こんばんわー。 さて 今日は 三連休に最終日だったんですが 青空の下 一日中 脱力で動くという世界の探検 満喫してきましたラブ で 今日 帰ってきて妻に云ったのが 今日なんかは 一日中 おもちゃ屋で遊んでいる子供のように 発見ばかりで 超楽しかった ("Kids in the toy shop" は 英語圏の決まり文句みたいなものなんで こういう表現なんですが) だったんですよね爆  笑  此れだけ 毎日 研鑽に出るたびに 新しい発見がいくらでも出てくる状態だと 確かに 何もかもが見新しい 幼い子供のように 毎日が楽しくなるようなんで 50代も半ばに差し迫った今 こんな楽しい日々が過ごせてる 幸運に感謝しないとなーと つくづく思いました。

 

ただ 20⃣17年に 初めて IMNZ を完走した時 ブロ友の方二 ”自分自身で作った 幸せな一日を お過ごしになられましたね” というコメント頂いて 本当にそんな感じだったなーと思い 非常に有難く思ったの 今でも覚えてるんですが 今 こうやって 毎日 楽しい研鑽の日々を過ごせているのも 勿論 いままでいろんな方々の言葉のヒントに導いていたからというのもあるものも ここまで 実際に歩いてきたのは自分自身であり 諦めず ねばり強く 努力を積み重ねてきたものが 今になって実を結んできているからのようなんで 其の部分は 評価してもいいように思いましたニコニコ

 

今日も 先ずランからだったんですが 今日のランで 強く意識していたことがあったんで 久しぶりに練習ノートの方に 一言書き込んだんですが 其れは 地面と自分のぶつかりを避ける。 という事でした。 この 力のぶつかりを避けるというのは 合気道の動画見てると よく聞くことなんですが この地面とのぶつかりを避けるために 参考になっているのも 合気道の塩田師が 剣術の演武で 言われていた そこにとどまれば 剣は当たるが 自分がそこにいなければ 当たらない 今日練習ノートにも

”いなくなる→ 脱力” と書き足していました。 此れは読む人 さっぱり意味がわからな事かと思うんで ブログ用に 書き足しておくと 接地の際 自分の体重が そこに無ければ 地面とぶつかりようがないですし この ぶつからないという事が 本当の意味での脱力 つまり 全身の力を 完全に抜いた状態で動くために 必要条件のように 感じているようです。

 

今日 この ”ぶつからない” トいう事を強く意識して 走っていて感じてたのは やはり 野口みずきさんが ”調子のいい時は足音がしない” この 足音がしない事が ランで一番大事なのは 間違いなさそうだなーという事でした。 というのも 此れは 武井壮さんが言われてたそうなんですが ”音がするというのは 地面をたたいている分のエネルギーが 推進力に使われず 無駄になっている” つまり 推進力にブレーキがかかっていることの 現われなわけで バイクで ブレーキ引きずっているの気づいてるのに 其のまま走り続ける人がいないように ランで ブレーキかかりまくってるの直さずに マラソンとか走り続けるのも 正気の沙汰とはおもえないんですよね。

 

ただ この部分 根本的な解決のためには やはり 脱力 つまり 全身の力を完全に抜いた状態で 接地に行くことが必要なようで この 脱力 極意とまで 称されるのはだてではなく サイクリストの宮澤さんや 室伏さんという 日本のトップアスリートの方々が ことごとく ”難しい”と書かれていることのわけなんで 意識的に直していくには 時間がかなりかかることのように思います。 (なんせ 世界一になられた 野口さんですら この部分 ”調子” つまり 偶然に頼ってた部分のようなんでキョロキョロ) ただ 裸足で距離走ってれば 足音というのは 自然となくなっていくものだというのは 分かっていることなんで 皓の部分 習うより 慣れろでいくという手もあるかなーと 思いはじめています。

 

私 8月の マラソンで ハーフくらいまでは 此れまでで一番楽に走れてた感覚があったんですが やはり 體の鍛練積まずに 今の段階での楽に走る技だけで 楽に走れるのは そのくらいかと思ったんですが 此れもしかしたら 裸足で走れるのも 20キロくらいというのとも つながってるのかと ふと思ったんですよね。 なので とりあえず 30キロ 裸足で走れるあたりを目標に 取り組んでみようかと思っています。

 

