて頂きます。ただ、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。

 

鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(久安3年・1147年~建久10年・1199年)の最古とされる木像を解体・修復する作業が進められているそうです。

 

中学・高校の教科書に写真が掲載され、頼朝の実像に最も近いと言われている『あれ』です。

 

所蔵する甲府市の甲斐善光寺は、国の重要文化財指定を目指し、由来や制作年などを特定して歴史的価値を裏付けたいとしている由。

 

解体・修復されているのは、山梨県指定文化財「木造源頼朝坐像」(高さ94.5㎝)。

 

これまでに確認された像内部の記録には、頼朝の妻・北条政子の命で作られた事や、頼朝の命日が記されて居り、鎌倉時代の制作と伝えられています。

 

長野市の善光寺が所蔵していたものの、武田信玄が川中島合戦の際、戦火が及ぶのを懸念し、弘治4年(1558年)に甲斐善光寺へ移した、と。

 

一方、頼朝の肖像画として長く紹介されて来た国宝「伝源頼朝像」(京都・神護寺所蔵)は、平成に入った頃(1990年代)に別人説が浮上し、論争が続いています。

 

このため、同寺の木像が頼朝を最も良く表しているとして近年、評価が高まっています。

 

胴体は修復されたと見られて居り、頭部が制作年を知る手掛かりに成るのだとか。

 

ただ、木像は彩色が剥がれ、眼球に使われた水晶や、手と首が欠損するなど劣化が著しいそうです。

 

同寺は、東京都世田谷区の文化財修理業「明古堂」に修復と調査を依頼。

 

木像を明古堂に移して、5月から作業が始まった由。

 

現在、木像は頭部や足など、30数個のパーツに分解された後、汚れを取り、薬剤を塗って劣化を防ぐ処理が行われているそうです。

 

同時に赤外線で像内部に書かれた文字などの調査も進められているのだとか。

 

欠損していた眼球は、山梨の職人に水晶で作ってもらうと予定だそうです。

 

来年3月までに修復と調査を終え、同寺に戻る予定。

 

 同寺の吉原知仙(ちせん)・副住職は「傷みが激しく、このままでは朽ち果てていくばかり。最古の頼朝像として多くの人に知ってもらうため、しっかり修復して調査したい」と話している由。

 

ん~、実物を見て見たいですね。

 

と、言う事で、本日の小職の予定です。収益法人の出資者と会談です。

 

そして、合間を縫って、山積続く、書類の山と格闘します。