それでも響ローラは死なない | 南野やじオフィシャルブログ「南野やじの他力本願2」by Ameba

それでも響ローラは死なない

今朝3時45分。

滞在先のホテルで仕事の為に起床した私は、地元の知人から届いた1件のショートメールに気付きます。

1月6日(土)午前11時23分に響ローラさん(本名·立石昌明さん)が亡くなったという内容でした。


覚悟はしていました。

しかし、実際に今日その知らせを受けて、私は、悲しさと悔しさで、気が遠くなる感覚に陥りました。


早朝からの羽田空港での労働をどうにか務めきり、今、自分の気持ちに整理を付ける為に、このブログを書いています。


地元のNBC長崎放送でもニュースとして取り上げてました。その動画も見ました。


享年59。あまりにも早過ぎたローラさんの死。


最後まで、アイドルとして、歌手として、唯一無二のエンターテイナーとして貫き通したローラさん。


ひょんなキッカケで東京から縁もゆかりも無い長崎へ流れ着き、以来30数年。最初のほうは、周囲から色眼鏡で見られ、心無い言葉を浴びた事も多々あったと思います。生きる為に、朝から晩までぶっ通しで働き続けたローラさん。いっぱい無理をしてきたと思うんです。いつも全力で一生懸命なローラさんだったから、そのせいで、こんなに早く死ななきゃいけなかったんじゃないかって思うと、返す返す悔しいです。


今でも思います。

何故にローラさんは、華やかな芸能界を離れて、この九州の西の果てにやってきたのだろう、と。伺ってみたかったです。でも、ローラさんと、そんな込み入った話をする事は、もう出来ません。


私は勝手に思い込んでます。

ローラさんは凄く優しい人だから、それ故に当時の芸能界に嫌気がさしたんじゃないかって。そして全てを捨てて、この長崎へ来たんじゃないかって。だけど、ローラさんは生まれながらのゴリゴリのアイドルだから、歌しかないから、この土地で自身の居場所を確立する為に、長い時間をかけて、不器用に戦い続けてきたんじゃないかって。長崎へ来てしまったばっかりに、わざわざしなくてもいい苦労をされたんじゃないかって··········。私は勝手に思い込んでるんです。


ローラさん。いつも言ってましたね。

「長崎が大好きだ」って。

何故にそこまで···········。

何故にそこまで、この土地に思いを馳せてくれるんだろうって。

···········ローラさんは『心からありがとう』の歌詞の中で答えて下さってますよね。これが答えですよね。前からずっと思ってましたよ。この曲、響ローラのレクイエムじゃないかって。


NBCラジオで5年間放送されてた『今夜はローラと響かNight』が大好きで、よく聴いてました。毎週沢山のリスナーさんからのメールを読んで下さったローラさん。お悩み相談的なメールが多かったように思います。常に、苦しんでる人や悲しんでる人の味方だったローラさん。私も、ローラさんのラジオに癒やされて元気を貰ってました。挙げ句には、何度か番組にゲスト出演させて頂きました。勝手にヘビーリスナーを代表して。


去年5月、東京錦糸町でのライブ。

有り難くもローラさんがかけてくれた勿体無い言葉。

「やじ君。絶対にお笑いを辞めちゃダメだよ!」

「やじ君の笑いは絶対いいものがあるよ!」

「必ずまた風を起こすんだよ!」


ローラさん。

4年ぶりのR-1グランプリに挑みます。

これまでも、プロの芸人として、この大会には人生を賭けて挑み続けました。そして、その度に跳ね返されてきました。何度も心が折れて絶望しました。


それでも、これから再び挑みますから!

ローラさんに恥をかかせる訳にはいきませんから。

47歳になりましたけど、これから大爆笑を掻っ攫って勝ち進みますから。

それがローラさんへのせめてもの供養ですから。

私は私で勝手に、響ローラというエンターテイナーの偉大さを世の中に証明したいですから。

響ローラさんは、もっともっと評価されるべき人ですから。

私が勝手に援護射撃しますから。

その為に舞台へ上がりますから。

そして、私も、ローラさんには遠く及びませんが、苦しんでる人や悲しんでる人の味方になりたいですから。


2024年1月6日

確かに、ローラさんの肉体は滅びました。

しかし、ローラさんの魂は生き続けます。

そういう事です。

響ローラは死なない!

死なせない!