今日はそのあと この 力のぶつかり合いを避けるという事意識しながら バイクに乗ったんですが (というより 思い出してみると 今日先ずバイクからだったんで そこで この 力のぶつかり合いを避けるというテーマができて 其れでランいって そこでつかんだ感覚をさらにバイクの二部練に使ったようですが) そうしてたら ひとつ思い出したことがありました。

 

私は 2021年のIMNZのバイクパートのレポに こんなこと書いていたんですが

 

”今回 なんか最後の復路走っていて感じてたのが 私の相棒 プラズマ君が なんか ”もっと 俺の能力をちゃんと引き出してくれ” と 不平を言っているような そんな気がしてたんですよね”

 

今日 バイク乗りながら 思っていたのは どうも これ こんななまやさしい 不平ではなくて ”邪魔だから どけ” とか ”消えてろ” という事だったんじゃないかといくことなんですよね笑い泣き ”バイクパートは 俺様に任せて 舵取りだけしながら 飯でも食ってろ” なんて言葉まで 頭に浮かんでたくらいなんで爆  笑

 

こんなことが 頭に浮かんだのは 今日 つくづく バイクには 自分の力って全く使わずに ペダリングを成立させる方法があるんだなーという事を思い知らされてたからなんですよねびっくり でそれが見えてくることで なんで ”トライアスロンは 掻かない 漕がない 蹴らない”なんて言葉が存在するのか はっきりしたように思います。 これ ”漕がない”に関しては バイクには 実際に自分で ”漕ぐ” という動作をしなくても ペダリングを成立させる方法があり アイアンマンなんかだと スイム3-8キロの後 バイク180キロこなして 後の真夏のフルマラソンが控えてる競技なんで 漕がないで漕ぐ方法があるのに わざわざ漕ぐ必要はない。 そういうことの様ですね。

 

此れ 厄介なのは ほとんどの人がやってるんじゃないかと思う ”漕ぐという漕ぎ方” と ”漕がないという漕ぎ方” じっさいに起こってることは 正反対といえるほどまったくの別物なんですが 外から見ると ほとんど見分けがつかないもののようなんですよね。 (まあ 漕がないという漕ぎ方は 漕ぎ手の動きが 極端に少なくはなるんで 見る人が見れば 分かるかとは思うんですが) 此れだけ 労力が全く違うペダリングが存在するのに 余りこの存在の話を聞かないのは そこにも理由があるのかと 思いました。 

 

よく考えて見ると この ”漕がないという漕ぎ方” 欧米では 全く耳にしたことが無いですし 日本でも 宮塚さんの ”筋力 に頼らない骨ペダル” と 宮澤さんの ” 力を使わないペダリング” 後は 先輩に教えていただいた お知り合いの 国体の大阪代表のトライアスリートの方が言ってたという ” バイクのペダリングが理解できるようになって ランが速く走れるようになりました。 スパートの時以外は 足に力入れてません” が部分的に同じかなーくらいなんですよね。 ( 部分的にというのは 宮塚さんのペダリングは 足に力を入れてないレベルではおそらくなく ”背骨を柔らかく使う” 以前読んだ アレクサンダーテクニックの本で読んだ ”首から下すべての脱力” レベルの話かと思うからなんですが) 

 

まあ でも ロードの世界で 日本一になられたことのある宮澤さんが ”力を使わないペダリング” を ”一番難しい事なのだがほとんどの人がやっていないトレーニング” と書かれてたんで それで あまり聞かない話なのかなーと思いました。

 

まあ然し 私 もうこの ”漕がないという漕ぎ方” 追いかけ始めて 8年くらいたつんですが まさか ここまでとんでもないものだとは 夢にも思っていませんでした笑い泣き だってこれ 要するに 自分は何もせず バイクに勝手に前に進んでもらうという 今の あたかも筋肉文明のようになってきてる感のある スポーツ界の常識から考えると 完全に反則級の チート技の世界の話のようなんですよねびっくり どうも私は 直ぐ ”力”で考えてしまう癖があるようなんで この自分の力を全く使わないという方向性は 上に上げたような 言葉のヒントを辿ってきたから 初めて見えてきたことで これに自分だけでたどり着くのは さすがに不可能だっただろうなーと 今つくづく感じています。 まあただ ここまで 反則な技だけのペダリングが存在し 宮澤さんが言うように ほとんどの人が これを追いかけていないのならば ここから先非常に面白い展開になってきそうだなーと 非常に ワクワクしてきていますラブ

 

