こんばんわー。 さて 昨日は バイク 今日は スイムで 仕事後の 脱力で動くという世界の探求に取り組んできたんですが
流石は 世に ”極意”とまで称される世界ですよねー。 なんか 取りくめば取り組むほど 一応 話しは前に進むようなんですが ただ そうなればなるほど どんどん トンデモナイ世界が日々見えてくる。 そんな状態になってきてるようです
私 以前から 一つ 気になっていたことがあって 其れが ”脱力”というものを調べ始めた時 ”脱力のコツ” という記事を プロのトレーナーの方が 書かれてて その中で ”脱力といっても 全身がしてしまっては 動くこともできません” と断言されてたんですよね。
ところが 宮塚さんは 生徒さんに ”筋力は無いものと思って” とアドバイスされてましたし、 個人的に よく聞く やれ肘の先の脱力 とか 膝から下の脱力とか そういう 部分的な脱力の話って 武道の世界で極意とまで 称される ”脱力”って そんな 中途半端な話では無いんだろうと いつも疑っていて 最終的に目指しているのは 全身の完全脱力で動くことなんだろうと思って ずっと取り組んできました。
で 去年あたりに 合気道の世界を 調べ始めて 王さんに合気道の指導をされたり 千代の富士関の肩の脱臼癖を 氣の治療で直されたりした 藤平光一という方に興味を持ったんですが (因みに これは十分可能な話の様で 弟は くしゃみしただけで 肩が外れかねないほど 脱臼癖がひどくなっていたんですが 友人の律動法の體にすら触らない治療受け始めてからは そういえば 一度も外れていないといってました) その時 "氣の威力” という藤平さんの著作の抜粋が ウェブで公開されていて その中で 氣を出す条件が 書かれていて 其の一つが ”全身の力を完全に抜くこと” だったんですよね。 なので 思ってた通り
脱力って このレベルの話なんだろうなーと思い 其の方向で 詰めてきました。
ただまあ 脱力という話を 特にスポーツの世界で 眼にするときには ”何々の脱力”みたいな 部分脱力の話の方が 圧倒的に目にすること多かったんで 気にはなっていたんですよね。 ただ それでも 全身の完全脱力の方向で 追いかけてきたのには 恐らく イチロー選手の言葉に助けられた部分があったのかなーと 今になって 思いました。
私 これまで アイアンマンの取り組みの中で 幾つか ものすごく参考になった 宝石のような動画に出会ってきたんですが 其の一つが 8年ほど前 見つけた イチロー選手と 稲葉氏の対談だったように思います。 で この動画からは もう何度も 様々な引用をしてきてるんですが そのうちのひとつが ”肩の力を抜く” という事についての話で そこでイチロー選手 こういう事いってたんですよね。
” 肩の力だけ 抜こうとしてもだめで 膝の力が抜けると 肩の力も抜ける。 そういう感覚がある”
正直 この話最初に聞いた時には 私 何で 肩の力が抜けてることが大事なのかすら 全く分かってなかったんで イチロー選手が 何言ってるのかは よくわからなかったんですが ただ 私も 脱力に取り組んでてずっと つまるところ 體って 全部つながってるんで ”どこかだけ’力を抜くって 究極的に無理で だから 極意レベルの ”脱力”って 全身の力を完全い抜いてしまう事なんだろうなーと考えていたんですよね。
で そういう想いを抱きながら 取りくんできてたら 何年前か忘れましたが 宮塚さんの
”骨ラン」とは 自分の体重を筋肉だけで支えようとすれば、相当なエネルギーが必要となります。自分の体重を硬い骨に乗せることが出来れば、全身力を抜いても立ってられます。”
という言葉を見つけて やはり 宮塚さんは さすがに 生徒さんに ”筋力は無いものと思って” とアドバイス されてただけあって 私の考える 武道の世界で 極意とまで 称されることのある 本物の ”脱力”の世界の話なんだろうなーと思い さらに去年 合気道の藤平さんの話を見掛けて やはりそういう事なんだろうなーと思って そこからは自信をもって 全身の完全脱力で動くことを目指しはじめたように記憶しています。 (まあ ”脱力” という言葉の意味がしっかり分かっていれば こんな回り道しなくてもいい話だというのは 今は分かってることではあるんですが)
で なんで いまさらこんな事書いてるかというと 最近 つくづく感じてるのが ちゃんと 本当の ”脱力”というものを 最初からおいかけ続けてきて 本当によかったなーと今心から感じてるからなんですよね。 というのも これまで いろんなとこで見掛けてきた ”何々の脱力” という言葉に影響されていたら 恐らく 本当の意味での脱力 つまり 私の追いかけてきた ”極意”のレベルの脱力の世界は 恐らく見えてくるわけがないと今すごく感じ始めてることなんで。
この部分は 恐らくなんですが ”何々の脱力”レベルで追いかけてると 本当の意味の ”脱力” つまり 武道の世界で 極意とまで称さっることのある 真の脱力の世界って そのやりかたで 偶然見えてくることはなさそうな世界に感じてるんでるんですよね。
というのも ”トライアスロンは 掻かない 漕がない 蹴らない”なんて言葉をどなたかがのこされたようですが 脱力で動くというのは つまり 何もしないで動くことに他ならないんで 多分 そこだけを目指している人間にしか 見えて来ようがない世界の話のように感じてるんですよね。
その意味では やはり いまだに 詠み人知らずの この ”トライアスロンは掻かない 漕がない 蹴らない”という言葉に出会ったことも 個人的にすごく大きな事だったんだなーとこれ書いてて思いました。 というのも 私には 此の 掻かない 漕がない蹴らないというのがどういう意味なのかを ずっと追いかけてきたから 脱力の意味がわかるようになってきたように思うんで この言葉にヒントなしに 脱力の本当の意味にたどり着くのは 私には不可能だったように感じるんで。
まあ それにしても ”全身の力を完全に抜いて動く” 言葉に書くと すごくシンプルには聞えるように思うんですが 是は私のように 運動というのは 力を入れる事で成り立つとずーっと無意識に信じ込んでいたものに取っては まさに真逆の方向を 突き詰めていくことになるようなんで とてつもなく遠い世界の話のようです
例えば スイムなんかは 私は 腕に力を入れて動かすことで今まで泳いできてたようなんですが 脱力で動くって 仕組みが全く違うようなんですよね 結局 脱力で動くときの勝負どころって 如何に自分が動かないかにあるようですし 実は 力というのは全身すべて どこにも入れてはいけない。 これが脱力で動くという世界の話のようなんで
ちなみに 今日スイムの最後に 辿り着いたのは 私のとって 脱力 つまり 全身の力を完全に抜いて泳ぐ上で 意識すべきなのは 足の指の力が抜けていることなのかなーという事なんですよね。 これは 私ランやバイクでは 最近 力を抜く意識が どんどん上に上がってきていて ランなんかでは 顔や頭の筋行くが緩んでいるとこまで持っていかれ馬と感じ始めてるようなんですが つまるところ 力の作用点から 最も遠いところ力が抜ければ そこまですべての力が抜けている。 どうも そういう仕組みがあるように感じ始めてるように思いますて
まあ何にしろ 私にとって 運動とは こういうものと思っていたモノと ここまで正反対の世界を目指してるだけに 自分をどこまで 日々変えていけるか そういう尺度で取組まないと にっちもさっちもいきそうにないなーと 心から感じ始めているようです。 なので 以前から これはずっと感じてることではあるんですが 日々 一ミリでも前へ。 こういう待ったなしの覚悟で ぜひ取り組んでいきたいと思っています