そういえば 私 以前から この方向では取り組んできてたんで 例えば2018年の IMNZのバイクパートなんかは完走者1000人くらいの中 バイクパートだけで 499台と 半数くらい抜き去ったレースだったんで ほとんどずっと抜きっぱなしのレースだったんですが あのころでも 一生懸命 自分で ”漕いで” 進んでいる人たち相手に 私は 体重と骨格の力の組み合わせで ”漕がずに”するペダリングをずっと練習してたんで インチキ臭いペダリングで抜いていって 申し訳ないなー都は感じながらレースしてたのは覚えてるんですよね爆  笑 ただ 今見え始めてきてる ”漕がないという漕ぎ方” だと あの年の まだまだ自分の力が混ざりまくって ”漕ぐ” という動作が入りながら 進んでる私に こんな反則みたいに楽なペダリングで 自分は何もせずに楽してるのに もうしわけないなー” と思いながら 瞬殺できるとか そんなレベルに将来的にたどり着けるんじゃないかと思うんで それで 先行きにワクワクしてるんだと思います。

 

今日 バイク乗ってて 強く感じてたのが バイクでは 実は 自分という重し これが一番バイクに取って 邪魔なもので 自分という存在をいかに消せるか。 其れさえできて クランク軸の回転を まったく妨げなくなれば バイクのクランク軸を回すのには まったく自分の力はいらないようだという事なんですよね。 なので ここからは 自分力をン完全に抜いて 何もしないという事とともに この部分が取り組みの中心になっていくように思いました。

 

まあでも この二種目 今日やってて思ったのは 結局 研鑽に使える 全ての瞬間 如何に 妥協なく 理想を追求できるか。

どうも 此れからは この次元で 取り組むことが一番大事なんだろうなーという事だったようです。 そういえば 以前 マラソンの元世界記録保持者 アルベルトサラザール氏の本を読んでたら 氏が ”私は 理想的な走り方というのは あると思っている。 そして 子どもは 理想的な走り方をしている”  と書かれてたのを思い出したんですが やっぱ ドウセやるなら この ”理想”というものを追求し続ける事が大事かと思うんですよね。 というのも この世には一つだけ 間違いないことがあると思っていて 其れは 目指していないものには 絶対に届かないという事かと思ってるんで。

 

ただまあ 今日其のあと スイム行って 思ったんですが スイムなんかも 今日々 飛躍的によくなってきてるんですが ただ スイムなんかは特にすごく元々のレベルが低いだけあって 上達すればするほど 先が 余りにも長いと思い知らされるだけの様に感じてるんですよねショボーン

 

なので 今日は泳いでて どんどん良くなっていくのはうれしいんだけど ちょっと 余りの先の長さに 精神的な疲れも感じてたようなんですよね。 なので 此れだけ 果てしない道を すすんでいる以上 如何に “氣を楽に”保てるか。 此れも大事な皓tのように思いました。 なので ここからは 理想の追求を楽しむ。 これをテーマに取り組んでいこうかと 思っていますニコニコ

しかしまあ 私 今日 よく考えて見ると バイク ラン バイク スイム バイクだったんで バイク三度も乗りに行ってるようなんですよね爆  笑 これ全部 取り組みの中で 見えた事を さらに追いかけたくて 暇が開くと どうしてもまた出かけてしまうんでこうなってしまうんですが 私もう バイク距離スピード 気にいsてないどころあ ガーミン自体 ほとんどいつもつけてないんで どれ位バイク乗ったかなんていう 記録自体残ってないんですよね。 まあ 私も 漸く 只の結果にしか過ぎない部分ではなく 如何に 研鑽のすべての瞬間に確実に上達していけるかという 本当の意味での研鑽の質にこだわれるようになってきてるのかなーと思いました。

 

ちなみに この自分でなにもしない 漕がないという漕ぎ方 如何に筋肉を使わないかが 焦点の研鑽なんで 正直 フラットでは 余りにも手ごたえが無さすぎて つかみどころがないためか ほとんどすべて 坂を上る中での研鑽になってきてるみたいです。 まあ ぶっちゃけ 坂を 時速5キロとかで登ってると フラットで使う どんなギアより 抵抗のかかるギアを 如何に自分は何もせず回すかという取り組みになるわけなんで これ磨いてると フラットでは 本当の意味で ”全開”にして 問題が無くなるように感じています。

 

まあ然し 私 ここ何年も バイクシューズはレースの時だけで 普段は ランシューですらない ウォーキングシューズで 研鑽積んでますし ケイデンスも アイアンマンレースの実数で 58とかなんで ちょっと他にはいないだろうなーと疑うくらいの低ケイデンス  しかも 世のなかでは 低ケイデンスは 力の頼った トルク重視といわれてるように思いますが 私のは 力を使わない ゼロトルクのペダリングですし アイアンマンにも もうここ何年も 最長50キロ程度という 恐らく参加者 最小に積み上げで しかもペースは レースペースの半分くらいとか そういう研鑽だけを積み上げてきてるんですよね爆  笑 私 これ 全然意識してなくて 必死に上を目指して取り組んできたら いつのまにか こうなってただけのことなんですが こうやって書き並べてみると いつの間にか ここまで 世のなかのセオリーと呼ばれてることの真逆をいくような取り組みになっていることに気づき 其れはそれで 逆にすごいことではあるなーと思いました爆  笑

 

ただ これ 私別に 奇をてらって こんな取り組みをしてきたわけではないんですよね。 私は 2018年のIMNZのバイクパートの1ストラップが 此れまで アイアンマンだけでなく 半分の距離の70.3と比べてもダントツのこのコースでの私のPB n居なってるんですが この年 思ってたより 大したタイムでもなかったのに 其のあと ランに思いっきり影響が出てしまったため  ここから飛躍的にアイアンマン強くなっていくためには 私の場合 より強度を下げつつ スポー度は大幅アップさせなければならないという 今のスポーツ界の 自分の筋力中心の考え方では 解けない命題を突き付けられたんですよね。 (因みに あのころほぼ参加者最大のトレーニング量で レースン望んでたんで あれ以上はッどう考えたって無理というくらいの量バイク乗ってたんで 其の部分の上積みは無理だとわかってたんで)

 

ただ あの時 もうすでに 上にあげた 宮塚さんや宮澤さん 先輩のお知り合いの国体代表のトライアスリートの方々の どうみても同じことを言っているとしか思えないヒントを参考に取り組んでたんで 恐らくその方向に 私にはまったく想像すらつかない世界があるンダロウト思って それを必死に追いかけ続けてきたら いつの間にか こんな変わった 取組みになってたんですが 最近見えてきたことで 確かにそういう世界があり まあ此れだけトンデモナイ世界が待っていたから こんな世界の真逆のいくような取り組みですら 気にもならず 夢中で 挑み続けてきてたんだなーと 凄く納得がいきました。

 

まあ 後は ここから先 どこまで この方向を突き詰めていけるか。 全ては そこ次第のようで その意味では 漸くここからが本当の勝負所になっていくようなんですが まあ とりあえず そこ迄たどり着けただけでも 正直 光栄な事。 その様に感じているようです。 

 

以前 王さんが ”努力は必ず報われる。 もし報われない努力というもんがあるのならば 其れはまだ努力とは言えない” とおっしゃられてたそうですが 世界の誰にもまねできないような努力を積み重ねて バスケを始めたシーズン一点も取れない子供から 世界一のバスケ選手にまで上り詰めた コービーブライアント氏の例なんか見ても 才能が無いからとか すねた委員訳ばかりしてきた私のような人間というのは 只単に だれにも負けない努力を積み上げるだけの覚悟が無い 怠け者だったから こういう 本当の努力の世界を知らなかっただけで 実は 自分がたどり着ける高みと言うのは 全ては自分が積み上げることのできる努力次第という事を今になって学んでいっているように思います。

 

私 そういえば 以前 先輩あてのコメントで  どうも 昔の忘れ物を 今 取りに行っている気がしているとかいう 気取ったことを書いたことがあったんですが これどうも本当だったようで どうやら 昔のしょぼい努力ですら 出来るだけの努力は積んでる気になっていた昔の自分に 本当の努力の世界がどういうものなのかを 見せてあげる。 どうもこれが私の感じた ”忘れ物”だったのかと これ書いてて思いました。 

 

まあ なんにしろ 先はまだまだ果てしなく長いわけなんで やっぱ 如何にすべての瞬間を楽しむか。 ここ次第かと思うんですよね。 長く続けなければならない以上 楽しくなければ つづけないと思うんで。 なので 理想の追求を楽しむ こういう心持で 氣を楽に 只 妥協だけはせず 取り組んでいこうと思っていますニコニコ